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日本女子の「わたし」の居場所を鮮やかに語る「わたしのマーガレット展」がスゴイ

2014 9/20~10/19 東京六本木ヒルズ52F 森アーツセンター

ちょっと気になっていたけれど、それほどマーガット派(どちらかというと、りぼん→花とゆめ、LaLa、ぶーけ系でした)ではないし、会場が六本木ということは徒歩や自転車では行けないし、うーんどうしょうかなと思っていたら編集者の友人、武藤嬢が「行くっきゃないですよ!」と誘ってくれたので行ってきました。本当によかったので、なんのひねりもなく素直にレポしたいと思います。

まずエントランスというか、切符もぎやら案内に執事スーツ着こんだ若いイケメンを配置て!

それでもう「マーガレット的世界観の構築に本気だ!」一気にテンション上がりました。平日の昼間とはいえ、客層は95%くらい女性。年齢層高いです。(男性は年配の元編集さんとか、会社関連でお仕事的なムードの二人連れを二組程みかけました)途中で武藤嬢が、キーッ!となって「なにこれ、こんなにすばらしいものは、日本で出版に関わる人間は全員見ないとダメ!とりあえず編集者全員集合!」と3回ほど悶絶していたので、もっと開放的でアクセスしやすい場でも良いのかなと一瞬思ったのですが、わたしとしては日常から離れることが、この展示の重要部分という気もしたので、ロケーション、良いと思います。

この場合、チケット(一般1800円)購入した人だけが、専門の案内員に導かれて、そのゲートをくぐれるというのは、わりと大事な演出のひとつなのでは。

女の人って、どうせセックスするくせに、男の方から懇願されて「仕方なかった」というひと手間が必要だったりするじゃないですか。よくわかんないけど。すばらしい原画の数々に、過去の過ぎ去ったはずの女子的に柔らかいところが刺激されてボロ泣きしちゃうのは、ヒルズだし、執事が案内するし、52階まで来ちゃったし、仕方がないんです。

エントランスには、マーガレット50年の半世紀という短い映像を上映するためのミニシアターがあり、その映写の時間調節のためにカラー原画がたくさん展示されています。これはどんどんみないと、割とすぐにシアターのほうに誘導されてしまい、一度シアターに入るとこちらの原画展示にはもう戻れないので、ちゃんと原画をゆっくり楽しんでからという場合は、次の上映を待ったほうが良いです。私は水野英子さんの超豪華美麗原画に時間いっぱい釘づけになり、感激で倒れそうになっていたので、このコーナーの他の原画を見てません、後悔はしていませんが失敗しました。

シアターの映像は、前評判を聞いていたので心構えはできていたはずなのですが…すごかったです。

感想としては、あーわたしもう女性ホルモンゼロだわという自分に対する感想しかありません。わたしより15歳年下の武藤嬢はそもそも内面が男子なので、わたしに助けを求めるようにこっちを何度か見ていたのですが、助けてあげません。女三界に家なし(親に仕え夫に仕え子に仕えというやつね)といわれていた日本の少女たちの心を解放させて受け止める少女マンガの歴史の渦の中にわたしたち、今立っているんですよ、しっかりしましょう!とにかくこの映像はとてつもない体験でした。自分でもびっくりしたのは、読んだことはあるのに、それほど興味ないと思っていたベルばらのオスカルとアンドレの姿がカットインしたときに、おもわず涙があふれてしまったことです。なんだか格が違うんですよ、このふたり。少女マンガの歴史をきちんと紐解き、池田理代子さんという作家がどういう人物なのかを踏まえれば、オスカルとアンドレが背負ったキャラクターとしての深さと重さは、すぐに理解できるのですが、ここはそういう展示会ではないので詳しくは、はしょります。ただわたしのような女にさえ、そのすさまじい熱はワンカットで伝わるんだということが大事なのだと思います。

展示は基本、おおまかにですが、時代順ジャンル別に原画を中心に構成されていました。ファーストは、わたなべまさこさん、水野英子さん。50年前1963年マーガレットが創刊された当時、日本はまだ高度成長の入り口あたりで、憧れや夢は欧米という海の向こうにしかありませんでした。今、ここではないどこかに夢やあこがれを込めて、読者たちは少女マンガを読むとしたら、それは外国だったり、上流社会だったり、芸能界だったりです。展示はマンガ原画が主なのですが、週刊で発行されていた当時のマーガレット本誌の読み物記事やグラビアの企画も展示されていて、元祖少女たちの生活情報誌であったことがストレートに伝わっています。マークレスター、ウィーン少年合唱団…洋風なお部屋のインテリア、あなたのデザインしたファッションをお洋服にしてお届け…さらにマンガ原画は、スポーツ、ホラー、ギャグとジャンル別に分かれて展示されていて、のちに専門ジャンルとして確立していく各マンガ雑誌ジャンルの大元が、すでにこの時代に全てインデックスのように網羅されていたことがわかります。(しかしスポーツマンガの専門マンガ誌はないですが)

