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12歳、往復200キロの旅。

小学6年生のころのことだったと思う。
一人で隣の県にバスで旅行をした。

距離、片道114キロ
地方都市の為、隣県に行くための電車は無く、
バスで2時間半かかる道のりを、一人コトコト揺られていた。

不安でいっぱいだった。
年の瀬だというのに、手汗をかいていたと思う
綿密に計画した旅行スケジュールを
何度も何度も反復していた。

「周りの人には、どんな風に思われているんだろうか」
「怪しまれてはいないだろうか」
「今頃、お母さんは怒っていないだろうか」

不安と期待でいっぱいだった。
ーー それが、私の初めての一人旅だった。

当時、私は「砂時計」という漫画にハマっていた。
島根県を舞台にした少女漫画で、
1年を計れる砂時計や、踏むと音が鳴る鳴き砂の浜辺など、キラキラした情景がたくさん出てくる素敵な漫画だった。

友達から「どこか遠くに行ってみたい」と誘われて、隣県のこともあり島根県への日帰り旅行を提案した。

どのくらいお金がかかるのか、
どのくらい時間がかかるのか、
調べるうちに、「わくわくする気持ち」と「緊張」が高まっていることを感じていた。

そんな折だった、

「ごめん、親に止められた。
 子供だけじゃ危ないって。
 まなちゃんもやめた方がいいよ」
友達からの言葉だった。

誠実な私の友達は、意気揚々と親に計画をお話したそうだ。

私は"言えば親に止められるだろう"という予測をしていたので、誰にも言わなかった。
その時は友達にも「うん、わかった」と返事したように思う。


"わかった"とは言ったけど
「やめる」とは言っていない。
私は極秘に準備を進めていった。

おやつ代を貯め、
バスの乗り換えと電車の乗り換え、時刻表を確認し、行きたい場所へ、どうやって行ったらいいかを考えた。


親にも友達にも内緒の、本当に一人の冒険だった。


何が私を突き動かしていたんだろう。
そこに「面白そうなものがある」という衝動だけではなかったと思う。

「私の道は私が決める」みたいな欲があったのだ。(そしてそれは今も強く持っている)


正直、島根県でなくても良かったのだ。
その時「自分ができる」と思える範囲で、最大の冒険をしたかった。

でも、無謀はしない。


本の虫だった私は、あらゆる物語から「計画」の重要さを学んでいた。
12歳なりに綿密に計画した。

朝起きる時間、家を出る時間、、、、帰るタイムリミット。(これが一番大切だ)



そうして12月30日、予定通りのバスに乗った。

一人、年の瀬の心は、バスと共にふわふわと揺れていた。

バスを降りて、仁摩サンドミュージアムに向かうための電車に乗り換える。しっかりした声で駅員さんに確認する
「仁摩駅にはどの電車がいきますか?」
何番線から乗ればいいのかは調べていたが、念のため確認する。

「次の電車が仁摩駅に行くよ。
 お嬢ちゃん一人?どこから来たの?」

「広島から来ました。小学校を卒業するので一人旅です」

「すごいねえ、もしまた旅をすることがあったら青春18きっぷっていうのもあるからね、ほら」

駅に貼られたポスターを島根訛りで説明してくれた優しい駅員さん。

わたしは「青春18きっぷ」が一体何なのか、さっぱりわからなかったけれど、
『青春』の文字に惹かれて、いつか使ってやろう!!と思ったのを覚えている。(そしてまだ使ったことはない)


電車の中には、お爺さんやお婆さんしかいなかった。駅を降りて地図を広げると、おじさんが声をかけてくれた。
私は固く身構える。

「どこに行くの?」
「仁摩サンドミュージアムに行きます」
「そしたら駅を出たら左に曲がるといいよ」

丁寧に道を教えてくれたおじさん、
私がおじさんを怪しい人だと疑っているのを感じたのか、
道順を説明してくれただけだったけど…とても助かった。(駅からの道が少しわかりにくかったのだ) 訝しんでごめんねおじさん。


