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【アジア横断&中東縦断の旅 2004】 第10話 インド ゴア

2004年5月10日 旅立ちから、現在 128 日目

ミャンマー出国後、バングラデシュを経由し、インド東部の町カルカッタに入る頃には北京から旅を始めて4ヶ月が経っていた。

学生の頃に一度インドには来たことがあったがその時は北部を中心に巡ったので、今回は南部も含めてぐるりと一周しようと考えていた。

カルカッタから東海岸線沿いにいくつもの町を通ってインド最南端のコモリン岬に到着した。

カルカッタのリキシャマン
町中を牛が闊歩する
コナーラク スーリヤ寺院
駅のホーム
南へ
マハーバリプラム 象が引いても動かない「クリシュナのバターボール」
マドゥライ ミナクシ寺院
カーニャクマリのバスターミナル
インド最南端 コモリン岬


インド南部は北部に比べてのんびりとした空気が流れており、人々もおおらかだった。
ちょうどこの時期インドは一番暑さが厳しい季節だったが私は精力的に町を歩いた。


そしてインド入国から1ヵ月程経った頃、西海岸のゴアという町にたどり着いた。

ゴアは長いことポルトガルの植民地だったため、旧市街には西洋的な古い教会や十字架の墓がたくさん建っていて、その美しい町並みがそのまま世界文化遺産として登録されていた。
広いインドでは地方ごとに文化が全く違うが、ここゴアにもまた他のインドとは全く違う文化があった。
かのバスコ・ダ・ガマやフランシスコ・ザビエルもかつてこの地を訪れた。
町の中心部にあるボム・ジェズ教会にザビエルの遺体が安置されている棺があった。その棺の前に立ち、いつか教科書の片隅で見たザビエルが今自分の目の前にいるのだと思うと、自分の中でまた一つ歴史がつながったような気がした。 

ザビエルの眠るボム・ジェズ教会


ゴアの市街地を離れ、浜辺の方に行くと昔ながらの静かな漁村が広がっていた。
私はその村の浜辺からほど近い安宿に泊まっていた。
そこにはゆるやかで平和な時間が流れていた。
どこまでも続く浜辺、生い茂るヤシの木、古い教会、気さくで陽気なゴアの人々、そしてたくさんの動物たちに囲まれていると一日があっという間に過ぎていった。
ゴアは大陸の西海岸に位置しているため、一日の終わりには海に沈む大きな夕陽を見ることができた。
夕方になるといつも浜辺に集まってくる現地の人たちの中に紛れて毎日その夕陽を見てのんびりと過ごした。
そのようにして、もう10日間もゴアにいた。

ゴアの子供たち


その日、2、3日降り続いた雨も止んで久しぶりにカラッと晴れたいい天気だった。
私は腕時計も財布もカメラも全て宿に置いたまま何も持たずに浜辺に行った。
波打ち際から少し離れた場所で横になってぼんやりと海を眺めていると、茶色く大きな犬がふらりと私の隣にやってきてそのままそこで横になった。
そして私と同じようにぼんやりと海を眺めていた。

しばらくそうしていると、波打ち際の方にたくましい身体をした老人がどこからともなくやってくるのが見えた。
老人はしばらく海を眺めた後、ゆっくりとTシャツを脱いで一歩一歩踏みしめるように海に入っていった。
そして波に向かって「さあこい!」という様な感じで両手を広げたり、波に揉まれて「おいおい、今のはないだろう!」というように天を仰いだりしながら、海と会話するように何分も何十分もそうやって楽しそうに波と戯れていた。
たくましいその体つきからして若い頃は漁師だったのかもしれない、そしてきっと今でも海が大好きでいつもこうやって海に来るのだろう、そんなことを勝手に想像しながら、私も何分も何十分も海とその老人を眺めていた。
私の隣で横になっている犬も、私と同じように海と老人を眺めていた。

ゴアの夕日


日が沈み始め空が紅く染まりかけてきた頃、老人はゆっくりと海から戻ってきた。
そして名残惜しそうに一度海を振り返り、またこちらを向き返ったときに少し離れた場所にいた僕と目が合った。
私が、お~い!というような感じで大きく手を振ると、老人は少し照れ臭そうに、だが、とびっきりの笑顔で手を振り返してくれた。
そして夕陽に照らされながら、来た時と同じようにゆっくりとどこかへ去っていった。
犬はまだ私の隣で横になりながら、紅く染まってゆく海を眺めていた。

とても平和で、そして幸せな時間だった。
このような瞬間に出会うために私は旅を続けているのかもしれない、と、その時ふと思った。


続く
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