さて女子たちの居場所としての少女マンガという意味でエポックとなった、紡木たくさんの「ホットロード」は、能年玲奈さん主演で映画公開中ということで、撮影に使ったバイクや衣装なども展示されていて、ひとつの独立したコーナーになっていました。家にも学校にも居場所のない女の子が、気持ちを分け合える彼と寄り添う。1986年1月~1987年5月に連載されていたということは、日本はちょうどバブル時代のスタートで。創刊当時、お金があって洋風のおうちとお部屋があって、ドレスに身を包んでいれば幸福という少女の夢は、心や気持ちの居場所を切望するように変化していきました。

お金と気持ち、その間にあったのは1970年代のスポ根ジャンルです。汗と努力、そして勝利という目標で自分の居場所を自分でつくるヒロインたちの物語。

特に山本鈴美香さんの「エースをねらえ」(1973年~1980年)は「お前が一番下手だから」の名セリフで宗像コーチに見初められ、「岡、エースをねらえ」でその愛を不動のものにしました。正直「エースをねらえ」が名作過ぎて、なんのとりえもない(むしろ最下位に位置するくらい)のヒロインが、汗を流して愛を手に入れる、しかし絶対の愛を手に入れたはずなのに、宗像コーチは…という絶望、このあたりで、もしかして仕事と恋愛は両立しないのでは?というあたりに、80年代のサブカルチャー的、王道をあえていかないロックとポップのおしゃれキッズな女子文化が雪崩れこんできます。マーガレット誌上では、くらもちふさこさん、いくえみ綾さん、多田かおるさんなどが、いわゆる別マ黄金時代を築いた時期ですね。くらもちふさこさんがリードする、等身大のヒロインのリアルな日常と心情をていねいな描写、特別なとりえはないけれど、確かにここに生きている平凡な少女たちのためのマンガ。社会が豊かになり、なんでも好きなことをしていい、音楽とファッションとデザインとかっこいい男子たちとの会話、その場所はすぐ隣にあるような気がしました。

では、豊かでもなく、好きなこともなく、頑張れない女の子はどこへいくのか、勝利という明確な目標がもてず、家庭にも学校にも居場所がなく、将来もよく見えないつかみどころないわたし、確かにここに生きているという証もないわたし、それが「ホットロード」のヒロイン和希。紡木さんの原画は、人物が常に光を反射したように途切れ途切れで白く抜かれ最低限の線で描かれています。それに比較して夜明けの街並み、バイク、背景や小道具の描写の細密な描写のコントラストが素晴らしいのです。途切れ度切れのモノローグとシンクロする、それまでになかった文脈のキャラクターデザイン(少女マンガなのにまぶたが一重でまつ毛がない!)そのときは申し訳ないけれど、映画の「ホットロード」のことは忘却のかなたでした。能年さん大好きだけど、2次元でしか得られない(つまり生身ではないので、受け手の感情を投影し放題)の直接脳天にくるようなすさまじい存在感、あのとき和希は、少女たちの人生の中に確かにいたというリアリティ、時が逆回りする瞬間でした。もうわかった…帰ろう…くらいに満足したのです、その時は。

その次の間は、池田理代子さん「ベルサイユの薔薇」です。ちょいっと流し見して行こうとして、覗き込んだ原画の前で金縛りに遭いました。

隣を見ると武藤嬢も頬を紅潮させて、固まっています。「なに…これ…」紙に印刷されたベルばらは、武藤嬢も私も何度も読んでいます。歴史的傑作なので何度読み返してもおもしろくハズレなくていいよね、と気軽に読み返しています。しかし原画は、それとは別物。1枚の原稿がひとつのドラマになっている。長いストーリーの一部であるはずのたった一枚の原画の1枚1枚にひとつずつ濃厚なドラマがぎゅっと圧縮されている。

原稿1枚のせいぜいA4スペースの紙1枚の中にこれほどの感情的情報量が詰まっている原画をわたしはこれまで見たことがありません。雰囲気が美しかったり、楽しげだったり、精密で美麗だったりの原画はたくさんあります。ベルばらの原画は、感情の情報量がすさまじいのです。たった1ページの中にオスカルのアンドレのアントワネットの民衆たちのそれぞれの感情がドラマを伴いその中で展開されている、閉じ込められている。生き人形というジャンルのオカルトがありますが、生原稿とはこういう畏怖を感じさせる存在なんだと思い知ります。わたしと武藤嬢はあまりのことに、心臓をばくばくいわせ、膝がわななき、その場に崩れ落ちそうになりました。こんな原稿を受け取らなくてならない編集者は、2~3人しんでいるかもしれない、いや逆に寿命が延びたというケースもあるかもしれない。

正直、池田理代子さんのベルばら原画を見たあとの展示はあんまり覚えていない、そのあとの記憶がないですよ、と武藤嬢が後述するほどのインパクトでした。ベルばらでしょーいまさらねー、となめてかかっていたことを謝罪したい、正直ペース配分を完全にミスりました。

