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trigger

以下、再掲文。(加筆修正済み)

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道を歩いていて、
食事をしていて、
湯船に浸かっていて、
気の置けない友人と他愛ない話をしていて。

ふとした時に、トリップしてしまう事が、よくある。

大抵そういう時は、気付かぬうちに何かが自分の"五感"に働きかけていて、その"何か"に紐付いた記憶の世界に引きづられる、という只それだけであって、
思い起こしている「今」その瞬間に現実的な影響を及ぼす事など無いのだけれど、無いはずなのだけれど、

あの日あの時あの瞬間の、匂いや手触りや音や感情に至るまで、まるでつい今しがたの出来事でもあるかのように、燦燦と自分の身に降り注ぐ事も稀にあったりするもので。

自分が男性だからなのか、はたまたそうした事は関係なくて僕個人の人間性がそうだからなのか、どちらなのかは四半世紀以上を何とか生きてきた今でもまだ皆目見当がついていないけれど、とにかく。

「初恋の人」というのは、
僕にとって今も尚、あまりにも特別な存在として在り続けている。

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初めて「お付き合い」をしたあの人は、背がすらりと高くて、長く伸ばした真っ黒な髪がよく似合う、文字通り病的に線の細い、四つ歳上の女子高生だった。

その時僕は中学に入ったばかりの頃で、周りからは拒絶されて自分の内に篭り、女の子達よりもずっと背が低く、前髪を鼻まで伸ばし、いつも猫背で下を見つめて歩いている、陰鬱とした少年だった。

最初は、「姉弟」のような関係だったように思う。
彼女は僕を「何にも物を知らない可愛い男の子」だと思っていただろうし、僕は彼女を「新しい事を何でも教えてくれる綺麗なお姉さん」くらいに思っていた。

そうこうしている内に、ひょんな事から二人で過ごす時間が増え、そこかしこに足を運ぶようになり、居心地が良いと感じ始め、気付いた時には「そういう」関係になっていた。

男にしては長く伸びた僕の猫っ毛をぐしゃぐしゃと、犬にするように掻きむしるのが彼女は好きで、けれど僕は、何だかそれが「子供扱い」されてるようにしか思えなくて嫌いだった。

「これは、付き合ってるっていう事で、いいんだよね?」と真顔でおずおずと聞いた覚えがある。我ながら本当に可愛らしい馬鹿さ加減だなぁと、今になって思う。

それから。

彼女が洋楽にハマっていると知れば、
レンタル屋まで自転車を飛ばして借り漁ってはMDに焼き続け、
彼女がある小説家にご執心だと知れば、
学校の図書館で片っ端から著作を借りて授業中に机の下で読み耽り、
行きたいところがあると知れば一緒に行って、食べたいものがあると言えば一緒に食べた。

きっと、背伸びをしたい年頃だったのだ。同じ目線で話が出来るような、隣に立っていても恥ずかしくない、そんな存在になりたいと真剣に思っていた。

最終的には、今思い返せば笑ってしまうような、本当に下らない事でお互い意地を張り合って、あまりよろしくない終わり方を迎える事になったのだけど。
それまでの期間、彼女が僕に与え続けた影響はきっと、今日に至るまで脈々と、僕の中に根付いている。

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携帯が鳴った。
知らない番号からだった。

あれは確か大学に入学したばかりの頃で、
上京して一人暮らしを始め、右も左も分からなくて、友達もまだまだ出来なくて、
一人で潰す時間の驚く程の冷たさに飽き飽きしていた頃で、梅の花がそこかしこで香りを撒き散らし、桜の花はもうあと少しで咲きそうだ、という時だった。

おっかなびっくり電話に出ると、声の主は、数年前に別れたっきりの件の彼女だった。

社会人になっていた彼女は、あるツテを辿って僕の連絡先を知り、ついでに僕が上京をした事まで知っていて、

自分も暫く前から東京に出てきている事、
頑張って就活をして夢だった仕事に就けた事、
久しぶりに色々話をしたいのだというような事などを、流暢な「東京弁」で、一方的にまくし立ててきた。

数日後。
新宿の、小洒落たカフェで、僕と彼女はテーブルを挟んで向かい合っていた。申し出を断る理由は特に見当たらなかった。

4、5年振りに会った彼女は、自慢だった長い黒髪を男の子みたいにばっさりと切っていて、背は僕よりも頭一つ小さくなっていたけれど、
それでも、僕の口から出る他愛ない話にころころとよく笑う、あの時の彼女のままだった。

珈琲が出てくれば無言でスティックシュガーとポーションをこっちに寄越して
「使うでしょ?ブラック飲めないもんね。」というような顔をして、
頼んでもないのに店員に灰皿を注文して、驚く僕の目の前に置いて、
「吸うようになるだろうなぁって昔から思ってたよ。君は格好つけたがりだから。」と、猫みたいに意地悪く笑う、あの時の彼女のままだった。

「敵わないなぁ。」と内心苦笑しながら煙草を吹かす僕を尻目に、彼女は、
「私ねぇ、結婚するんだよね。」と。
唐突に、そう言った。
「旦那の仕事の関係で、夏からは海外生活になるの。」とも。

そこから、次の記憶はその年の夏に飛ぶ。

当たり障りなくお茶の時間を終え、新宿駅のホームであの日別れた彼女から、またしても突然電話があった。

「今ねぇ、空港なの。」
「どうせ暇でしょ?フライトまで時間があるから、見送りに来てよ。」と。

「どうせ」のところにわざわざスタッカートを付けて言う辺りが、彼女らしいと思った。

数時間後。
空港の、搭乗前の検査と手続きを待つ人々が腰掛ける場所の一角に、僕らは並んで座っていて、あーだこーだと、ここでもまた他愛ない話を僕がして、彼女が笑って僕の肩をバシバシ叩いて、そうして時間を待っていた。

飛行機の行き先と定刻を知らせる表示板が忙しなく動いて、彼女の乗る便が表示されて、
「じゃあ」と、お互いに立ち上がった後。

「あ、ちょい待ち。」と、
彼女が僕を呼び止めた。

「こっち向いて。」と彼女が僕の肩を掴んでぐるっと回し、土足のままでぴょんっと椅子の上に飛び乗って、にんまりと、心底意地悪く笑った。

訳が分からず目を丸くしながら見上げた彼女は、僕が「あの時」無理に背伸びをして追いかけた、背の高い、「綺麗なお姉さん」だった。

ぐしゃぐしゃと、犬にするみたいに僕の髪を掻きむしって、「じゃあね。」と、明るい声でそう言うと、放心している僕をその場に残して、大きなキャリーケースを転がして、颯爽と搭乗口に消えていった。

一度も振り向かなかった。

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ここまでドラマチックに書き綴った、僕の大層下らない恋愛経験は、その後特に盛り上がりを見せず、平穏な終わりを見せる。

3年ほど前に一度、これまた唐突に連絡が来て、
元気な赤ちゃんが生まれたと、飛び抜けて明るく幸せそうな声で報告を貰ったのが最後だ。

こんな事を今再び、ありありと思い出したのは、会社への行き帰りの途中に咲いている梅の花の香りが、きっと、そうさせているんだろうと思う。

若かったなぁ。と。青かったんだなぁ。でもそれは、今でも大して変わらないだろうか。と。

つらつらと思い返しながら、駅までの道を歩いていた今日。

携帯が鳴った。
見覚えのある番号からだった。

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