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“好き”や“想い”を仕事にし続けてきた理由を改めて考える

僕は好きなことを仕事にし続けてきました。それを追い求め続け、新卒から7年半勤めた会社を退職し、独立の道を歩むことになりました。「好きなことを仕事に」というと聞こえはいいですが、「好きなことで稼がなければいけない」ので葛藤や矛盾もたくさん生じます。割り切って“ただの趣味“にすることができたらどんなに楽か、と思ったことも何度もあります。

現在独立して9ヵ月。安定とは言えませんが、事業の方向性が見えてきました。そして、独立して自分の力だけで稼がなければいけなくなったからこそ、やりたいこと、好きなこと、“仕事”について、本気で向き合えるようになりました。

今回は、僕がなんで好きなことを仕事にしようと思ったのか、何を成し遂げたいと思っているのか、などについて、自分自身の頭の整理も含めて記しておこうと思います。

地元で、スポーツを仕事にしたいと思った原点

漠然とした言葉ですが、僕は「地元でスポーツを仕事にしたい」と思い続けてきました。こう思うようになった直接的な要因は2つあると思っています。

一つ目は、高校生のときに部活の仲間と出場したマラソン“イベント”です。競技一色の部活動を続けてきた中・高の陸上部時代。走ること自体は好きでしたが、競技力は凡庸で、それで生きていくことは断念せざるを得ませんでした。将来の夢も明確にありませんでしたが、そのマラソン“イベント”に仲間と参加したことが、とっっっても楽しかったのです。まさにその瞬間、内容は漠然としていながら意志としては明確に「これを仕事にしたい」と思うようになりました。

※この時の想いは別途記事にしています。

二つ目は、今も付き合いのある高校陸上部の親友が発した言葉でした。

「栃木で、陸上で育ててもらったんだから、いつか恩返しがしたいよな」

親友は何気なく発したのだと思いますが、これが僕の価値観を変えました。僕は走ることや陸上部がなければ、こんなに充実した学生時代を送っていなかったと思います。ただ、高校生のときには「その環境に対して何かを返す」という考え方は全くなく、はっとさせられたのを今でも覚えています。そして今までの僕を突き動かす力にもなっています。余談ですが、その親友は大学で山梨に出て、就職で北海道に行きました(笑)。ただ、今でも一番の相談相手です。

いったい自分はなにが好きなのか

原体験としてマラソンイベントが楽しかったという経験を書きましたが、この感情がなんだったのか、もう少し深掘りしてみたいと思います。

中学生から始めた陸上競技部では、高校に至るまで “競技”しか知りませんでした。仲間に恵まれたという意味では楽しく過ごしていましたが、走ることに関してはいつしか「上のステージへ」「記録を1秒でも伸ばす」の比重が高くなっていました。これは悪いことではないと思いますが、“これだけ”だったら僕はどこかで走ることを辞めていたと思います。そんななか、このイベントに参加することで、走ることに“遊び”要素が入りました。そして、それを仲間と分かち合えたことで、僕の心はこんなにも揺さぶられたのだと思います。

思い返せば、小学生時代は友達と公園や路上で自由に走り回って遊んでいました。僕のスポーツの入り口は“遊び”だったのです。そして、僕は30歳になった今でも走り続けていますし、高じてトレイルランニングやウルトラマラソン(100㎞)などにも挑戦しています。スポーツ観戦やアウトドアも趣味になっています。

こうして振り返ってみると、“ワクワクする遊び”が、常に僕の人生を豊かにしていました。その手段がスポーツ(走ること)だったのです。

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