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なぜ日本はこんなにも規則が多い社会なのだろうか?

日本は、学校も会社も非常に規則が多い国です。しかも、放っておくとどんどん増えていきます。例えば学校の校則ですが、下着、靴下、靴は白のみであるとか、はたまたポニーテール禁止、ヘアピン禁止、マフラー禁止などなど、謎の校則が多すぎです。なぜ下着の色まで指定しなければならないのかまったく意味がわかりません。また「中学生らしい清潔感の髪型」なんてどうにでも解釈可能な不思議な校則さえあったりします。

ポニーテール禁止については昨年ツイッターでも話題になりましたが、禁止の理由が「男子が欲情するから」なのだそうです。それならそもそもスカートも禁止したらどうかと思いますし、それほど男子が欲情するのが心配ならば、男女共学そのものをやめた方ではいいのではないでしょうか?

無論、校則も最初のうちは意味があって作られたと思うのですね。大勢の子供が集まれば中には悪さや危険なことをする子もいるわけで、事故やミスを防ぐためにできていったのでしょう。

しかし何事も過ぎたるはなお及ばざるが如しで、いきすぎた規則は息苦しい相互監視社会を生み出し、世の中から寛容さが失われていきます。また、そうした教育システムの中で育った子たちはそれ以外の在り方を知りませんから、自分自身が大人になると、やはり同じような規則でがんじがらめの組織を作り出してしまいます。

では、規則で縛る以外に、ミスや失敗や事故に対応しうる社会の在り方というのはあり得るのでしょうか? 今日はその辺りを考えてみました。

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