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【仕事術】シンクタンク流グラフの作法:コミュニケーションツールとしてのグラフ

■ 「ダサい」グラフは害悪である

さて、突然だがこの報告書(のスクリーンショット)を見ていただきたい。細かい内容は気にせず、ぱっと見の印象を覚えておいてほしい。


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出所:"U.S. Resident Travel to International Destinations Increased Nine Percent in 2017", National Travel and Tourism Office, U.S. Department of Commerce

これは米国商務省(日本で言うところの経済産業省)の傘下で旅行業を所管する「旅行観光局」(National Travel & Tourism Office:NTTO)が作成した、米国発の海外旅行者客数の推移だ。

地域別に毎年の観光客数をプロットしたグラフを作り、文章で米国人の海外旅行のトレンドを分析している。

このグラフ付きの報告書を一目見て、こう思われなかっただろうか。





なんか、ダサい、と。




作成者には本当に申し訳ないが、このグラフはダサいし、そのせいで読む気が失せる。

なぜダサいと感じるのか、そこには直観的なセンスとは無関係に、論理的な理由が存在しているが、それは別稿で詳説する。いずれにしても、端的には

①伝えるべきメッセージが不明瞭である
②メッセージを伝えるためのクリエイティビティが欠如している

この2点に尽きる。

人は情報を与えられたとき、意識的にせよ無意識的にせよ情報を主観的に処理している。数字を眺めて何が言えるか、あるいは言えそうかというメッセージが(明瞭か黙示かは別として)存在する。

ただ、そのメッセージは意識してクリアにしないと、なかなか他人に伝わりにくい。

そして、自分の頭の中で、あるいはノートの上でクリアにしたメッセ―ジを、適切な技術で人に伝えられないと、それは脳内あるいは机上の妄想にしかならない。

上の①②のいずれか一方でも該当しているグラフは、残念ながら労力に相応の価値を生むことはできない。それどころか、相手にいらぬ誤解や与件を与えてしまうこともあり、その意味では害悪であるとすら言える。

【補足】※①に関しては半分言いがかり的な面があることを、作成したNTTOスタッフの名誉のために補足したい。この文書は単なる数値の報告と見ることもでき、数値の解釈は個々の読み手に委ねられているともいえるからだ。つまり、伝えるべきメッセージがそもそも存在していない可能性もある。ただし、そうだとするとこの報告書は分析とは到底呼べないが。

■ 上手なグラフは強力な武器である

逆に正確なグラフを作れるということは、人を説得し、動かすことについて素晴らしい効力を発揮する。

百聞は一見に如かず。僭越ながら前節のグラフを作り直してみた。いかがだろうか。

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出所:National Travel and Tourism Office, U.S. Department of Commerce
注:入手の都合上、一部は1000以下を四捨五入した値を採用

手前味噌で恐縮だが、漫然とした情報のどこに注目すればよいのか、情報から何を語れそうか、が一気にクリアになったと思われないだろうか(※)。

※通常コンサルタントがグラフを作るとき、スライド資料の部品として用いることが前提である。そのため通常はスライドのページタイトルやメッセージ(上部の見出し文)で補足すべき情報を今回はグラフ中に収めているため、禁じ手に近いテクニックを一部使っている点ご留意いただきたい。

いっぽう、こう思われた方もいらっしゃるかもしれない。何もわざわざグラフやら何やら作らずとも、文章=言葉だけでもいいじゃん、と。

しかし、言葉というのは実のところとても目の粗いコミュニケーションツールだ。言葉でもって真意を過不足なく伝えきるのは、実はとても難しい(*1)。

もし言葉で真意を完璧に伝えられるなら、問題発言を咎められた政治家が「誤解を招くつもりはなかった…」と謝ることはないだろうし、最近お茶の間を騒がせた某お笑いコンビの勘違いコントで僕らが笑い転げることはないだろう。

使う人や組織によって、同じ言葉を違う意味で使うことなど日常茶飯事だ。例えば某コンサルティングファームではプロジェクトを実施することを「デリバリー」と呼ぶが、一般的なビジネス用語としての「デリバリー」は納期のことを指す(QCD:Quality, Cost, Delivery)。あるいは、モノをAからB地点に動かす配送の意味で使われることも多い。

こんなことが起こるのは、言葉が、背景や文脈への依存性が極めて高いことに由来する。対象が極少数に特定されているならまだしも、聞き手・読み手すべての背景を斟酌して言葉を紡ぐことは至難の業だ。

そのため、言葉は多くの人に伝えようとすればするほど、どうしても目の粗いものにならざるを得ない。さもなくば、学会論文のように、情報を完備しようとして長く細かいものになってしまう。

他方、グラフという視覚的に洗練されたツールをうまく使えば、相手の理解度や言語能力といった、円滑なコミュニケーションを阻む壁をかなりの程度突破して、簡潔にメッセージを伝えられる。相手が外国人だろうと、社会経験の乏しい子どもであろうと。

なので繰り返しになるが、グラフを正確にわかりやすく作れるということは、事実情報をキッチリさばいて、有益な示唆をもたらすスキルに直結する。

筆者はシンクタンクに勤めたのち、現在は外資系のコンサルティングファームで働いているが、グラフ作成の哲学や技術はシンクタンクで徹底的に叩き込まれた。

なんでこんな記事を書こうと思ったかというと、仕事で様々な報告書を読んでいくうち、(例として挙げたものも含めて)しっかりしたグラフを書けていないものが結構あるので、もしかしたらその時の経験から役立つ情報発信ができるのではないかと思ったからである。

あと最近風呂の記事しか書いていないので、仕事もせずに風呂に入り浸っているヤバい奴だと思われてそうだったからというのもある。

次回以降は原則論、テクニカルなポイントの両面から、グラフ作成の技術を書き連ねていきたい。少しでも参考になれば幸いである。

*偉そうに書いていますが、私もこの世界でまだ5年程度しか経っていないひよっ子もいいところなので、あくまで私の経験則的にこう、という内容を話していくにとどめます(むろん、根拠は極力示しますが)。なのでこれを読んでくださる方は、ぜひとも批判的な目でご覧いただければ幸甚です。そして「私ならこうする」みたいな自分流を共有いただけるととても喜びます。

ここまでお読みくださりありがとうございました!

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*1 言葉の目の粗さについては、山口周「ニュータイプの時代」(ダイヤモンド社、2019年)がわかりやすい。


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