その後は、神尾葉子さんの「花より男子」、椎名軽穂さんの「君に届け」と、1990年代2000年代と続く傑作ヒット作を筆頭の美麗原画で埋め尽くされる学園ものゾーンです。黒板が配置され、原画を展示する机も学校の教室にある雰囲気に模して、一番のびのびとした展示に思えました。1993年から子育てが始まった私は、物理的にマンガと音楽とゲームから離れ、幼年誌と教育番組に取り込まれるという私的な事情もあり、少女マンガはこの頃から読んでいません。ギリギリ「花より男子」の連載1回目か2回目かを読んだところで、すぱりと情報が寸断されています。なんとなく卒業ではなく、強制退学のような形で少女マンガから離れてしまいました。仕事を持つことでも、恋人ができることでも、結婚することでもなく、子どもを持つことで卒業したのです。タイトに改造されたおしゃれな制服で学園のイケメンたちと丁々発止するこぎれいでアイドルのようなヒロインたちは、どんな居場所を求めていたのでしょうか。少女マンガにおけるリア充、勝ち組の物語はツンデレ男子をものにすること?と読んでもいないのに予測するのはやめましょう。若い人たちが中心に嬉しそうに原画をのぞき込む姿だけで良いではないですか。

マーガレットは雑誌ではありますが、コミックスという形で、古い作品でも広く長く読み継がれている作品が多いように思います。15歳年下の武藤嬢も、リアルタイムは逃していても、後追いで「エースをねらえ」「伊賀のカバ丸」「愛のアランフェンス」と、いくつものタイトルがあげてくれます。マンガマニアやマンガ好きでなく、普通に暮らす田舎の女子学生たちの傍にあったのがマーガレットです。どの時代の誰の人生にも、わたしの生き方、わたしの居場所を探す青春があり、行き場のない憧れや慟哭を受け止めてくれるマンガがありました。出口の壁一面にデザインされたマーガレットの表紙のモザイク。ピンクが主体。そして情報量が半端ない。一冊一冊の表紙がこんなに情報量が多く、全てのタイトル内容紹介がこちらにむかってすごいエネルギーで押せ押せなのに、ちゃんとハンディに破綻せずにまとまっている。おしゃれできままでまじめな日本の少女たちの姿、そのままのデザインです。このように出口の壁から、最後の売店での目録やグッズまで、手抜かりなく構築されている展示でした。50年という歴史をこのようにまとめたというスタッフの丹力に脱帽です。わたしたちは、確かにあの時代、あそこにいました。

武藤嬢がまとめを語ります。「代理店主体のファインアートなどふっとびますね。ここにある作品は、全て全国の女の子たちが500円とか1000円のお小遣いの中から自分で購入して、それが何年も積み重なって、ここにこういうふうにある。そんなものにかなうアートは世界中どこにもないですよ。重みと厚みと熱量が全て違います。全国の女の子たちがですよ、自分のお小遣いから100円200円とですね…」メガネをクイっと上げて表情は冷静だけど、興奮しているから話エンドレス。確かにそう。そういうことでした。

おまけ:マッキー1本で描き分けられた、現役作家たちの類希なるマンガ技術、世界よ!これが日本の少女マンガ家の匠だ!

もうひとつ見逃せない展示として、現在の連載作家たちによる手書きのガラス屏風についても書いておきます。1990年代で少女マンガから離れてしまった私は、もちろん現在連載中の若い作家さんたちの作品もキャラクターも知りません。手書きのガラス屏風というのは、畳1枚ほど(少し縦に細いかも)の曇りガラス板1枚につき、ひとりの作家さんが自分のキャラを描き、屏風のように横につなげたという展示です。

お年寄りである私が、AKBの少女たちの見分けが付かないように、現在の若い作家さんたちの原画も、ほぼ見分けがつかず「ほぉーきれいなのものだなあ」という感想に終始したのですが、この屏風には度胆を抜かれました。全員ひとつの画材で描いています。曇りガラス+油性マッキーです、マッキーという画材はご存じでしょうか?そもそもあれは画材なんでしょうか?1本の本体の両脇にキャップが付いていて、太い先と細い先があるという油性のマジックインキです。極細というのではなくて、ハイマッキーというボディが太いやつです。今、思い出しても多少震えがくるんですけれど、作家さんたち、この同じ画材、しかも普段絶対に原稿を描くときには使用していない極太油性マジックで、普段通りのキャラクターをすらすらと書いているのです。全員の筆致が全部違う!そして、それぞれの特徴ある作家としてのタッチをマッキー1本で再現している。ちょっとでも絵を描いたことある人なら、これがどのくらいすごいことなのか、おわかりいただけますよね?弘法どもが筆選んどらんっ!兵どもが夢を描いとる!!そして屏風としてのつながりが不自然にならないように、お隣同士のキャラが自然に重なり合い、ひとつの風景を作っている。個人の技術と周囲とのバランス感覚。これがなにかの競技なら10.00、満点です。

なにこの匠!!!

日本のマンガの技術は、伝統技能の域にきている。即刻この屏風は、ちゃんとした美術館が買い取って未来永劫保管するべきです。マッキーとともに。


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