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021.『純日本人になりたい』コンプレックス

ーー純日本人ではないという疎外感がコンプレックスとなっていき
他の人と同じでありたいと強く願っていました

ーゲスト紹介ー

田中 真理奈 ペトロヴァ(たなか まりな ペトロヴァ)
音楽大学院2年生。2019ミス・ユニバース日本大会に出場。音楽教室で子どもたちに音楽の楽しさを伝える傍ら、施設や病院などで「音楽教育の行き届いていないところに音楽を届ける」をコンセプトでボランティアコンサートをしている。(※2020年5月現在)

どんなコンプレックスでしたか?

ブルガリアの父と日本人の母のもとに生まれた私は、純日本人でないことがずっとコンプレックスでした。赤ちゃんの頃から目鼻立ちが一般的な日本人の顔立ちよりもはっきりしていたことで周りから「将来が楽しみ」「きっと美人さんになるね」と言われてきたのですが、いつの間にか、そういったことを言われるのが苦痛になるようになっていました。

5歳のころクラシックバレエを習っていた時の話です。発表会のとき、小さい子も綺麗な衣装を着、保護者の方に化粧をしてもらうのですが、「目や鼻筋がはっきりしているから、化粧がしやすいね」とか「ヨーロッパの血が入ってるからバレエの衣装を着ると様になるね」と、容姿のことを言われることが多かったのです。そのバレエ教室にはハーフの子がいなくて、元来目立ちたがりでなかった私はそのような扱いをされるたび自分が周りと違うんだと感じ、嫌悪感を感じてしまいました。嫌味っぽく聞こえてしまうかもしれませんが、他の人と違う扱いをされていることが嫌だったんです。


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バレエの衣装を着た真理奈さん

同様に、自分のミドルネームである「ペトロヴァ」もずっと嫌いでした。他の同級生にはミドルネームがなかったし、それを面白がった男子にミドルネームをからかわれたことで一層嫌いになりました。小学校の卒業アルバムはミドルネームの部分を修正液で消していたほどで、お父さんにミドルネームを変えたいと訴えたこともあります。

そんなブルガリア人のお父さんに対しては、目立って恥ずかしいと思っていました。授業参観があると、何度も何度も「あれまりなのお父さんでしょ」と聞かれることが鬱陶しかったし、できるだけ後ろを振り向かないようにしていました。

”他の人と違う”と感じるたびに、純日本人ではないという疎外感がコンプレックスとなっていき、他の人と同じでありたいと強く願うようになりました。

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ミドルネームを修正液で消してた跡が残る卒業アルバム

どうやって乗り越えましたか?

2019ミス・ユニバース日本大会に出場した経験が、乗り越えるきっかけとなりました。ミス・ユニバースというのは、世界的に行われている、所謂ミスコンで、地方大会から選抜されたメンバーが日本大会に進出し、その中から日本代表を選出し世界大会へ進むことができるんです。その日本大会での出来事が私のコンプレックスを変えてくれました。

元々ミス・ユニバースを目指していたわけではなかったのですが、知人のお誘いを受けて挑戦することとなり、その結果地方大会ではグランプリを頂くことができました。

それから、日本大会へ出場するメンバーが集められ、トレーニングが行われました。すると、そこに全国から集まった41人のメンバーには誰一人として同じ人がいなかったんです。ガーナとのハーフ、アメリカとのハーフ、10年くらいフィリピンに住んでいた子、日本国籍の中国人の子....外見やバックグラウンド全てが千差万別で、見た目だけで浮くなんてことがはじめてない空間だったんです。

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当たり前のようにファッションも、髪形も、性格もそれぞれ違っていて、むしろ他人と被ることを嫌う人たちを目の当たりにしたとき、長年思っていた「みんなと同じでなければならない」ということが、本当にどうでもいいことだと思えるようになりました。そういうこだわりがすごく馬鹿馬鹿しいことだと思ったんです。人と同じという瞬間がほとんどないその環境では、人に合わさず自由でいいんだと思うことができ、すごく居心地がよく感じました。

その時から、自分のミドルネームの「ペトロヴァ」も、「ペトちゃん」との愛称に変わって、今ではすごく気に入ってます。みんなが個性豊かなミス・ユニバースの中ではこのミドルネームのお陰で自己紹介での印象を強く残すことができたので、むしろ強みであると思うことができたんです。だから、今ではハーフであること、このミドルネームがあることに感謝しています。

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当時の自分を振り返ってどう思いますか?

日本の教育は、規律や秩序を尊重していて、周りと違うことをすると自分が浮いた存在だと感じてしまうため、子供は「周りと同じでなければいけない」と感じてしまうと思うんです。だから、純日本人でないというコンプレックスを持ってしまうのも仕方がなかったと思っています。仮に、過去の自分に「同じでなくてもいいんだよ」と言える機会があったとしても、きっと「いやいや何言ってるの?」って言われちゃうと思うんです(笑) 
そんな環境の中でそう感じてしまうことは仕方ない。22歳になれば、ミス・ユニバースに出場して変わることができるからまあいいか、という気持ちです。

そして、その経験があったからこそ、音楽の先生になろうと考えることができました。たくさん縛りがある学校教育の中で、音楽だけは唯一自由でいられる教科だと思うんです。音楽なら、「もっと自由でいいんだ」と思える授業を作ることができると思っています。

同じコンプレックスを持つ人へメッセージをお願いします。

あなたがハーフかどうかとか、ミドルネームがどうとか、顔がどうだとか、他人は大して気にしてないように思います。だから落ち込まなくていいです。私がコンプレックスを持っていたのも、ハーフがどうかというよりも自分が気を遣い過ぎる性格だからと気が付いたのです。周りを気にしすぎて、褒められてたとしても自分が他の人と違うことを言われると、周りでそう思ってない人が嫌な気持ちになっていないかと考えてしまっていたんです。

小学校のころ、別のハーフの子もミドルネームをいじられて泣いてるのを見かけたこともあったので、きっと私が感じたことはハーフの人にとってよくあることなのかもしれません。だから、同じコンプレックスを持つ人へというよりも、変えることのできない名前をいじったり、外見の違いだけで何かを言うようなことを止めよう、ということを伝えたいです。

たなかまりなヘッダ

取材・執筆:TGすこ太、文章チェック:原まりな

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