サンドミュージアムは驚くほどに静かだった。

開いたままの玄関をそっと入る。

入場券を買おうときょろきょろしていると、館員さんが声をかけてくれた。

「あら!どこから来たの?!今日は年に一度の休館日なのよ…」


青天の霹靂だった。頭の中に大きな鐘の音が聞こえた気持ちだ。

ガーーーーーン
あんなに綿密に計画したというのに…
まさか‥‥


「明日砂時計を返すから、調整しなきゃいけなくて…
 見にくくなっているけど見ていく?」

「え、良いんですか?じゃあ入場券を…」

財布を出そうとすると止められた、
「良いよ良いよ、今日はお休みだし調整中で綺麗に見れないから。」
お姉さんの心遣いに、不安でひんやりした心がぽかぽかするのを感じていた。

……なんでこんなに人は優しいんだろう。
ちょっと泣きそうになりながら、お姉さんの後をついていった。

砂時計は思っていたより、ずっと大きかった。
砂時計がある空間も、とても大きかった。そして綺麗だった。

でも一年だと思うと、ずっと少なく感じた。

そして、砂時計を見たかったのではなく、ここに来たかったのだと気づいた。この場所に自分の足で立ってみたかった。

お姉さんは砂時計がきちんと時間を計るために、湿度の管理などが必要なことを教えてくれた。ひっくり返す前に最終調整をするのだそうだ。

思う存分その空気を飲み込んで、館を後にした。

「もう行くの?また見れるときに来てね」とお姉さんが言ってくれた。

ありがとうお姉さん。

駅まで戻って、電車に乗って今度は鳴き砂を踏みに行った。幼少期に海に行った記憶がほとんどなく、ゆっくり海を眺めるのは初めてだった。


年の瀬の琴が浜は、やっぱり静だった。
生き物の気配が聞こえない。潮の香りさえ柔らかい。
脚は寒かったが、靴下を脱いで、浜辺を踏んだ。

きゅっ

きゅっ


「ああ、こんな音だったんた」
「こんな感触だったんだ」

物語で想像していたすべてが、本当の形で足元にあった。
想像したのとは少し違って、
想像よりもずっと泣いてるような小さな音だった。

「どうやったらしっかり聞こえるだろう?」

踏み方を変えてみる。

きゅっ

さっきよりも少しだけ大きく鳴く

ふと少し離れたところに親子連れが現れて、にぎやかな声が聞こえてきた。
途端に私は心細く、恥ずかしいような気持になった。


「……帰ろう」


静かな海に後ろ髪をひかれながら、
帰りの道を歩いた。

砂を踏んだ後の足は、少し浮いているようだった。

帰りの駅で出雲そばを買った。


(お母さんが見つけたらなんて言うだろう)
(きっとばれてしまうかもしれない)
(でも何ともない顔もしてみよう)
(知らないふりしてくれる気がする)


小さなワクワクを連れて帰った。
長くて短い一日だった。




お土産は蕎麦だけで消化されてしまったけれど、今もはっきりあの日の気持ちを覚えている。

ちょっと怖い気持ち
反省の気持ち
年に一回の休館日にあたってしまった事さえもなんだか特別で、
一人で見た海はとてもとても感動した。

深呼吸ができたようだった。
時間のことをとても大切に思った。
無事に帰れて安心した。



あの日の冒険を母は本当は知っていたんじゃないかと思っている。
知っていて気づかぬふりをしてくれていたんじゃないかと。
今度帰ったら聞いてみよう…

この日記を書いて改めて、あの日私は子供で良かったと思った。
何も知らない、無謀な人間で良かった。


そして、きっと今もあの頃のまま
自分の願う道をただ、まっすぐ進んでいるだけなのだ。

いろんな人に助けてもらって
いろんな人に許してもらって

また仁摩サンドミュージアムに行こう。
鳴き砂を踏みに行こう。
あの時のお姉さんは今何をしているんだろう。
あの日の親子は今何をしているんだろう。

そんなことを思う。

私は今日も知らない道を歩く喜びを感じて生きている。

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