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平成31年の500円玉を使った話。

先日、歯医者の会計時に、財布の中から平成31年の500円玉が出てきた。歯科衛生士さんと「めずらしいですね~」など言いながら、そのまま支払いに使った。

なんとなく、これは巡らせた方がいいような気がしたのです。

500円玉の価値なんて、それ以上でも以下でもないし、こんなことに関心を示すかどうかはひとそれぞれだけど、

ここで放出すれば、もしかしたら他の誰かのところでも「平成31年の500円玉だ~ラッキー」みたいな気持ちの連鎖が起こるんじゃないかと思った。
もしわたしが「これはもったいないから取っておこう」と棚の奥にしまってしまったら、きっとおおきな流れのようなものがストップしてしまう。
棚の奥で、どんどん光を失っていく500円の姿が見えた。

夫に話したら「え!?なんで取っておかなかったの?!」と言われたけども。

そういうおおきな流れ、みたなものはあると思っていて。

それも一つの要因なのだろうか。最近いろんなものが入ってきたり、いただいたり、停滞していたものが動き出したりしている。

誰かが自分に向けてくれる「ご厚意」みたいなものを感じることが多い。

先日、友人が「感謝の輪の循環」の話をしていて、ものすごくしっくり来た。
感謝は、もらった相手に直接行動で返さなければ、と思ってしまって「自分はなにもできない…」と苦しくなることがあるけれど。直接返せなくても、自分ができる親切をだれかに与えていれば、それはじゅんぐりまわって世の中は成り立つのでは、という。

友人の思いをわたしが聞いて「なるほど!」と思ったわけで、わたしが思いついたわけではないのですが。

たしかに、イライラは関係ない人にぶつけてしまいがちだよな。そして、ぐるぐると伝播していく…。目の前で怒っているひとは、その前になにか気に食わぬことがあったのだろう。負の感情の連鎖は、みんな無意識にやっているのに。
感謝や親切心だって、ぐるぐるまわせばいいのだ。

そんなことがあって、自分ができることをもくもくとやろう、とより強く思った。

でも、わたしの悩ましい癖として、「自分ができることをやる」というのと、「自分ひとりで考える」「自分ひとりで答えを出す」がごっちゃになってしまうところがある。

これはどうにかしたい。

と思っていたら、わたしの好きなアーティストの眉村ちあきちゃんがこんなことをつぶやいていた。

ああそうか。ピースを揃える。
「さっさとピース揃えちゃおーっと」。それくらい軽々と、広々と、人に聞いたりしながら、自分のピースを集めればいいのか。私の場合、足りないピースがなんなのか、確認作業から。

結果が出ないのだとすれば、ピースが足りてないんだと思った。
ラジオのパーソナリティの仕事を始めて2か月。
少なくとも、ミキサーの基本的な操作はできるようになったし、
時間を見ながらしゃべることも、以前よりはできるようになった。
完ぺきではないけれど、ちゃんとステップアップしているはずだ。

上手い下手とか、センスがないとか、向いてないではなく、ピースが足りない。

そう思うと、なんだか心が軽くなった。

わたしの足りないピースはなんだ。

さっさと集めに行こう。

写真は近くの公園のアスレチックのトンネル。
タイムトラベルでもしてしまいそうな。




目に触れられず流れていく宙ぶらりんなローカル情報を囃し立てて、自分の住む地域ってなんかいいな、誇らしいな、暮らしやすいな、と感じられる循環を作り出したいと思っています。(team OHAYASHI細川敦子)