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誰かの力になりたい、なんておこがましい

team OHAYASHI/ライター 細川敦子

中吉。『波立たぬ平らかな心の海には、神様の御光が澄み入って清々しい』

おみくじは、ほしい言葉をくれるなあ。

ひとや物事やことばを、ニュートラルに受け取れる心を整えたい。
昨年、ある人に言われた「もっと自分に集中して」という言葉の意味が、やっと少しずつ分かってきたような気がする。今年はもっと掘り下げたいと思っている。だから、雑念に振り回されている場合ではない。思いをかなえることに、気持ちをそそぎたい。ちゃんと光は澄み入るらしい。

自分に集中する、というのは、いろんな解釈があってよいと思う。「自分」がみんな違うんだから当然。
今のわたしにとっては、自分ができることはなんだろうと考えたり、誰の力になれるだろうと考えたりすることを指している。
今までそれができなかったのはなんでだろう。
誰かの力になるなんて、おこがましい考えだと思っていたからだ。
「おまえに助けてもらうほど落ちぶれてないわ」と思われるのではないかとびくびくしていた。まあ、そう思われることもあるだろうけれど、しょうがない。自分だって、助けてほしい時と放っておいてほしい時はある。そんなのはタイミングだから、いちいち気にする必要はないのだろう、と思えるようになった。

というか、思い返すと、跳ね除けていたのは自分のほうだ。差し伸べてくれていた手を次々に。昨年は特に。
「自分の時間を大切にしてね」「今はできなくて当たり前だよ」そういう言葉を、いや大丈夫です、自分の時間も取れてるし、子育ても楽しんでる、そもそも仕事もしてないのに、できていないわたしが悪いんです。とバリアを張り続けていた。
おそらく全然大丈夫じゃないし、だれも私を責めてはいない。
「おまえに助けてもらうほど落ちぶれてないわ」とプライドを掲げていたのはわたしだった。

学んで乗り越えるしかないこともある。
自意識の問題は頑なだ。これからも違う場面で同じようなことにぶち当たるんだろうなあという絶望もあるけれど。自分はそうなりやすいぞ、と意識するだけでもきっと違うだろうからそうしてみる。

一事が万事ではないけれど、きっとどこにでも転がっている話。
こういう状態は、どんなプロフェッショナルに相談すればいいんだろう。
わたしは、佐久市が主催した「じぶんはたらき方講座」に出て、救ってもらったと思っている。参加レポートを書き続けたことが、じぶんを知るきっかけになった。それから数か月かけて、五月雨式に、過去と未来と現在が、ぱたぱたとつながっていったような感覚がある。いろんな人がかけてくれた言葉や出来事が、答え合わせのようにおもえてくる。

どんな方法でもよいのだけれど、思い込みに押しつぶされかけていたあの日の自分のようなひとがいるなら、どうか解放されてほしいなあと思ってしまう。

おみくじは、良いことばかり書いてあった。幸先よろしい。

ヘッダー画像は、新海三社神社のおみくじです。とても好きな場所で、佐久に遊びに来たいろんなひとを連れて行っています。

team OHAYASHI/Misato Kojima 細川敦子
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