田舎の論理

「田舎」には論理がある。と思う。

それは、地域住民との方の古文書を読む会に参加していた時だった。古文書を読み終え、休憩しようと思った時、真っ先にお茶出しをするのは女性なのだ。男性の方が歓談している傍ら、女性は人数分の紙コップにコーヒーを入れ、ちょっとしたお菓子を準備。すぐに男性の方から配り始めている。明らかにそれは「女性の仕事」とも呼べる行為であったと思う。

これを聞いた人は、「女性がやるべきことだ」と安易にみなす差別を指摘するかもしれない。非協力な男性と休憩する間も無くお茶出しをする女性、性差に敏感になりつつある現代にとって、許されない事例の1つであろう。

しかし、これを差別と言うのは少々論理を飛躍しているのかもしれない。なぜなら、誰もこんなこと話題にしないからだ。そう、不思議である。なぜなのか、私も分からない。「男は仕事、女は世話焼き」の風潮が田舎にはあることだけは確かである。これを差別と呼ぶには何か大きなわだかまりがあってほかならない。

ただこれは男女平等ではない。現代の理念には即してない。しかし、男女対等といったらどうだろう。役目は違うけど、各々やるべきことはやる。そこに性差はないと考える。

田舎にはイコールで結ばれるほど、解の出ない方程式は多く存在する。ただそういう世界もあるんやデェ。

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