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自己紹介noteです。

はじめてのご挨拶には「自己紹介」がつきものですね。

はじめまして、松尾と申します。僕はいまキャリアデザイナー(キャリアコンサルティング技能士2級)として日々色々な方にお会いさせていただいており、この仕事をして16年ほどが経っています。業界ではまずまず長いほうかなと思いつつ、先日ふと自己紹介にこれまでどれだけの時間を費やしてきたか計算してみました。いや、決して暇な訳ではありません。

ToC(対個人)  平均25名×12ヶ月×16年×5分=24,000分
ToB(対法人) ざっくり年間100名×16年×5分=8,000分

・・・、トータル533時間も使っていました。多分もっと使ってると思います。。1日8時間稼働、月22日勤務だとすると、3ヶ月間息継ぎなしでずっと自己紹介です。なんの拷問でしょう。

なので読んでいただけばわかるように、僕自身がどのような経緯で今に至ったのかを自己紹介noteとしてまとめてみました。こんなの誰が読むんだろう、、という気持ちで正直一杯ですが、これからお会いする機会のある方にはざっと斜め読みしていただけるととても嬉しいです。

お時間ない方はこちらのnoteだけでも僕のスタンスが伝わるかなと思います。よろしければ。

桜がきれいな北の古都で

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僕の故郷は北海道の松前町という桜が美しい日本最北の城下町です。自宅の目の前は津軽海峡。朝からイカの刺身と松前漬、カレーの具材はアワビ、イクラは白米に掛け放題が日常でした。夏休みのしおりには「ウニ、アワビを密漁をしないこと」と書かれていたり、春先には自宅近くにまで熊さんが出没したり、浜辺が遊び場、暗くなったら帰るといった自然に囲まれて育った少年時代でした。小中の9年間は柔道に打ち込み、将来の夢は教師。「礼に始まり、礼に終わる」、「相手を敬う」精神を幼少期に学びました。

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そんな幼少期を過ごした僕は、高校から親元を離れ第二の故郷である函館市の学校に進学します。親の目が無くなるというのはホント良し悪しで、学業そっちのけで部活(バレーボール部。一応エースアタッカー!)と若干の恋愛(こっちは奥手w!)、青春を謳歌する日々を送りました。

そんなこんなで案の定現役大学受験には大失敗(泣)するのですが。その後自由の代償を払うかのようにストイックな浪人生活を経て、僕はなんとか大学生になります。

青春がギュッと詰まった函館の街

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京都は粋な大人のまちでした

入学した同志社大学では学業は経済学部 労働経済学(思い返すと「働く」ということに関心を向けたのは大学の頃でした)と運動は体育会ボードセイリング部(どうせやるなら体育会)の他、京都ならではの経験をしてみようということで北野天満宮近く、「上七軒」の歴史あるお茶屋さんに併設されるバーで接客のお仕事をしました。「上七軒」は京都五花街のなかでも最も古い歴史をもつ街です。

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「茶屋」とはもともと、社寺に参詣したり、物見遊山に来た人たちに、お茶や菓子をだしたお店がルーツです。「上七軒(かみしちけん)」は「天神さん(北野天満宮)」にお参りに来る人、「祇園甲部」や「祇園東部」は「祇園さん(八坂神社)」にお参りに来る人たちが寄った門前茶屋が発祥です。最初は茶や菓子などを参詣者に出すだけでしたが、その内奥の座敷にあがって、足洗い(御苦労さん会)も兼ねて、ゆっくりと座敷でくつろいでもらい、そのために女性たちが舞や三味線などで疲れたお客さんたちをねぎらうようになったのです。「茶屋」はお客さんをもてなす、ささやかな宴会場であり「お座敷」と呼んでいます。
出典:京都観光Navi

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一見さんお断りの歴史あるお茶屋さん。ご予約のお客様にお座敷までの待ち時間も楽しんでいただこうと入り口横にひっそりと仕立てられたバーには、芸妓さん、舞妓さんと一緒に京都財界、お寺さん、茶道や華道の世界の超お偉い方々だけがおこしになります。一介の大学生では絶対にお目にかかれないような方々は立ち居振る舞いに品があり、お話も極めて教養深くユーモアに溢れそれはまさに紳士でした。世の中に影響を与えるレベルの仕事をし、粋に遊ぶ。京都はそんな「粋な大人の格好良さ」を教えてくれた街でした。

なんだか心が死んでいた20代前半

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大学を卒業した僕は、新卒でITコンサルティング企業に入社しエンジニア(当時はプログラマーですね)としてキャリアをスタートしました。(大学生時代、就職先を決めるまでにも働くということへの方向性が定まらず紆余曲折がありましたが、そこに触れると長編が書けるくらいのボリュームになるのでここでは割愛します) 

