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高円寺を舞台にして書いた芸人小説『天狗キネマ』(2015年)

芸人活動中は忙しさのあまり本を書くことが全然できませんでしたが、高円寺エトアール通り商店会の「まち起こし」的な企画として、おすすめの店が登場する短編小説を書きました。当時、松尾スズキさんから感想メールをいただいたことが、今も心の支えになっています。高円寺エトアール通り商店会で買い物をした方に無料配布されていた小説の冊子は、現在は入手困難となっております。関係者各位のご厚意により、その小説をnoteに無料公開します。取材させていただいたお店の皆様、登場人物の皆様にも深謝します。




 やんなくちゃ
 なんないときは
 やんなくちゃ
 なんないことを
 さあやんなくちゃ

 困ったときに脳裏に浮かぶ自作短歌である。
 黒地に白い文字で「歌人」とプリントされたTシャツ。白いバスタオル。茶色のタオルケット。それらのすべてが、たっぷりと水を含んでいる。ただの水ならまだしも、黒い水だ。いつもはスケッチブックを持ち歩くために利用しているオレンジ色の大きな肩かけ袋にそれらをまとめて詰め込んで、僕は阿佐ヶ谷から高円寺までタクシーに乗ることにした。
 元妻は一人目の夫と別れたあと、一人娘と阿佐ヶ谷に住んでいた。その家に僕が転がり込むようにして同居が始まり、息子が生まれたときには高円寺に住んでいた。一家で吉祥寺に引っ越したあたりから夫婦仲がまずくなり始め、週末婚を経て別居し、裁判所で離婚した。元妻は新しい家族を持ち、子供は合計五人いると噂に聞いたが、噂に聞いただけだ。
 僕の吉祥寺での一人暮らしは十年くらいだった。吉祥寺を舞台にして書いた小説が、はんぱにヒットして漫画化もされた。今その小説は吉祥寺のブックオフで大量に売られている。阿佐ヶ谷に「枡野書店」という名前の仕事場を持っているためお金に余裕があると思われがちだけれども、月々の家賃を払うのに精一杯だ。年老いた両親が二人そろって倒れて入院したとき、小平市の生家に同居する覚悟で長年住んだ吉祥寺のアパートを引き払ったのだが、意外と二人とも元気になってしまって僕がいなくても平気そうだ。寝るスペースなど全然ないように見える、床がコンクリートで出来ている枡野書店に泊まってしまう日も多い。風呂はないから近所の銭湯に行く。
 子供たちと一緒に行動していたころ、僕はよくタクシーに乗っていた。離婚裁判のとき「タクシーに乗りたがるなど浪費が激しい」と文書で責められたことが忘れられない。僕は今、阿佐ヶ谷から高円寺のたった一駅を移動するためにタクシーに乗ってしまっている。金もないのに。こんなとき「離婚していてよかった」と心から思う。妻がいたらどんなふうに怒られるだろう。一人って本当に楽だ。
 時間に余裕があれば徒歩でも行ける距離だ。自転車なら十分もかからないが、自転車を盗まれて一ヵ月になるのだ。盗まれたのではなく、相方の詩人が悪戯で隠したと思っていた。
 僕たちは「詩人歌人」というお笑い芸人コンビを組んでいる。相方は詩人で僕が歌人。僕は「歌人」と白い字でプリントされた黒いTシャツを、相方は「詩人」と白い字でプリントされた黒いTシャツを、それぞれ衣装として着ている。蝶ネクタイのかわりに、友達の映像作家モリミキさんが手作りしたアイロンビーズ製のリボンのバッジを首につける。
