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苛々なのは此処だからか

ハンガリーへ行くはずが実家暮らし75日目。
上も右も左も下も、無いと仮定したら。
もうここしかない。

読書をする。
なんてったって時間があるから、朝ゆっくり起きて、今日は荷物の整理なんかして、スーパーマーケットで食材を揃えて、帰って晩飯をつくる。その隙間隙間で読書をしたりする。
働いて働いてストレスを溜めるなんて時間はないから快適で、わざわざ解消する必要もないから、それに割く時間も要らない。

なのに苛々する。

僕と同じ生活をしている妻との擦り合わせがうまくいってないというのは確かにある。けれど妻に関しては、別の部屋に移ったり、家庭内ディスタンスを保てば大仰なことではない。個々人の魂ってやっぱり独りタイムが大事。誰も悪くないってことをすんなり受け入れる時間が必要。大丈夫それもちゃんと保てている。
けど苛立ってる。
むしゃくしゃする、って感じじゃない、けどここではないどこかへ、こんなはずじゃないのに。いや何に対して?と問われても答えられないのに、上でも下でも、右でも左でもいいから、いってしまいたい。四方八方、ひきちぎられても構わない。
これは一体なんなんだろうか。

鴨長明の「方丈記」の方丈っていうのはめちゃくちゃ狭い部屋って意味らしく、小さな小さな部屋でたっぷり書いたものということ。けれどその狭い庵に愛着を持つことすら悟りの妨げになるという見識も持っており、普通をわきまえたまともな人間なんだろうなぁと思う。
まともというと、稼ぎがあって、妙なLINEスタンプも買わず既存スタンプ内でやりくりし、コカインをwikiったこともないサラリーマン、商社マン、テレビ局員、と直結しがちだが、ちがう。

まともってちがうよ。

小さな部屋で、苛立たない。まともってそういうこと。
なのに一戸建ての実家暮らし、わたしに苛立つ権利がなぜあるのか。本当に分からない。
苛立ちは、まともな人間にはない。まともじゃなければあるかもしれない。妊婦だったり大病を患っていたり愛でた猫が昨日急逝した、とかであったらまともじゃないからあり得るとしよう。そんな彼らだって時間が経てばまともじゃない自分を抑えようと努力する。僕はそうじゃない。そうじゃないのに苛立っている。

苛立ちはいろいろな理由を持つ。

苛立ちはまともではない。まともではない人間はとにかく言い訳が多い。色々と理由を歌舞く。自分でも分からなくなるほどメイクする、スッピンが怖くなる、ならまだしも、スッピンが嫌いになる。自分のスッピンを批判する。そうすると人のスッピンにも目が当てられなくなる。美醜の判断がつかず、結果醜いものを身につけている自分、醜いものを好んで食べる自分に、苛立ちを溜める。すでにブス麻酔は効いてしまってるからその苛立ちに気付かずにジャラジャラ着飾ってペロペロたいらげる、醜いものを。醜いと気づかずに。

ふと気付いたら太った自分に苛立つ。

失意の先の苛立ち。
菅官房長官が菅総理大臣になったことも失意。常備されたドレッシングが一種類なくなっていても失意。
父が思ったより早く帰ってきてしまっても失意。
もはや41度だと思っていた湯加減が入浴してみたら40.5度であっても失意。つまりキリがなく、幸福はシュレッダーにかけられたと思ってしまう。もう取り戻せず、失意。その先に苛立ち。

全部まちがってる。
なんにもかもが、なかったのに、無、
その失意は一体なんなのか。どこからきたのか。どこなんぞないのに。
あらゆることに失望するこの"ある日"はなぜ訪れるのだろう。

なぜと問うなよ、ゆけば分かるさ

もうやめよか、と言ってみる。
やめよやめよ、やめよーよ。

ここではないのだ、とか言わず、
ここしかない、なんてのもちがう。
ここにいるだけだ、
求めていることはなんだ、その苛立ちはそこからきているじゃないか。
求めるな、もちがうし、求めよう、もちがう。
こうなってくると悟りの境地へいかねば、と思うかもしれないがそうじゃない、
みな、日常の中でこれをこなしていく、今日あった悟りを明日も無理してもっていっても日常は応じてくれない。

だから茶をのんで寝る。
明日朝、起きたら妻にあいさつをする。
愛してるからあいさつをするんじゃなくて
1日を良くしたいからあいさつをするんじゃない
朝がきたからあいさつをする。

起きたところが、ここ、だ。






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