見出し画像

自由な関係は、ときに無関心を生む

夫は穏やかな人である。感情の起伏があまりない。鈍感力が高いとも言えるし、ドンと構える大きな器量があるとも言えるだろう。でも、不意打ちには弱い。うたた寝を起こそうと肩を叩けば、オバケを見たかのように驚いて動悸がしているし、マイカーの10年モノのナビがナビゲーションに遅れたとき、切羽詰まって決めた曲がり道は、大抵、目的地の逆へと続いている。

そんなとき、私だったら「起こさなくていいのに」とか「今日はついてない日だ」とかなんとか言って、自分以外のものに不運をなすりつけ、心を落ち着かせようとしてしまう。だが、夫はそんなことはしない。気にする素振りもなく、「それが日常」と語っているかのように、静かに受け入れている。

世の人や物事、すべてにおいて、「自分が完璧にコントロールできるものなどない」と、思っているからだろう。夫と一緒にいるようになって14年。これまで一度も、夫の意のままに何かをさせられたことはない。夫の所有物にさせられた覚えもない。専業主婦の時期も長くあったが、食べさせてもらうことに気兼ねするのは私の方で、夫はひとつも偉ぶることはなかった。夫の横で、私はずっと私でいることができている。

ありがたい。非常にありがたいのだが、この自由な関係に腹が立つときがたまにある。それが今日、久々にやってきた。陣太鼓を叩こうとする腹の虫たちを抑えるのに必死なので、こうして夫の良いところを書き連ねて、なんとかねじ伏せようとしている。

以前の夫は仕事が忙しく、在宅時間も短いことから、家庭を顧みる余裕がなかった。けれども、多忙の中でも有無を言わさず家事育児をこなす方はたくさんいるので、それは厳密には言い訳にならない。私が専業主婦でいることは、「家庭のことは任せる」という夫の意思表示でもあった。

私は自由に子育てをする権利を得た。しかし、それは無関心の始まりのようにも思えた。夫に子育ての苦労を吐露しても「そうかそうか」と頷くだけ。何があっても小言を言われることはなく、穏やかに耳を傾けてくれたが、私が求めていたのは、一緒に泣き笑いしながら育児の困難を乗り越えていくパートナーだった。特に兄が小さい頃は、初めての育児に切羽詰まっていて、遠くで温かく見守る存在に価値を感じられなかった。互いのテリトリーを侵害しない夫婦関係は自由でラクだが、常に無関心と隣り合わせにある。

コロナ禍になって、在宅勤務がメインになった夫。それから我が家の生活スタイルはガラリと変わり、子育てにおける夫の無関心は大きく改善された。

コロナに感謝し、私にとってはボーナスタイムかのごとく過ごしてきた半年だったが、そろそろ新しい生活にも慣れてきた。慣れに乗じて表出するあれやこれやに不満も出てくる時期である。

腹の虫がざわめき始めたきっかけは、洗濯物だった。畳んでくれるのはありがたいが、ハンガーのしまい方が乱雑すぎる。雑というか、本来の収納場所ではないところにわざわざしまうのはなぜだ。朝、洗濯を干すのは私である。いちいちハンガーを探していたら、作業効率が下がるではないか。すでに何度も目を瞑ってきたが、今日はなんだか我慢ならない。

これまでの経験上、言ったところで「じゃあもうやらない」とヘソを曲げるか、結局、定着しないかのどちらかしかない。この話も昔々に一度は出ている話題である。要は、夫はハンガーのしまい方に関心がないなのだ。そりゃそうだよね。忙しい朝に、作業効率がグンと下がる苛立ちを実感したことがないのだから。

じゃあ夫にやってもらおうか。でも、そもそも起床が遅いから、仕事開始までに終わらないのでは、とかなんとか、今度は別の面倒が頭をもたげる。正直、そこまでして解消したいという熱意もこちらにないので、もういいや、となることがほとんどだ。でも、ちりつもでこういう出来事が積み上がっていくと、腹の虫たちがケンカを売りたがってウズウズする。

夫は、私がちりつもな出来事を山盛りいっぱい積み上げていることなど露知らず、今日もいつものペースで過ごし、夜はのんびり読書をしている。私の心の機微など気にも留めていない。今、私が何も言及しなければ、いつものように今日は終わっていくだろう。さて、どうしようかな…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?