 詩人はNHK「詩のボクシング」全国大会チャンピオンで、ソニーから朗読CDを出したことがあるが、それは十年前のことで、最近はほとんど詩を書いていない。僕は高校の国語の教科書に短歌が載っているほど有名な歌人なのだが、デビューした二十年近く前からずっと短歌界には嫌われ続けてきた。教科書に載ること以上のことが、これからの人生にはないのではないかと思ったら、死にたくなってしまった。そんなときに元芸人の作家、松野大介さんに誘われて行ったお笑いのライブに感動して、お笑いの中で短歌を広めることはできないものかと二年前から試行錯誤を始めた。そんな強い動機を持っているのは僕だけで、相方は「有名な歌人とコンビを組んだら自分も売れるかもしれない」的な、いいかげんな気持ちで僕に近づいてきたのかもしれない。といっても、そういうことを言葉で直接言われたことはない。考えを僕にはなるべく伝えないようにしているらしく、何をきいても邪悪な目つきでニヤニヤしているだけだ。
「俺の自転車を盗んだの、詩人でしょ?」
 そう問いつめたとき、詩人は色白の巨大な顔でニヤニヤと笑った。肯定も否定もしない。だから肯定なのかと思っていたのだけれど、さすがに一ヵ月経っても戻らないということは、別の真犯人に盗まれた可能性が濃厚だ。
 タクシーの中、見慣れた風景を横目に眺めつつ、財布の中の小銭を数えた。遅刻したら十分につき五百円の罰金を払うという約束にしている。詩人が遅刻ばかりするのでそれを防ぐために考えた案だったのだが、僕のほうが遅刻してしまうこともどうしてもある。どんな事情があっても遅刻したら罰金、という決まりにした。そうしないと詩人は言いわけをするのがうまいから、「そういう事情なら仕方ないかな」と、ついついゆるしたくなってしまうのだ。でもその事情も大半が嘘だ。
 高円寺の西友の前に到着した。タクシー代は九百八十円だった。遅刻して五百円罰金を払ったほうが金額的にはマシだったわけだけれど、意地でも遅刻したくなかったのだ。腕時計を見ると約束をした正午まであと五分。コインランドリーに駆け込み、百円玉をいれた洗濯機に、黒く濡れたものたちをどっしりと投げ込んだ。慌てていて洗剤は持ってきていないが、しかたない。濡れたまま何時間も放置するよりはマシだと自分に言い聞かせた。
 どうして黒く濡れてしまったのかは、説明が長くなる。芸人のトークイベントで話したとしたら、「長いよ」と怒られて話を遮られるだろう。芸人はエピソードをコンパクトに話し、瞬時に笑いをとらなくてはならない。僕は話をはしょるのが苦手だ。嘘をつきたくない気持ちが強くて、細部を正確に伝えたくなってしまう。でも世間の人の多くは、正確さなんかどうでもいいのだ。面白ければ嘘でいい。その意味で芸人に向いているのは、嘘に抵抗がある僕よりも詩人のほうなのだろう。
 いろは寿司、という看板の出ている寿司屋の扉をあけた。客はまだだれもいなかった。ランチセットの、ちらし寿司を注文する。高円寺でランチを食べるなら寿司屋がいいとリクエストした詩人の、山梨の生家は寿司屋だという。それが本当なのかどうかもわからない。わりとよく妹の話をするのだが、その妹が実在するかどうかさえ最近は疑っている。
「どこから嘘なの」
 と問いつめると、
「全部」
 と答えたりする。その答え自体が嘘だったりもする。最近は真偽を確かめるのもめんどうだ。週に一度はどこかで会って話をしないと、お笑いのネタを考えることができないから、会いたくなくて体が震えてしまうのだが、色んな場で会うようにしている。わりとよく行くのは新宿二丁目のバーだ。きょうは高円寺で寿司を食べながら話すことにした。高円寺に用があるという詩人の都合に合わせたが、代金は向こうが持つという。笑えるほど私に金がなく、相方に臨時収入があったからだ。
 年が明けたらすぐ、R-1ぐらんぷりの予選が始まる。R-1ぐらんぷりというのはピン芸人の登竜門的なテレビ番組で、僕は去年初挑戦し、二回戦まで行った。詩人はこの十年で五回くらい挑戦していて、一度も二回戦まで行ったことがないそうだ。やっぱり才能のない、単なる嘘つきとコンビを組んでしまったのではないかという、暗い気持ちでいっぱいになる。
