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たかがドーナツ、されどドーナツ

小4との口げんか。くっだらない、ドーナツの分け前について。ちょっと冷静になればどーってことないのに。

ことの顛末はこうだ。

兄とウォーキングに出かけた帰り、ドーナツを買うことにした。自宅から2駅先にあるフロレスタのドーナツ。素材の味が口の中にパッと広がっておいしい。腹持ちがいいのもグッド。

メニューは選べないが、8個セットがお安いとのことで、決定。我が家は4人家族なので、ひとり2個ずつでちょうどいい。甘いものが好きな兄は、喜び勇んで帰宅の途に着いた。

さぁ、食べよう、と包みを開けると、弟が飛んできた。「わーい!ドーナッツ、ドーナッツ!」 弟も、兄に負けず劣らず甘いもの好きである。

メニューは、プレーン、シュガー、シナモン、コーヒー、塩キャラメル、チョコレート、ホワイトチョコレート、いちごチョコレート。

後ろの4つはコーティングがされていて、見た目的にポイント高し。子どもたちはコーティング系がいい、と言い出すだろうと想像しながら、「どれにする?」と聞いてみた。

「これ!」

あーあ、かぶった。ホワイトチョコにダブルでご指名が入る。弟は目に涙を浮かべ、「これがいいの!」と、珍しく駄々をこねた。それを見た兄。「じゃあ僕はチョコでいいっ」と、こちらも目に涙をためて捨て台詞を吐いた。

なんだかそれが、気にくわなかった。

ホワイトチョコを食べたい気持ちを押し殺し、自分が我慢すればいいんでしょ、という思いを前面に出しながら譲られても、譲られた方はまったくうれしくない。むしろ罪悪感さえ感じる。ホワイトチョコを食べたい気持ちが残っているなら、半分ずつにするなどの提案をすればいいじゃないか。

何度か似たような話をしたことがある。大方の分け前問題は、シェアの提案で解決する。今回もそれでいいだろう。

そういえば最近、こういうやりとりなかったな。昔はよくあったのに。なんて思いながら返事を待っていると、兄は今にも泣きそうな顔で、「だから、いいって!僕は普通のチョコでいいからっ!」と、強い口調で言い放った。

いやいや、ホワイトチョコが食べたいんでしょ。救いの手を差し伸べているのに、なんで素直にならないんだよ。と、心の中で思う。苛立ちが募る。

「半分にすれば済む話でしょ。お互い譲り合って、お互いおいしく食べるのが一番いいのに、どうして最初から自分に我慢を押し付けるの? それは相手にもストレスを感じさせることになるんだよ」。

そんなこんなで、兄と私が言い合いをしているうちに、弟はすっかり気が変わったらしい。「やっぱりぼく、くろいチョコにするー」と言って、ささっとチョコドーナツを皿に乗せ、食べ始めてしまった。いい性格してる。

やれやれこれで一件落着だ。と、思ったら、兄はまだ不服そうな顔でいた。

「何?」「なんでもない」「何でもないわけがないでしょ」「なんでもないよ!」「その顔、何でもない顔じゃないでしょ!」

「言いたいことがあるならいいなよ!!」

やってしまった。イライラに負けた。ふくれっ面になった兄。自分の部屋に戻り、ふて寝してしまった。最悪だ。

ふて寝をした兄は、そのまま眠りに落ちてしまった。私は歩いてすぐの実家で予定があったので、放っておいた。起きたら勝手に食べるだろう…。

それから1時間後。兄が実家に走ってきた。

「さっき起きてドーナツ食べたから。ゲームしてるねー」

機嫌はすっかり直っていた。私はもう、何も言わない。

「うん」

言葉が話せない小さな子は、イヤな気持ちになったとき、気持ちの整理がついていないことが多い。それがパニック泣きや、癇癪として表出する。兄はそういうシーンが多かったので、彼の心情を整理し、具体的な言動で説明することで、落ち着かせるような関わりをしてきた。

悪い癖だ。心情整理をしようと思うがゆえに、つい心理を追求しようとしてしまう。でもなんとなく虫の居処が悪いとか、バツが悪いとか、言葉で説明し尽くせない、ちょっとしたむかつきというのもあるだろう。それなのに、相も変わらず幼子と同じ対応をしているなんて。反省である。

反抗期の入り口も、もう少しで見えてきそうなお年頃。「お前が成長しろ」と、ドーナツにガツンと喝を入れられた気がした。


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