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古き縄を焼き、新しい縄をなう

長いこと、世の中に絶望している。遡れば小学生の頃、既に私は絶望の中にいた。

政治と自分の生活の間に距離があることにも気付いていたし、学校では環境保護や資源の節約を習うのに企業は大量生産大量消費に勤しみ、スーパーや飲食店には食材が余り、分解されないものが海に流され土に埋められていることにも心痛めていた。男性中心の社会の中で女性がお飾り程度に思われていることも、国籍が違うだけで犯罪者のように扱われる人がいることも、理不尽ないじめも、ずっとずっと当たり前にそこにあって、そんな社会の中で生きてきた。

限りある資源を大切に
差別はいけません
いじめはいけません
戦争を繰り返しません

建前だということはわかっていた。だったら教えなきゃいいのにと思っていた。

「戦争は商売だから積極的にやりたいし、人口を減らしたいし、差別は楽しいし、資源は使い尽くし汚し尽くし、いざとなったら火星に住めばいい」と最初から言ってくれれば「ああそうですよね」と思えるのに、なんで大人はわざわざ綺麗事を言うんだろう?

「あーあ、またやってるわ」
政治に対して何も期待していないので、失言しようが、汚職が露呈しようが、「でしょうね」という気持ちだった。

終戦記念日の黙祷も「とりあえずやっておけばいいんだろ」の茶番だと思っていたし、運動会や卒業式のリハーサルも馬鹿馬鹿しかったし、自分の意見ではなく教師が用意した台本を読まされることや毎日毎日軍隊みたいに整列させられる時代遅れな自由のなさに辟易していた。
本気で争いを無くそうと思ったら、多様な価値観を認め合い、対話を繰り返していく等の具体的なアクションを起こし、学校教育の中でもっともっと時事問題が議論されたらいいのに。「明るい社会ポスター」だの「いじめやめよう」のスローガンをいくら作らせたって何一つ変わらないことなんてわかっているくせに、問題の核心にメスを入れないことは暗黙のルールなのだと理解していた。

ここまで35年間。日々の中にそんな絶望たちは織り込み済みで、その上で、自分の幸せとは何かを考え続けてきた人生だった。

とっくのとうに諦めていた。
「そういうものだから」
「何したって変わらないから」
うん。今も、変えようという気はない。

「いくところまで行って崩壊してほしい」
私が長年、唯一期待しているのはその一点だけだ。

ああ、そうだな。私は本当はすごく悲しんでいたし、怒っていた。自分の利益しか考えない大人たちに。子どもを下に見て、コントロールしようとする大人たちに。狭い世界の常識を押し付けてくる大人たちに。そんな私ももう大人側になった。

私は、自分が持っているものや生み出すものを、全て、美しいものに使いたい。多様な生き物が行き交う美しい海にこれ以上プラスチックや油や洗剤を撒きたくないから、ごみを減らし、循環・分解できるものを選ぶ。これからを生きる子どもたちが伸びやかに自由に生きることができる環境作りや教育を学び、携わる。シェルターや学校を作る。想いのある人にお金を渡す。保育、教育、介護、出産、農業、食、環境、アートに投資する。 

風通しがよくて、さらさらと気持ち良く流れていく、温かい人と人との縁。寛容で、対話ができて、むやみに傷つけ合わないで良い社会。それぞれの選択が尊重される社会。

私が生み出したいのはそんな世界です。
諦めているのは変わらないけど(だってもう「大人」は変わらないでしょう?変わる必要もないと思っているでしょう?そういう人たちが分厚い層となって覆い被さっているのだからこの国は。)海だって一滴の水からできているように、私がこうして自分の想いを綴り、物の選び方を一つずつ変えていくことは意味があると思ったので書きました。

私は起業する。長いこと抱えてきた絶望を、美しいものにシフトするために。大きなお金を回すために起業する。今日綴ったことを実現する会社を作る。その準備を、淡々と進めている。

世界が崩壊しますように。

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