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【誕生】無痛分娩をしたぞ!の報告

※ヘッダー画像は産院で出されためちゃくちゃ美味いご馳走です。本当においしかった。

 苦節何年だっけ……とにかく子を授からなかった私こと秋月翼、このたび無事出産致しました!ヤッター!
 産院では無痛分娩を希望しました。周囲で無痛分娩をやったことのある知り合いがほとんどいないため、せっかくなので簡単にまとめておこうと思います。


無痛分娩とは?

 簡単にいえば、麻酔を投与して陣痛の痛みを和らげながらお産に臨むというものです。

HPが削られない!

 無痛分娩は十数万円程度〜のお金がかかります。が、それだけの価値があった!
 とにかく体力を温存できるんです。陣痛って子宮収縮の痛みがだんだん強くなるものなんですが、私の場合麻酔が副反応もなくてきめんに効いて、「子宮がキュッとなる感覚はあるけど痛みだけ取り除かれている」という状態でした。
 この痛みを麻酔なしで感じていたら、胎児の頭が通れるぐらいに子宮口が開くまで何時間も脂汗垂らしながら耐えることになります。それが無いのは実に平和です!

具体的にはこんな感じ

 利用した産院では、陣痛が起こる前の段階で、背骨の硬膜外という箇所に麻酔を入れるための針とチューブをセットする「計画無痛分娩」を行いました。
 ベッドの上で背中を出し、先生の指示に従って猫背気味に丸まって処置を受けます。細い針で局所麻酔して、それから本チャンの麻酔を入れるためのチューブを繋ぐ太い針を入れていきます。これがまぁ普段刺さない場所に針を刺すのでそこそこ痛い。でも処置自体はすぐに終わりました。
 その後少量のテスト用麻酔を入れて体調が急変しないかどうかを確認したら、陣痛が来るまでチューブをテープで背中に固定して待ちます。

 無痛分娩の麻酔は陣痛の痛みを和らげるものなので、MAXの痛みが来てからでは麻酔の効きが遅くなってしまい意味がありません。そこで妊婦自身が「これはぼちぼち麻酔欲しいかも……」ぐらいの痛みを感じたところで麻酔を入れてもらうことになります。私の場合は、普段の生理痛を基準にしました。生理で一番痛い時の痛みを越えつつあるなぁというタイミングで助産師さんに連絡しました。
 麻酔投与開始に伴い、血圧計・パルスオキシメーター・点滴(水分補給用)・胎児の心音を聞くための装置を付けられます。母子の体調に変調が無いかどうかをこれでモニタリングするのです。

 麻酔が効いてくると、陣痛のみならず子宮口の開き具合を確かめるための診察(これがまぁ痛くてつらい)の苦痛も減って快適なんですが、その代わりに当然体の自由が利かなくなります。局所麻酔なので多少痺れは出ても意識はあるし四肢も動かせるのですが、ナチュラル膝カックン状態というか、自分の体重を支えられなくなるために危なくてトイレにも立てなくなり(この辺は個人差あると思います)、尿はカテーテルで引っ張って出してもらうことになります。まさに要介護。陣痛が進むまでひたすら横になって過ごすことに。

お子爆誕の現場

 ここからは私の今回のお産の話です。
 無痛分娩でもお産の最終段階、胎児の頭が出るか出ないかのあたりではもうだいぶ痛かったです。
 腰〜尻〜脚の付け根に渡って駆け巡る痛み!痛すぎて麻酔の追加を一度だけして、1〜2分ごとに来る陣痛に合わせて深呼吸といきみを繰り返しました。やはり初産なので子宮口が開いてもなかなか胎児の頭が進んでこず、深夜2時間以上に渡って上記の深呼吸&いきみを行ってバテてきました。1分という僅かな陣痛インターバルの間にも白目を剥いて寝落ちしそうに……。

 いくらHPを温存してきたとしてもここからさらに1時間とか2時間とか続けるのはしんどい(続ければいずれは出てくるみたいなんですが)ということで、先生と助産師さんのサポートを受けることに。出口が狭いので会陰切開の処置を受けました。切る時の痛みは麻酔の効果で感じませんが、産後傷が治るまでは痛みと戦うことになります……。
 そして先生が胎児の頭を器具(吸引分娩)で引っ張り、助産師さんが私の腹を上から押し、それとタイミングを合わせて私が全力でいきみ……この連携一発目でスポーンと頭が!出たのでした!
 もう既に腰と股と尻がえらいことになっててわけがわからなくなっていましたが、助産師さんに言われるままに呼吸を必死で行い、ついにお子の全身と対面することができました。泣き声も力強く、さすがは出てくる直前まで腹の中で元気に大暴れしてただけあると思いました。

おれたちの生活はこれからだ……

 そう、ここからが本番なんですよね。
 実は今これを書いているのは出産した翌日なのです。爆睡するか飲み食いするかこれを書いてるかしかしていない。やっぱ記憶が新鮮なうちに書きたくて……!
 もう切開の縫い痕がいってえのなんのて。横になってる間はいいけど起き上がると子宮収縮とのコンボでさらに痛いし、失血していたので朝食が体に巡るまでは立ちくらみがひどくて立ち上がるのもままならなかったです。朝食も麻酔の影響で手がアホになってて食べるのも一苦労でした。
 これを休み休み乗り越えて小さな小さなお子の世話も始めて、とやっていかねばならんのです。おまえさんも外に出てくるためにがんばったものなぁ。お子も一緒の生活が……始まる……!

これまでの経緯はこちら


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