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エネルギーとお金とやりたいことの「what」と「how」

最近考えていることのシリーズです。

エネルギーがすごく増えている

ここ数年くらいは「減らす」ことに注意が向いている期間だった気がする。

食事も少なくて済むなら少なくていいし、付き合う人も少数で濃い関係を。支出もなるべく少なく、自分のエネルギーも省エネを心がけてきた。

「減らす」ことが悪いと思っていなくて、自分を守ったり、identityを固める・濃縮する意味ではとても良い。というか自分には必要だった。

最近はエネルギーを出して、循環させることに注意が向いている。
もっと自分を広げて社会や人と接合してidentityを広げるターンな感じがしている。

ノートに残っていたメモ

収縮と拡大みたいに、この作業を繰り返して大きくなっていくのかな。

お金に対する価値観

年始くらいに近所の革作家の友達に「松さんはもっと稼ぐに振っていんじゃない」(的なニュアンスなこと)を言われて、なぜか頭をぶん殴られるような感覚があった。

数年前にメディアを売却してお金をいっぱい頂いて、次は「自分が好きなことで、意味のあることをやりたい」と言い続けはや2年くらい。

なんとなく「お金を目標に仕事するのはイケてない」みたいな観念がこびりついていたきがする。

もちろん今でも「お金がすべて!」みたいな極論なことは思ってないが、逆に「お金を求めてはいけない!!」みたいな逆地点の極論もおかしいなと思っている。

そのせいで、お金全般にブロックを作っていたように思う。

お金を受け取るのに抵抗があるのは「お金は払うと減る」という、マイナス側を見てるのかもしれない。
「払うと減る」は事実だけど、その分対価(商品やサービス)をもらってるからトントンになるはず。
むしろ「お金を払ったらこんな対価をもらえて幸せ☺️」に着目すると良いのかな。

お金が作ってくれる価値に着目して、豊かになっていきたい。

やりたいことはwhatじゃなくてhowだってある

自分が好きな「もの」をここ最近ずっと探していた。
「もの」というのは具体的なものを指していて、例えば「コーヒー」とか「アート」とか「本」とか「テニス」とかとか。

というのも、今の自分の周りに「革作家」とか「画家」とか「彫金作家」とか「ニッター」とか、「ダンサー」とか、なにか特定の「もの」に愛を持って提供している人が多い。

自分はそういう偏愛があまりないと思っていて、仕事についてもマーケティングで、特定のものを世に広める仕事だ。そんなこともあって、特定の「なにか」をずっと探していた。

が、自分の好きなことってわかりやすい「what」ではなく、「思考」とか「問題解決」とか「相談」とか「真ん中がなにか見る」とかそういう「how」的なものなのでは?と思った。


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