入社後半年間の長い新人研修を終えた僕は東京支社に配属となり、本格的に業務をスタートするのですが、正直なところ全く楽しくない毎日を過ごしていました。

遣り甲斐をどこにも見出すことが出来ず、ただ朝起きて満員電車に揺られ仕事をこなして帰ってビール飲んで即寝る、これを繰り返すだけの日々。雑談大好きの僕が一日一言も会話せずに無言で深夜までプログラミングをするだけという日が延々と続きました。週末はというと、ただひたすら寝るだけ。多分20時間位寝てましたね。とにかく心を擦り減らしながら生きていた感覚です。まぁ仕事が出来なかったんですね、今思い返すと。

そんな20代の頃の想い出をこちらで少し書いてます。

そんな日々を過ごしながらの2年目。僕は突然人事(採用)担当へと異動することになります。大きなキャリアチェンジですね。辞令の掲示をみたときは「えー」という感じでしたがなんだか変化にワクワクする自分もいたことを覚えています。その予感は少し当たっていて、異動してからも激務は激務で変わらずだったのですが、なんというか日常に彩りが戻ってきた感覚があったのです。自分自身は昨日までと何も変わっていないのに生きている感覚が蘇ってきたわけです。相変わらず仕事は全然出来ないのですが・・それでも充実感が得られているという不思議な日々でした。

誰かのキャリアを考えること

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企画業務もありましたが、基本的には採用担当としてのミッションは学生と向き合うこと。リクルータとしての面談、セミナーでの質問会、グループ面接、個別面接とシチュエーションは色々でしたがとにかく日々学生と話して話して話して、相談にのって、ジャッジして、口説いて、お祝いしてという毎日を過ごしながら、次第に採用担当という立場ではなくもっとフラット「誰かのキャリアや生き方をとことんまで一緒に考えていく」ということそのものを仕事にしてみたいとうっすら考えるようになりました。

事業会社の採用担当は、自社の採用目標を如何に達成するか(何人採れるか)が最大のミッションになる一方で、エンジニアリングの現場を中途半端に経験している自分としては、目の前の学生にはうちの会社以外にも色々な可能性があるはず、と考えてしまったりして、基本的には充実感を得ながらも、ときに自分のなかに矛盾や葛藤を抱えることも少なくありませんでした。純粋に青かったです。

人材エージェントという仕事

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そして僕は、人材エージェントという仕事の存在を知ります。当時担当していた学生が「いま、この雑誌を読んでキャリアを考えています!」「この雑誌を発行している企業も受けてみようと思ってます!」と目をキラキラさせながら活動状況を教えてくれたことをきっかけに、最初は競合分析のつもりでその転職情報紙を発行しているベンチャー企業を調べていたのですが、ふと「人はいい仕事に巡り合い自分の力が発揮されている時、生き生きと輝いているものです。」という同社の企業理念をみた瞬間・・・

「これはエンジニアから人事に異動になったときの自分のことじゃないか!」

と思わず胸をズドンと打たれてしまいました。いてもたっても居られなくなった僕はそのベンチャー企業に履歴書を提出しました。その後、運も重なり幸いご縁をいただくことができ、ここで僕の人材エージェントでありキャリアコンサルタントとしての人生が始まりました。これが20代後半のことです。

自分にあった仕事と巡りあい、輝く人を増やす。これが自分の仕事になりました。

その後、人材エージェントとしてトータル約16年間(おおよそ年間200~300名の方々のキャリア相談を担当させていただいてきたので通算3000~5000人ほどに達しているかと思いますが)、特に成長志向の個人のチャレンジを後押しする、をモットーとして活動してきました。

※未経験からのチャレンジを支援させて頂いたケースで、リクルート社の「MOST VALUABLE AGENT」を受賞したこともありました。写真若い。

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また、法人側の採用支援は国内系・外資系、大手企業からベンチャー企業、スタートアップ、事業会社(IT・製造業・金融業・メディカル・通信・物流・小売り・商社・サービス等々)やコンサルティングファーム、ベンチャーキャピタルなど大小様々な業態の法人のご支援をさせていただきました。一つの分野に特化せずに幅広い業種を知っていることも自分の特徴かもしれません。

どの仕事もエキサイティングでしたが、やはり自分自身は熱いハートの経営者、成長ベンチャーのご支援がもっとも腕がなり、心燃えるものでした。

先日上場を果たされた土屋さんとのお仕事はおそらく死ぬ間際でも思い出すかもしれません。

また、ベンチャーに限らずグローバルトップカンパニーからも2年連続表彰(クオリティに対して)いただけたことも誇りです。

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そして、「時代の変化」からも大きな学びを得てきました。強烈だったのはリーマンショック、東日本大震災、そして直近のコロナといった時代時代におけるインパクトのある負の出来事。こうした出来事に直面したとき、人々のキャリア観、仕事観、人生観にどんな変化が現れるのか。こうした経験も自分自身の大きな財産となったと感じています。

