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悪党には悪党の理屈がある

 拓人の心には、考える事を放棄して、場に染まりたい悪魔がいるようだった。そう考えると、この車から飛び降りてしまいたい衝動は、自分の良心かもしれないと思うほどの冷静さは、彼には残っていた。
「今更やめるなんて言うなよ。それとも、ビビってんのか?」
 拓人を挑発するように、黒木と名乗る若い男が、助手席から笑いながら話しかける。後ろに座っている拓人からは、黒木のボーリングシャツの袖から、蟇肌革のような入れ墨のぼかしが見えていた。
「こいつ初めてだな?」
 運転席の男が、拓人の事を舐めた感じでそう言った。彼のユーザーネームは、アカシ。アカシの言葉に拓人は心の中で反発した。
「くだらない」
 しかし、口には出さなかった。
「アカシさん。こいつ、野球してたらしいっすよ」
 冷静な思慮と、元の場所への憎悪が、拓人の心の中で激しく戦っていた。「もう夏が始まっている」そう思う事も冷静さの象徴で、自分に憤ることが憎悪だった。
「はぁ? 野球? だからなに?」
 アカシが自分だけでなく、野球の事を馬鹿にしているのが拓人にはわかった。
「いや。まぁ、ここ一番の根性はあるって事っすよ」

 テレグラムで、指示役のケイトクから、この二人と合流するように伝えられた。拓人は彼等の本名も素性も知らない。ただ、強盗の計画は、3人でしかできないとの事だった。拓人は本人確認として、ケイトクから自分の運転免許証の写真を送るよう求められた。軽い気持ちで応じたが、すぐに拓人は後悔した。
 金が欲しかった。
 それだけではなかった。行き場のない自分に心が荒んでいたのかもしれなかった。

「お前、ぜんぜん喋んないね」
 アカシがバックミラー越しに拓人の方を見た。
 深夜の幹線道路は遠くまで見えた。他にはトラックが疎らに走っているだけだった。どこにでもあるような街並み。ナショナルチェーンのダサい看板。個性もクソもあったもんじゃない。民家は沈黙したように照明を落とし、その中では幸せなフリをした、くだらない人間どもが寝ているんだと拓人は思った。そんな景色を見て「やってやる。畜生」心の中でそう叫んでいた。
「そんな事ないっすよ」
 拓人の声は、誰かがボリュームを絞ったような小さな声だった。
「どこだった?」
「え?」
「だから、ポジションだよ」
 野球を馬鹿にしていると思っていたアカシの質問に、拓人は何の事を言っているのかわからなかった。
「アカシさん、野球詳しいんっすか?」
「黒木。お前に話してねぇ。ぶっ殺すぞ」
 二人の関係性が、拓人にはわからなかった。これは組織なのか、寄せ集めなのか、拓人には想像が及ばない。ただ、アカシに吠えられた黒木が素直に黙った所をみると、ヤバそうに見える黒木よりも、それほど歳の離れていないアカシの方が立場が上なのだろう。
「ピッチャーっす」
「もうやらねぇのか?」
「やらないっす」
「なんで?」
 何となくだが、アカシも野球をやっていたと拓人は思った。そうじゃなければ、こんな時にこんな意味のない会話をする訳がない。
「俺、もう投げられないんですよ」
 アカシは、突然車を停めた。
「おい。ボウズ。降りろ」
「アカシさん。遅れたらマズいっすよ。あいつら起きちまいますよ」
「お前は黙ってろ。黒木」
 拓人は何が起きているのかわからなかった。ただ、何故かアカシの怒りの矛先が自分に向いている事だけはわかった。
「降りろってんだろ!」
 セダンの後部座席のドアを開けられ、拓人は髪を掴まれて外に放り出された。続けさまに顔を殴られた。アカシの体は拓人よりも大きく、殴った手の圧力を感じた。
「お前は帰れ。投げれない? 投げないだけだろ?」
「アカシさん。それはマズいっすよ。ケイトクにどう言い訳するんすか?」
 黒木が口を挟んだ。
「俺らで充分だ。こいつはいらねぇ。足を引っ張るやつだ。わかるか? これからやる事は場合によったらコロシだ。こんな中途半端な奴はいらねぇ。おい。ボウズ? わざとボールを当てた事あるか?」
「ないっす」
 再び拓人は再び殴られて、その場に倒れた。拳が当たった鼻付近が生温かい。手で拭うと、手が赤く染まった。そして、頭の中でキーンという音が響いた。
「クソが」そう言われ、唾を吐かれた。
「本当に、こいつを置いていくんすか? なんでこいつに妙に肩入れするんすか?」
「黒木。黙れ」
 抉りだすような目つきだった。それだけで、黒木は、おとなしく車に戻っていった。
「投げられないなら、打て。俺みたいになるんじゃねぇよ。人に怪我させるってのは、悪じゃねぇ。弱さだ。弱さに堕ちたら、戻れねぇんだ」
 そう言ったあとに、アカシは再び拓人を蹴り上げ、車に戻り、音を立てながら去っていった。
「なんだってんだ」
 幹線道路の街灯が拓人を照らしていた。拓人は、どこかでアカシの顔を見た気がした。いつかの夏の甲子園で、1年生ながら抑えのエースとして準優勝した、あの顔を思い出した。


おわり
 


 

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