 店内の壁に、大きな亀の置物が飾ってあった。腕時計を見ると正午を十五分過ぎている。アイフォンに連絡が届いていないかと思ってジーンズのポケットを探ってみて、それを枡野書店に忘れてきてしまったことに気づく。あーあ。詩人は今ごろLINEで「遅刻します」と連絡しているはずだ。でもそれを読めない。
 トイレに行くと、枡野書店でつかっているのと同じ洗剤のにおいがした。掃除が行き届いていて清潔感がある。Tシャツやタオルなどを黒い水で濡らしてしまったのは、R-1ぐらんぷり予選でやるつもりでいるピンネタのために、スケッチブックに墨汁で文字を書いたからだった。乾くのが待ちきれなくて、トイレットペーパーで墨を吸収し、汚れた大量のトイレットペーパーを一気に流したら詰まってしまった。みるみる黒い水があふれて枡野書店の床の白いコンクリートが黒々とした水たまりになった。睡眠時につかっているタオルケットで水分をおさえたが、もちろんマットレスも濡れたし、衣装の「歌人」Tシャツまでもが浸水して収拾がつかなくなった。まるで僕の失敗人生の象徴のようだと思った。
 結局、ちらし寿司をおいしく食べ終わったあとも詩人は来なかった。詩人には、にぎり寿司のほうのランチを注文してもらい、半分ずつ味わいたかったのにがっかりだった。一時間も遅刻しているから、三千円の罰金だ。しかしアイフォンを忘れてきたのは痛恨事だ。
 会計のとき、まさかと思いながら、老夫婦らしき二人の、女性のほうに質問してみた。
「このへんに、お寿司屋さんって、ここしかありませんよね?」
「ありますよ。ミドリズシさんっていう」
 いやな予感が当たってしまった。
「え。ひらがなで『みどり』って書きます?」
「ええ。みどり寿司さん。うちのほうが代々、ここにあったんですが。エトアール通りの奥のほうに出来たんですよ」
「あー。そうなんですかー。美味しかったです、ごちそうさまでした」
 なんでもないふりをして店を出たけれど、ダメージは計り知れなかった。なにしろ昨夜、「西友の前の、古着屋とかがあるエトアール通りにある、ひらがなっぽい三文字の名前の寿司屋で待ち合わせよう」とだけ約束したのだ。だとしたら「いろは寿司」に入った僕も、「みどり寿司」に入ったのであろう詩人も、どちらも遅刻はしていない。むしろアイフォンを持ってこなかった僕のほうに、より落ち度があるとも言える。底意地の悪い目でニヤニヤする詩人の顔が脳裏に浮かび、自分でもあきれるくらい大きな溜め息をついていた。
 枡野書店にあるアイフォンに今ごろ届いているのだろう、詩人からの大量なメッセージを想像するだけで気が滅入った。エトアール商店会のはずれにある「みどり寿司」の店内を覗いてみても、そこに詩人の姿はなかった。
 高円寺で打ち合わせをしたことは何回もある。それは詩人が西荻窪で十年以上一緒に住んでいた男性が今は高円寺にいるせいもある。詩人は同性愛者なのではないかと思うほど言動が女性的だが、女性的という意味では僕だってだれにも負けないくらいだと自負している。しかし詩人があまりにも女性的なので、相方と一緒にいるときは一人称が「俺」になってしまう。コンビでよくやっているコントは、詩人の発案による「朗読ボーイズラブコント」だ。詩人と歌人が一緒に住んでいるという設定で、二人はささいなことで痴話喧嘩をする。詩人は歌人を怒らせれば怒らせるほど美しいポエムをつくり、それを朗読する。歌人は詩人を傷つければ傷つけるほど美しい短歌をつくり、それを朗読する。その言葉の力によって仲なおりする、という意味不明のコントだ。
