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墨子から学ぶ、理想と現実との向き合い方

今回は、最近知ったことから感じたことを書く雑記回です。理想と現実に向き合うスタンスを、中国戦国時代に活動した”墨子(ぼくし)”から考えてみたいと思います。

墨子は、戦争が当たり前の中国戦国時代において無差別的な愛を説く平和主義者でした。彼は、その思想を「やりたい」という想いだけで生涯において貫き通します。ただ、その思想は、戦国時代である当時はなかなか受け入れられず、弟子のなかでも本当の意味で理解をしている人はほとんどいなかったようです。

そんな墨子ですが、工学技術や戦略の圧倒的なスキルがあり、それを武器に戦争にも参加しています。”攻める”側ではなく”城を守る”側しかしなかったようですが、戦争による社会の衰退や殺戮などの悲惨さを非難しているにも関わらず、自分から戦争の指揮を買って出ているんです。しかも超強い。

「戦争ダメ」という“理想”と、時代背景と自分のスキルとして戦争を指揮する“現実”を両立している墨子。ここまでみると矛盾が大きいだけと思ってしまいますが、この人が本当にすごいのは、理想と現実の差がまったく埋まらないにも関わらず、理想を捨てずにあきらめないで貫き通し続けたことです。普通は、理想を掲げつつも現実との矛盾や乖離に悩まされ、理想に逃げるか、現実に折れるか、どちらも中途半端になってしまうかと思います。

墨子には部下がいましたが、その部下たちの99%も”思想”ではなく”戦争スキル”を学びにきていたようです。ただ、それにも墨子は悩まない。他人に対する依存心がなく、ただひたすらに理想を追い続けました。

結局、墨子が生きている間に彼の思想は拡まりませんでしたが、”戦争スキル”を持ったままに、徐々に掲げていた理想が見直され始め、“疑似墨子”集団が形成されていきます。そして今日に至るまで、その思想は伝え続けられているのです。

僕も、好きなことや想いを貫き仕事をし続けてきました。ただ、現実はそんな理想通りにいかないことも多いです。論理的に考えればもっといい策はあるはずなのに、それを思いついているのに、時代や社会や組織がそれを良しとしません。現実として自分が行っている仕事は、本当に社会に価値があるのか。こんなことをするのであれば、もっと良い価値の出し方があるのではないか。こんな方針はおかしい、やってられない。そう思うこともこれまで多々ありました。

ただ、冷静に考えてみれば、理想に逃げて、現実から目を背けているだけなのかもしれません。墨子の行動からすれば、外的要因によって理想に迷いや悩みがでるということは、理想を信じきれていないのかもしれません。追求しきれていないのかもしれません。その程度ということです。

・理想に揺るぎない自信があり、それを100%追求できているのか?
・誰もが面している現実を正しく捉え、向き合えているか?
・理想と現実を、それぞれを否定する言い訳にしていないか?

ここまで書いていても、まだ現実と理想の折り合いのつけ方がしっくり来ていないですし、墨子が戦争をしているときの心境もよくわかりません。ただ、「自分が追求している理想は、価値があると断言でき、命をかけることができるものなのか?」と、改めて考えるきっかけにもなりました。

ちょっとまとまりのない文章になってしまいましたが、墨子について知る機会があったので、簡単に整理しておきました。

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地元で、地域×スポーツ分野で独立した僕の現状報告や試行錯誤を記していました。

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