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「生きる意味」に正解はあるのだろうか?

人生の意味に思い悩んだことってありませんか?

僕はあります。あるところか、数年間に渡って思い深く悩み続け、本を読み漁ったり教会に通ったり座禅を組んでみたりしていました。今思い出すと、一体なんだったのかと思いますが、当時はこの回答が見つからないことには、到底生きていけないような気さえしたものです。

人類は大昔からこの命題に思い悩んできました。なにしろ人生は苦しみの連続です。これは平和な時代も戦乱の世も、現代でも大昔でもさほど変わらぬ現実です。人生にはひょっとして意味なんかないんじゃないか? そう考えてしまって思い悩んでしまう人は少なくないでしょう。

そしてこの命題に悩むのは僕ら凡人だけではありません。文豪太宰治は人生の意味を問い続けた挙句に、自らの命を絶ってしまいました。

「ただ、いっさいは過ぎていきます。
自分が今まで阿鼻叫喚で生きてきた、
いわゆる人間の世界において、
たった一つ、真理らしく思われたのは、
それだけでした」

これは彼の最後の作品、「人間失格」からの引用ですが、なんだかズシーンとくるフレーズです。彼が人生の意味を問い、何も見いだすことができずにもがき苦しむ姿が思い浮かぶようです。

太宰治に限らず、人生の意味を見つけるのは難事業です。これまでも多くの人が問いかけてきました。これからもずっと、多くの若者たちが問いかけていくのではないかと思います。

では一体、なぜここまで人生の意味を見つけるのは難しいのでしょうか? また、そもそも人生に意味なんてあるのでしょうか? 今日は日曜日だというのに、そんな重たいトピックについて考えてみたいと思います。

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