 たぶん芸人の先輩方には、二人は本当に肉体関係があると思われているだろう。僕は離婚後に新宿二丁目に通うようになり、一時は男性と交際してみようと本気で考え、男性専用のラブホテルに入ったことまである。そのことを「アウト×デラックス」というテレビ番組で話したら、ほかにも色々なことを話したのに、放映されたのがそこのくだりだけだった。十年以上会っていなくて中学三年生になっているはずの息子は、実の父親がこんな馬鹿な男であるせいで、学校でいじめにあってはいないか。心配している。しかしその僕の気持ちをわざと逆なでするように、詩人が初めて自分で全部書いてきた漫才の台本は、「生き別れの息子と歌人が街でばったり再会したときの気まずいやりとりを想像してやってみる」という内容だった。そんな悪魔みたいなことを思いつくのも恐ろしいが、悪びれもせず僕に提案できることはもっと恐ろしい。いちばん恐ろしいのは僕がその台本を受け入れて、ステージでやってしまっていることだ。
「あの、もしかして、枡野浩一さんですか?」
 うつむいて歩いていたら、ふいに声をかけられて全身が固まった。
「はい」
 かろうじて答えた。いかにも高円寺にいそうな古着をお洒落に着こなした女子だった。
「くじらの本、持ってます! 小学生のとき、母がプレゼントしてくれて読んだんです!」
 高揚した顔で言われて、何のことだか一瞬わからなかった。それは1997年秋に発売された僕のデビュー短歌集のことだ。表紙と中に抽象的なくじらの絵が出てくる。その絵をかいたのは当時はまだあまり名前を知られていなかったオカザキマリさんで、今はおかざき真里という別名で人気漫画家になっている。
「ありがとうございます」
 力なく言って、求められるまま握手をした。こういうとき、もう一歩アクションを起こせば孤独でないクリスマスイブを過ごせるのかもしれないが、だれかを愛したり愛されたりするのはこりごりで、うっかり素敵な恋が始まったりしないよう気をつけて生きている。
 詩人歌人の宣伝用フリーペーパーはきょうも詩人が持っているはずで、それを女子に渡せなかったことだけが心残りだった。でも短歌集の愛読者は今の僕の活動を知ったら、失望するかもしれないとも思う。ツイッターで芸人活動の告知をするたびにフォロワーが減る。だれも歌人がお笑い芸人をめざしてがんばっている姿など見たくない。だいたい僕はすでに四十六歳で、「アウト×デラックス」でたくさんの愚痴を優しく聞いてくれたナインティナインの矢部さんよりも年上なのだ。
 以前打ち合わせで入ったことのある「あまから亭」も覗いてみたけれど、そこにも詩人はいなかった。この店には木村拓哉のサインと植田マサシの直筆イラストが飾ってある。それを見つけたときの詩人のはしゃぎっぷりにはうんざりした。詩人は有名人が好きなミーハーなのだ。いつだったか、僕たちが拠点とするお笑いライブ会場のある千川の町に、NHKで一世を風靡した「のっぽさん」がいたということで、すごく興奮したLINEが届いたことがあった。「こんなドシロウトとコンビを組んでしまったのか」と心底悲しくなった。
 僕は狭い活字界隈では顔も知られていて、街角で握手を求められるような暮らしをずっと続けてきた。だから有名人と会ったからといって、詩人のように、はしゃくごとはできない。高円寺のバーで深夜、好きなロックバンドのメンバーにチョコレートをもらったということを嬉々としてツイッターに連投しているのを見たときは、なんだか腐れ縁の恋がさめてしまったかのような冷淡な気持ちになり、コンビをやめようと誓った。その僕の気持ちを敏感に察した詩人は、花束とワインを持って枡野書店に謝りにきたのだ。謝られるようなことはもっとほかにいっぱいされてきたと思う。節分の日に枡野書店のドアの外に勝手に豆まきをして何も言わずにいたこととかも、なんでか知らないが妙に腹が立った。
 何度も解散の危機はあった。あまりに解散解散と言っていたら、先輩芸人に「悲しくなるから解散という言葉をつかわないでくれ」と頼まれた。今は詩人歌人のあいだでは解散のかわりにキヌギヌ(後朝)という言葉をつかっている。一夜をともにした男女が朝になって別れるときのことをさした昔の言葉だ。
