究極にかんたんな哲学・思想入門(字数:2,305字)

究極にかんたんな哲学・思想入門(字数:2,305字)


・はじめに

 哲学や思想にはざっくりいって2種類しかありません。

 哲学も思想もいろんな切り口でアプローチすることができますが一番大切なポイントは1つだけです。

 そのキモは物事を「ある」ものとして見るか「つくる」ものとして見るかということです。

 前者は古典西洋哲学や多くの世界中の宗教や思想が含まれます。

 後者は構造主義や大乗仏教だけです。

 ここでは簡単に「ある」と「つくる」の切り口を説明します。


・「ある」と「つくる」

 哲学や思想だけでなく物事を「ある」ものとして見るのは簡単です。

 「簡単」ではなく「簡単」どころか対象が何であれ「ある」という見方ができなければ異常と見なされてもおかしくないと言っていいでしょう。

 「ある」の考え方では物事には最終的にそれ以上由来を問えず無条件に「ある」と受け入れるしかない何かが少なくとも一つは存在すると考えます。

 普通に生活していると我々は普段絶え間なくいろいろなものが「ある」と感じながら生きています。

 これは自然言語を見ても分かります。

日本語の「ある」(あるいは「いる」「おる」も含めて)や、英語の「be動詞」はそれぞれの言語の中核をなしています。

「ある」に代わる考え方を考えだすのは大変難しいことです。

 「ある」の考え方を否定するためには物事には最終的にそれ以上由来を問えず無条件に「ある」と受け入れるしかない何か一つも存在しないことを納得させる考え方が必要になります。

この難しいことである、「ある」の考え方に代わるものとして考えられたのが「つくる」の考え方です。


・「つくる」

 「つくる」の考え方は全ての物事は必ず何かから作られていると考えます。

 「ある」の考え方のように少なくとも一つは無条件に「ある」という考え方を認めず、何かは何かから必ず作られていると考えます。

 一番簡単な例を考えてみましょう。

 世界にはAとBしかなく、AはBから作られていると考えてみましょう。

 ではBは何から作られているかと言うとAから作られていると考えます。

 自己完結的で循環論法的で騙されたような感覚になるかもしれません。

 もうちょっと数を増やして考えてみます。

 世の中にはA、B、C、D、Eの5つから成り立っているというモデルケースを作ってみましょう。

 AはBからつくられ、BはCからつくられ、CはDからつくられ、DはEからつくられているとしましょう。

 ここでEはA、B、C、Dのいずれからも作られていないとすればEを「ある」ものとして「ある」の考え方になります。

 しかしEがAかBかCかDからできていたり、あるいはAとBからできている、AとCとDからできているというようにA、B、C、Dのどれか一つやいくつかからできていればEもやはり何かからできているということになります。

 A、B、C、D、Eを使った別のモデルではAはBとCからできており、BはDとEから、CはDとBから、DはEとAから、EはBとCからできている様にすると矢印で示されるネットワークが出来ます。

 矢印はどれかから出てどれかに向かっているので起点と終点があります。

 AはBとCからの矢印の終点であり、これはAがBとCをつくる要素の一つになっていることを表します。

 同時にAから出る矢印がDを終点としているので、AはDを作る要素になっています。

 このように要素同士を矢印でつないで色々なモデルをつくることができます。

 そのようにして造られたモデルのうち、例えばAが矢印の起点であっても終点にはならない場合にはAは他の要素を作ってはいても、他の要素を作ってはいないのでAは「ある」と定義してもいいのかもしれません。


・万物の根源と循環

 「ある」の考え方は万物には根源があると考えます。

 上の例ではそこから矢印が出ても、他の矢印からは指されないものは「ある」という考え方と親和性があります。

 古典哲学では万物の第一原因と呼ばれたり、宗教では「絶対者」「あってあるもの」みたいな呼ばれ方をします。

 西洋の古典哲学や一神教ではこの考え方になります。

 一方全ての要素が矢印から指されると同時に矢印の起点となるならばどの要素も「あるもの」という考え方は必要な何かにつくるられ何かをつくる循環の一要素になります。

 これは現代哲学や大乗仏教や数学の群論や圏論などの考え方になります。


・物質や空間や連続の例

 古典哲学では当たり前のように物質や空間を連続で連結で超密なものと考えます。

 「存在は延長である」とデカルトは考えました。

 「質点の集合が剛体である」と古典物理学では考えました。
 
 これは考えているようで実は何も考えていないと現代の科学や哲学は指摘しました。

 点や数、あるいは集合論でいう元が連続であるかどうか存在論の根源に関わる問題で深めて原理的に考えなければいけない問題です。

 そのために現代の数学者や哲学者は努力し現代数学や現代哲学を作りました。

 そこで大切なのは時に「ある」と言う発想を離れて「つくる」という発想だけで理論を構築することです。


・おわりに

 「ある」と言う考え方を使うことは精神発達の過程で自然にできる様になります。

 「ある」と「つくる」の考え方は同時に共存できますが、哲学の問題を分かりやすくするために「ある」の発想を排除して「つくる」の考え方だけで思考を構築するのが構造主義の考え方です。

 「ある」は言い換えれば「実在」「存在」「リアル」で「つくる」は言い換えれば「構造」「ストラクチャーです。

 存在を「ある」という感覚でなく説明する理論の体系を「つくる」が構造主義になります。

現代哲学を広める会という活動をしています。 現代数学を広める会という活動をしています。 仏教を広める会という活動をしています。 ご拝読ありがとうございます。