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やってやれないことはない26話 『そろそろの決断のとき』

ここまで要した期間は、4年間余りです。

私が決めていた病院再建の実施期間は、3年間が2年延びて5年間。

私が、職を得るためにこの地、この病院に来たのならそのまま定年まで職務に励んでいたでしょう……。

当初から、病院再建のために来たと意識していましたので、これからの人生デザインをどのように作っていくか思案のしどころとなります。

病院は、地域に必要とされて多くの患者さんが来院され、清潔で機能的な安心できる療養環境の中、常に97%の病床稼働率で入院待ちが出ています。

経営的には、非常に安定し、おかしな判断をしなければ順調に続けていけます。銀行返済も他借入金も順調に返済が進んでおり、将来の見通しが立てられるようになりました。

職員はプロフェッショナルとしての心構えはもとより、意識自体が変革して、病院全体の中での自分の仕事になっています。

セクショナリズムは、技術者集団である以上、完全に芽を摘むことはできませんが、感情ではなく、理性によって醸成され育まれた職場環境で、多くのコミュニケーションが活発になりました。

職員の福利厚生は、多くのメニューを就業規則内に置き、離職者の激減と新入職者の安定化に寄与しました。                              また、嬉しいことに、過去に退職した方達が、評判を聞きつけて再就職してくることも増え、職員募集をかけることに奔走することもなくなりました。

5年目を迎えるにあたって、ここまで知恵のすべてを振り絞って再建した病院ですから、このままで仕事を続けることも一理あります。

これからの人生にヒントを求めて書店に向かうと、ふと目についたのが、大学入学の文字。

私の先の事情で進学できなかったことが、脳裏をよぎりました。

その雑誌を手に取り、読み進むうちに自分へのエネルギー充填の意も含めて大学で学ぶことを意識しました。                            御年47歳で大学に入学できるのか、高校の勉強からは29年も遠ざかっており、不安は尽きません。

調べると社会人入試という制度があることを知りました。

社会人入試で入学できる大学と学部が多いこともわかりました。

獣医学部も数校ありました。

悩んだらいつも原点回帰です。
私の人生最初の職業選択は獣医師でした。

試験科目は、大学によって多種多様です。
正攻法で沢山の試験科目を勉強しなおす時間はありません。
小論文と面接試験の大学に絞り、受験することにしました。

6か月の準備期間でどれだけ受験対策ができるか、頑張りどころですが…

小論文の作成ポイント解説の参考書と小論文実例集の参考書を購入し、読み進めるうちに時間は無くなり、1冊読み終えたところで試験を迎えます。

雪が路面に凍り付いている12月、滑らないようにとの験を担ぎ、慎重に試験会場に入りました。
教室いっぱいの受験生は40人以上います。予備校の参考書やノートを持ち込んで復習しています。平均年齢は20代後半あたりかな?

先ずは小論文。800字で起承転結。頭に結論ありき。セオリー通りに書き進めます。時間の区割りは重要なので時計をチラ見しながら、ぎりぎり終了でした。

次は面接試験。昼食後に別会場の小部屋で実施です。
                                                   セオリー通りに挨拶して入室。入学案内で拝見した顔。学部長でした。
落ちて当然の入試です。腹は決まっていました。
                                                 学部長からの質問です。「あなたは、他の受験生より年齢が上だが、獣医師になって何をしたいのか」
                                                   私の答えは、
「獣医療の為に私の人生を無駄にするわけにはいきませんが、私の全ての人生経験を基に新しい獣医療に貢献できないかを考えています。」                                                学部長は、「わかった。それが分かればよい。終了」
学部長が、社会人経験者に求めることは、人生経験であると言いたかったのではないかと思っています。そうでなければ社会人入試が特別の意味を持つことはないと思います。

斯くして10日後の私の誕生日に一通の合格通知が届きました。半信半疑で7日間放置していましたが、合格の文字を信じて・・・母に報告。

理事長と病院長と看護部長に報告。
管理職10人は個別に話をしました。

私の離職理由は、
「20年間、医療機関等で勤務してきたが、私に唯一ないものは、根拠の確かな医学の知識だけです。これを身に着けられれば、もっと良い経営ができたと思っています。そのために大学6年間勉強してきます」

これにより、全員、表立って反対することはありませんでした。
但し、個別の話では続けることを望むと言われ、今までの仕事が無駄でなかったと安堵いたしました。

退職を間近に控えた時、総勢100名を超える職員が、街の中心部のレストランを貸し切り、送別会を開いてくれたことは大切な記憶の1ページとして焼き付いています。

商店街のアーケードの中で、めいっぱい高く胴上げされました。           今までの苦労が報われた瞬間でした。

そして北の大地へ向かいます。




このnoteは、私の人生において成功・完結・失敗・後悔などのストーリーです。 若い皆さんのヒントになればと思って書いています。 書いてほしいことがあれば、気軽にご連絡ください。 サポートは結果であると受け止めておりますのでよろしくお願いいたします。