 詩人にお笑い芸人としてのキャリアが十年以上あったという事実を知ったのは、コンビを結成して半年経ってからだった。なんでそのことを隠していたのかと怒ったら、「きかれなかったから言わなかっただけ」という、妻帯者の浮気の詭弁みたいなことを言われた。
 セブンイレブンを覗いてみたが、詩人はいなかった。いつだったか芸人ライブの準備中に、ホットコーヒーを買ってきてほしいと百円玉を渡したことがあった。すると詩人は「百円のホットコーヒー」「もっと高いホットコーヒー」「百円のアイスコーヒー」「もっと高いアイスコーヒー」の四種類を買ってきて僕に選ばせた。むろん百円のホットコーヒーを飲んだ。詩人は残りのコーヒーを持って先輩芸人方に配りに行き、「歌人がコーヒーを買えって言うから買ってきたんですが、残ってしまったので飲んでください」と殊勝なふりをして言った。「つかいっぱしり? いつもそういうことさせられてるの? お金はもらったの?」「百円だけ」そんなやりとりをして同情を買い、飲みに連れて行ったもらったことがあると得意げに話す詩人のことが憎くてしかたなかった。百円のコーヒーを買ってほしいのだから百円しか渡さないのは当然だ。僕がホット以外は飲まないことを知っているくせに、いちいち被害者ぶる天才なのだ。
 そういえば、以前この近くの「RAINBOW」という店で夜中の0時に待ち合わせたことがあった。LINEで「日付が変わるころRAINBOWに行くってどう?」と連絡したら、返信がなかった。枡野書店で返事を待っていたら、ツイッターに「歌人と待ち合わせしたのに、待ちぼうけ中です。ワインがぶ飲みしちゃうよ〜」と自撮り写真をアップしているのを見つけて、急いで高円寺へ自転車で走った。まるで僕が遅刻したみたいになってしまった。LINEに返事する前にツイッターで全世界に向かって発信するという悪戯。面白くない。僕は激怒した。
 昼間もあいているRAINBOWを覗いてみたけれど、詩人はいなかった。たまたまトイレに入っているときだったとしたら、縁がないのだからあきらめようと思った。枡野書店まで戻ってアイフォンを見たほうが早く出会えるかもしれないが、もう会いたい気持ちは0だった。
 一番星、という名前の米が売られている。「お米の高南」の店先で立ちどまった。お笑い芸人として、一番星のように、だれかに見つけてもらうことが今後あるんだろうか。僕は物書きとしてはテレビにたくさん出てきた。明石家さんまさんの番組で「踊る!ヒット賞」をもらったこともある。でも今、たまにテレビに呼んでもらったとき芸人活動のことを話しても編集でカットされてしまう。大阪の番組に出たときは司会者が大物女性芸人だったせいもあるのか、「芸人活動のことには触れないでください」と放送作家の方に直々にお願いされてしまった。自分が日々がんばっていることは逆効果なのではないかという気持ちに毎日なる。しかも相方が嘘つきだ。万一コンビで売れるようなことがあったとしても、あの詩人が僕の尽力のせいで有名になったら、その責任の一端は僕にもあるんじゃないか。
 深い海の底にある珊瑚ですら、人は見つけてしまうのだから、どんな才能もきっとだれかに見つけられてしまうものだと、このあいだ亡くなったイラストレーターの安西水丸が何かのエッセイで書いていた。詩人は日大芸術学部で安西水丸の教え子だったらしく、よく食事をごちそうになっていたらしい。それも嘘かと思ったが、十年以上一緒に住んでいたイラストレーターの男性が同じ話をしていたから本当なんだろう。だとしたら、あの安西水丸に気にいられていたのに、今の段階でまだ才能を発見されてないなんて遅すぎる。
