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エッセイ 映画『ハンナ・アーレント』を見る

タバコを吸いたくなる時はいつであろうか。
それは映画『ハンナ・アーレント』を見た時だと氏は主張する。

夫といる時でも、友人といる時でも、ひとり森林の中を歩いている時でも、アイヒマンの裁判について「悪の凡庸さ」と喝破した時でも、ハンナは必ずといっていいほど、タバコを吸っている。その雰囲気に乗せられて、ついついノリスケさんもタバコを吸ってしまうのである。

そんな不健康な主人公だが、映画の内容もとても健康的とは言えない。

ユダヤ人の大量虐殺を指示したアイヒマンの裁判について、雑誌に私見を述べたハンナ・アーレントの苦悩・格闘が分かる物語である。

上からの指示で虐殺を命令しただけと語るアイヒマンには悪意など無い。彼からすれば、ただ言われた通り、命令を遂行したという「お役所仕事」にほかならないのだ。また裁判では、虐殺にはユダヤ人指導者も少なからず加担していたことが分かってくる。

それらをハンナはどう考えるか。難しいところである。しかも、彼女自身もかつて収容所に捕らわれていた身であるのだ。

あらゆる矛盾が見えてくるこの作品は、今の時代でも考えさせるところが多い。内容の深部を捉えようとせず、表面的な部分だけを見て批判する大衆。当事者意識が強すぎるが故に、議論をねじ曲げる人々。ノリスケ氏も今までの生活でそのような場面に出くわしてきた。しかし、氏自身も加害者になっていたかもしれないのである。

「自分が絶対に正しい」なんてありえないのだ。
物事の好き嫌いが激しい人にはぜひ見てほしい作品である。しかし、好き嫌いが曖昧な人にも見てほしい。

つまり、全員に見てほしいということである。


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