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アンサー、そしてラブコール

初めて、このアプリで文章を書いている。

いつだったか、インストールはしたものの全く活用すること無く、そのまま「その他」フォルダの奥深くにスワイプされたままだったこのアプリを、ひょんな事から先日改めて開く機会があった。

ある人(周知して欲しい訳ではないようだったから、名前は伏せておく)の文章を過去の投稿まで遡ってゆっくりじっくりと読ませて貰って、ただただ純粋に「良いなぁ」と思って、今日また頭から読み直して。
そうして今、自分もここで文章を書いている。

自分も今何か、文章を書きたいなぁと思ったからだ。思わされた、と表現した方が正しいかもしれない。だから、この最初のエントリーは(多少格好つけて言わせて貰うのならば)その人だけに向けた「アンサーソング」ならぬ「アンサーブログ」という事になるのだろうと思う。

「エモい」という若者言葉が、もう大して若くもない癖に自分は妙に好きで、日々事ある毎に口に出しては発している。
若者言葉特有の嘲笑的なニュアンスで受け取られてしまう場面が多々あることも勿論重々承知の上で、それでもあえて使わせて貰うのならば、その人の文章をいくつか読み終わった後の感想は「エモいなぁ」という、正にそれだった。

文書というのは本当に不思議なもので、きっと、普段の会話やLINEやメールでのやり取りとはまた全く違う、その人の人間性の側面の一つが色濃く出てくるものだと強く思っている。

「恥ずかしいから、こっそり見てね」と、ここのアカウントをこっそり教えてくれた時にその人は言っていたけれど、その気持ちも、だから本当によく分かる。

誰にでも見せたいという訳ではないのだ、文書の中に居る自分というのは。少なくとも自分は昔も今もそう思っていて、だけどそうした自分の一面というのも大事な一部分ではあるから、中々もどかしく思いつつも色々な場所で様々に、文書を書いては残してきた。

だからこそ自分の様な人間にしてみれば、書いた文書を読ませてくれるという事は只それだけで凄く嬉しい出来事なのに、更にはその文章達が真っ直ぐに自分の好みだったりした日には、もう居ても立っても居られなるくらいに多幸感を感じてしまう。

こんな事を書いてしまうと、次にその人と顔を合わせる時に物凄く恥ずかしい事になるのは目に見えているのだけれど、それはそれでまた面白いので良しとしようかと思う。
更新を楽しみに待つコンテンツが、新たに一つ増えた。もうそれだけで全てが許されるような、今は何故だかそんな気がしている。

だらだらと冗長な文章になってしまうというのが自分が文書を書く時の常ではあるのだけれど、要するに今回何を書きたかったのかと言えば、それは、

「貴方の書く文章が、僕も凄く好きです」

という。ただそれだけの、本当にちっぽけなラブコールに尽きるのである。

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