 比較的最近できた「シェパーズパース」というカフェも覗いてみた。詩人歌人の朗読ボーイズラブコントの小道具になる紙コップ入りのホットコーヒーを、この店で買ったことがある。何の文字も入っていないシンプルで丈夫な紙コップは、まさに探し求めていた小道具だった。詩人はグラフィックデザインやレイアウトを生業にしてきたというわりに、小道具など美的なものへのこだわりが全然なくて、その生業も嘘かもしれないと思う。瀟洒な店内に詩人はいなかった。そろそろあきらめて枡野書店に帰って寝よう、そう思った。
 女性服を衣装につかうかもしれないということがあったとき、一度だけ覗いてみたことがある「光」という洋服屋に入ってみた。足を包む部分が猫になっている、ふかふかのスリッパが売られていた。ここに詩人がいたら絶対に履いてアイフォンで写真を撮っただろうと思う。お店に対して無礼な行為なのに、どういうわけか詩人はそういうときお店の人に気にいられる。逆に勝手に心配して怒った僕のほうが心の狭い人みたいになってしまう。
 この店を象徴するのは三角形の白い棚で、僕は三角形を見るとなんだか安心する。テーブルの足も四本だとぐらつくけれど、三本なら安定する。詩人歌人も二人だからつまらないことで喧嘩になるんだろうか。迷っているけれども三人になったほうがいいんだろうか。
 事務所の先輩芸人で、芸歴が十四年ある植田マコトさんの漫才コンビ「うえはまだ」が秋に解散した。浜田さんの健康上の理由らしいけれども、浜田さん以外の相方を経験したことのない植田さんも、きっぱり芸人自体をやめるつもりでいたようだ。いよいよ事務所を去るということになった日の晩、僕は植田さんにやめないでほしいと伝えた。もともと二人ともがボケでツッコミ不在の詩人歌人に、植田さんのようなツッコミが混じってくれたら面白いのではないかと思っていた。というか、「君たちは二人ともボケになっているから、だれか力のあるツッコミが入ったらもっとウケるようになると思うよ」と最初に言ってくれたのは、まだコンビ解散の気配もなかったころの植田さんだったのだ。「君たちはライブでは笑いがとりにくいかもしれないけど、テレビのオーディションではいいところまで行くと思うよ。たとえば『あらびき団』とか」と言ってくれたのも植田さんだった。実際、詩人歌人が初めて受けたテレビオーディションは「あらびき団」のもので、植田さんの予言どおり合格した。収録されたものが放映されることなく番組が終わってしまったのだが、僕は予言が当たる人のことを信頼している。
 だから、「うえはまだ」が解散して、暫定的にトリオ「詩人歌人と植田マコト」を始めたときは楽しかった。魔法のようにライブでウケる。このままずっとトリオで活動したらいいのにと、みんなに言われた。でも僕はトリオ「詩人歌人と植田マコト」も好きだけれど、コンビ「詩人歌人」のことをあきらめることもまだできずにいる。なんでだろう。二人でいると喧嘩してしまうし、三人でやったほうが明らかに評価されるのに。植田さんは詩人と同い年だ。僕は詩人や植田さんより十歳も年上だ。詩人と歌人と植田さんの三人は、なんだかじゃんけんのグー、チョキ、パーみたいだと思う。みんなが相思相愛にも見えるけれど、それぞれ思惑がちがう気もしている。
 足の向くまま「MAD TEA PARTY」という名前が気になる洋服屋も覗いてみた。不思議の国のアリスの、狂ったお茶会をイメージしているのか。商品のTシャツに日本語が書いてある。《生きねばーギブアップ》。この場に詩人がいたら、アイフォンで写真を撮るんだろう。しかし詩人はいない。もしかしたら高円寺にきょう、詩人は来てないのではないか。
 帰りは丸ノ内線の新高円寺駅まで歩き、南阿佐ヶ谷まで電車に乗った。枡野書店のトイレの詰まりは直っていなかった。アイフォンのLINEは思ったよりは少ない数のコメントが届いていた。ひとつのコメントが長文だった。