コーチングとの出会い

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そんな景気の浮き沈みを数年おきに繰り返す16年、僕にとって自身のキャリアコンサルタントとしてのスタンスがガチっと固まったのは30代の頃の出会いによってでした。当時の所属企業は、日本を代表するトッププロコーチである山田博さん(CTIジャパン元代表、株式会社森へ創設者、山伏。以下ひろしさん)にカンパニートレーナーとして入っていただくという非常に贅沢で恵まれた環境でした。自社のコンサルタント育成担当のミッションも兼務していただいていた僕は、ひろしさんから

「人の可能性はかかわりによって引き出せる」

ということ、また

「Being=あり方がすべてを決める」

ということを強く学ばせてもらいました。そして10年以上継続してきたコーチングをベースとしたコミュニケーション技法のトレーニングは、スキルのみならず、まさにBeing=あり方を磨くものとして自分自身のスタンスの土台を確かなものにしてくれる貴重な経験でした。

僕の考えるBeingの大切さはこちらに書いています。

こうしてスタンスが固まってからは、自らの仕事のスコープを「転職の支援」だけに留めるのではなく、もっと時間軸を長く捉え「人のキャリア(=人生)をより良くしていくようなきっかけを創る活動」と定め、色々な活動に取り組みました。自分らしさを全開にして魅力的に生きる方々「志」「考え方」「あり方」にフォーカスしたオウンドメディア、明日のチャレンジへの熱量を高めあうイベント&交流会の立ち上げなどです。

ちなみにこのときにコラボレーションさせていただいた方々に共通していたのは、「誰と比較するでもなく、自分の価値基準、信念に素直に従って自分自身の人生を生きている」ということでした。

更に、最初から目標のようにその状態を目指していたのではなく、自分にとって大切なこと(Being)に素直に従って生きてきた結果辿り着いたのがその状態であったという点においても共通するものがありました。こうした生き方を啓蒙する活動は自分にとっても非常に充実した時間となり、反響の大きさからも大いなる手ごたえを感じていました。

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が、実はここで僕は大いなるモヤモヤを抱えることになります。

日々自分らしさを解放して自分自身の人生を生きている方々と深く接すれば接するほど、「自分はどうなんだろうか・・」という疑念と同時に羨ましさを感じるようになっていったのです。

譲れない想い

そんなモヤモヤのなか出会ったのが伊藤羊一(Zアカデミア学長・武蔵野大学アントレプレナーシップ学部長)さんでした。羊一さんとは僕が企画するイベントに登壇いただいたことをきっかけに交流させていただくようになったのですが、あるとき羊一さんが「1分で自分自身の譲れない想いをオーディエンスにむかってシャウトするイベントを開催するぜ!」という告知をされていました。「譲れない想い??」と一瞬頭に?が浮かんだのですが、僕は登壇者エントリーの申し込みボタンを即クリックしていました。

心がきっかけを欲していたんだと思います。

さぁ申し込んでしまったので「譲れない想い」をちゃんとシャウトできる本当の言葉にしなければいけません。期限は2週間。そこからはひたすら自分の心の奥底との対話、内省を何度も何度も繰り返し、ようやく到達することができました。自分の譲れない想いに。


それは

「未来の子供たちの笑顔のために」

というフレーズでした。故郷の父の生き様を思い出すと共に。


想いが固まるとプレゼン準備も非常に楽しく本番はあっという間の1分間。自分自身これからの人生で忘れることのない時間となりました。以下はそのときのオーディエンスからいただいたフィードバックコメントの一部です。宝物ですね。

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ミライフのキャリアデザイナーとして

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この譲れない想いを抱き、僕は2019年末にミライフにジョインしました。ミライフでは、キャリア=人生をデザインするキャリアデザイナーとして転職支援だけではない幅広いキャリアの支援活動を行っています。もちろん転職のご支援も普通にしています。

ミライフは「子供たちのためにワクワクする未来を創る」というビジョンを掲げていますが、自分の譲れない想いとも重ねあわせ、「なんとなくちょっと違うかもと思いながらも、人生掛けて燃えるものが見つけられずモヤモヤとしている大人。そんな大人が自分の人生を力強く踏み出す。その一歩目の力になること」、そしてその大人たちの姿をみた「未来の時代を創っていく人=子供たちの目が輝いていく」。大人たちがそれぞれの道それぞれの花を咲かせ、目を輝かせて生きることで子供たちが未来に希望をもって生きていける、みんな違ってみんないい、そんな世の中を目指していきたい。

・・・と、かなり長くなってしまいましたが、全然たいしたことない僕がこんな想いとスタンスで日々活動していますというのが少しでも伝わったら嬉しいなと思っています!あ、人生とか生き方とか重たいこと言ってますが、基本的に雑談、おしゃべり(とホルモンが)大好き大歓迎です。

なにかモヤモヤすることがあればぜひお気軽にお声がけください!

※ちなみに僕らのスタンスや考え方を漫画にしちゃったのがこちらです。

※2020年にはコロナ禍における転職市場についてこれまた自分らしさを全開で生きる大切な友人の山崎さんとマザーハウスカレッジでお話しました。

※最後に、僕のライフワークともいえる「ホルモン」への愛はこちらですw






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