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河原者からスターへ

ハンガリーへ行くはずが実家暮らし81日目。
家で映画を2本観た。そのうちの一つは2019年日本公開、

「僕たちのラストステージ」

邦題が恥ずかしいけれどそれはスルーして。
 この映画は、1930年代、サイレントからトーキーの時代まで人気を博したアメリカのお笑いコンビ、ローレル&ハーディの晩年を描いた映画である。

僕は腐っても芸大卒というのもあり、チャップリンやキートン、ハロルドロイドの三代喜劇王はかじったことがある。
けれどその時代の映画を見て爆笑したことがあるかと言われれば、ナイ。
僕はドリフやバカ殿でも爆笑したことがない。けれど別につまらないとも思ってない。
少なからず、お笑いに携わり、その歴史を作ってきた方々に感謝とリスペクトを持っている。

というかそもそも、爆笑をするほどドリフを見たことがない。シンプルな言い訳として、世代じゃない。
お笑いは鮮度というけれど、確かに、その中でも爆笑っていうのは空気の破裂のようだから、緊張と緩和、その時代や空気を共有できていないと難しいように思う。それでも僕の同級生でドリフで大爆笑するヤツもいるから一概には言えない。
 僕は、ダウンタウンからお笑いに目覚めてる世代、というとややこしいので、小学校の時にごっつええ感じのモノマネをクラスの友達としていた世代だ。
ただ、ごっつええ感じで爆笑したことがあるかと言われたら、思い出せない。面白かった気がするだけで、爆笑はない。
僕はそれについて考えたが、
どうやらそれらの作品を見たとき、まず
「すげーー」「かっこいいなー」
が先行する節があるようだ。

友達とのすごくない話

一方で、友達や妻とふざけているとき、爆笑することが度々ある。息も絶え絶え、這いつくばって笑ったりしたことも記憶には残っている。
僕にとってプロの笑いよりも身近な人との会話でなぜ爆笑が産まれやすいのか。それはおそらく、身近な会話が全くすごくないから、だと思う。
もしかしたらすごいかもしれないが、凄みがない。突然ポンっと産まれて、それが破裂する。
ただそれだけの話。

それに対して笑いを生業にする芸人は、「わたしたちは本日みなさまを笑わせにきました」という職業である。特に作品の上において、「作り込んできました、けど今日初めてやりますという顔をしてやります」という楽屋話がオープンになった上で、笑いを取らなければならない。これは本当に凄い。

ありがとう爆笑

きっと爆笑のおかげで、今日までお笑いは発展できたのではないかと思う。クスクスや、ニヤニヤ、含み笑いや嘲笑だけではここまで大きくならなかったと思う。
爆笑が世界を変えた。これは大仰なことではなく、事実だと思う。戦時中だってみんな爆笑していた。
ただ、爆笑だけが全てではないことも覚えておかなくてはならない。

 金属バットという芸人が好きで一時期漁るように見ていた。だが彼らのトークで僕は爆笑したか、うん、してない。一回ぐらいはあったかもしれない。彼らの漫才で爆笑したか、結構してる。トークよりは確実にしてる。

けど、僕は彼らの漫才よりもトークが好きだったりする。彼らの爆笑ネタよりも、彼らのニヒルな反体制っぽいトークの方が、まるで中学高校の時、友達と戯れていたときを思い出して、良い。ずっとふざけていてくれる人がいるという安心感が、僕の記憶の中の笑いを想起させてくれる。それが心地いい。それが笑える。

爆笑だけが笑いではない。

河原者からテレビのスターへ

横山エンタツ・花陵アチャコという漫才師が1930年5月に、正式に吉本興業でコンビを組む。
彼らがしゃべくり漫才の創始者である。

僕はダイマルラケットや、いとしこいしの漫才も好きだ。まず名前がかっこいい。他にもたくさんたくさん、昭和にも漫才師はいる。

横山エンタツはアメリカに渡り、実際にチャップリンを見て影響を受けている。
そして当時の吉本興業の社長、林正之助は、横山エンタツ・花陵アチャコを売るため、
スーツを着せて、ローレル&ハーディを意識して舞台にあげた。しゃべくり漫才は当時全く受け入れられなかったが、徐々にその価値を見出されていった。

河原者と言われていた時代から、幕末のええじゃないかにより生まれた百人部屋で上方漫才の原型が出来上がり、何度もお笑いブームを作り上げて今、第七世代へと引き継がれている。
お後がフェビゴー。
引き継がれているというと妙だ、壊し続けている。

僕たちのラストステージ

一時代を築いたローレル&ハーディの晩年は、華やかなものではなかったという。
けれど2人は仲が良く、その上でしっかりビジネスパートナーとしても距離を保っていた。
 濱田祐太郎の漫談も好きだけれど、僕はコンビ芸がドラマチックで好きだ。落語も寄席に見にいけばYouTubeで見るより何倍も爆笑しちゃうけど、やっぱりコンビ芸の美学が受け入れやすい。
そういう世代だから、といってしまえばそうなんだけど、いやたぶん、そーゆうことなんだろう。
お笑いは次々と受け入れられるように変容していく。逆を言えば変容していかなければ受け入れてもらえなくなっていく。僕はその長い線の中のある一部分を抜粋して、笑っているだけだ。

ローレル&ハーディのラストステージ、そこに
互いの妻が客席で隣同士座って見届けているシーンがある。
あまり気の合わないその妻たちが、互いに手を握り2人のラストステージを見つめるそのシーンが、非常に感慨深かった。

最後まで自分をまっとうする。
それを応援してくれる人が1人でもいるなら。

是非、映画をご覧ください。



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