《待ち合わせ時間に会えなくてすみません。僕の日頃の行ないに腹を立てて、わざと来なかったのかもしれないと思いましたが、高円寺の街を必死の形相で歩いている歌人を遠くから見つけました。こわくて声かけられませんでした。みどり寿司、歌人が好きそうな店だったよ。コーヒーミルがあった。寿司を食べたあとホットコーヒーを飲むお客さんがいて、その人のためにコーヒーを出すんだって。今度また一緒に行きましょう。打ち合わせは後日改めて。歌人さえよければ、僕は今後トリオとしての活動がメインになってもいいと思っています。そのへんも話しましょう。》
 アイフォンの画面が、老眼のせいかちゃんと読めなくて、ピントがぼけぼけだった。どう返事をしたらいいのかわからなくて、なんとなく撮っていたお米の「一番星」のスナップ写真を、LINEのスタンプ代わりに送った。
 さようなら さよなら さらば そうならば そうしなければならないならば
 という短歌を続けて送ろうかと迷っているうちに、湿ったマットレスで眠ってしまった。
 それから半月近くのあいだ、枡野書店のトイレは詰まったままだった。詰まったままクリスマスイブが過ぎ、年越しもした。トイレのたびに隣にある巨大なコンビニへ通った。
 あの日、枡野書店で一眠りしてから、僕は詩人に別れの手紙を書いた。手紙といってもLINEでだけど。さようなら。今までありがとう。と書いた。そしてまた眠ってしまった。
 真夜中に枡野書店のドアが叩かれる音で目がさめた。そこに、隣町の荻窪に住んでいるはずの詩人がパジャマ姿で立っていた。珍しく青ざめている。しかたなく枡野書店にひろげていたマットレスを畳んでソファ状に変身させ、コーヒー豆からホットコーヒーを淹れて話を聞いた。どうやら詩人歌人の二人ともが、植田マコトさんに対して失礼なことをしてしまったらしかった。トリオ「詩人歌人と植田マコト」で参加する予定だった、ある人気テレビ番組のオーディションの日が、植田さんの出演する芸人ライブのある日だったのだ。詩人歌人の確認不足によるダブルブッキングである。二人で喧嘩している場合ではなくなり、二人そろって菓子折りを買い、植田さんにおわびをすることになった。植田さんが出るはずだったライブの主催者である先輩芸人にも、菓子折りをお渡しした。その日は事務所の先輩芸人たちがこぞって出演する大きなライブのある日で、おわびのために向かった先がライブ会場だったため、そのライブ会場にいる先輩芸人たちにも菓子折りを渡した。人生でこんなに菓子折りを購入したのは初めてだったし、これで最後にしたいと思った。
 そのせいでますますお金がなくなり、トイレ修理を頼むお金なんかなくて、どうしたものかと芸人トークライブで話したら、「詩人歌人と植田マコト」をいつも応援してくれている女性からツイッターのダイレクトメッセージが届いた。それは長いあいだトイレ修理を仕事にしてきたから、お役に立てるかもしれませんという、嘘みたいなメッセージだった。
 水を流すと水が溜まってしまうものの、しばらく待つと水位が下がる状態であること、巨大な吸盤みたいなものは買ってみたこと、重曹とお酢をいれて泡を立てるのは試してみたけれど駄目だったこと、などを僕は伝えた。
 その状態ならプロに頼まなくてもなんとかなるかもしれません、という返信が届いた。まず市販の洗剤を一本買ってきてください。そのうち三分の一くらいを、トイレの水たまりにいれます。銭湯のお湯より熱いくらいのお湯をバケツにできれば二杯ぶん用意し、水たまりに直接ではなく、タンクの上のところから流します。しばらく放置してから、吸盤をつかってみてください。この作業を繰り返します。洗剤が一本なくなるくらいまで繰り返すと、解決しているはずです。と、そういうような意味の長いアドバイスが届いた。いつも銭湯に通っているから、銭湯のお湯より熱いくらいのお湯という表現が、よくわかった。熱湯だと陶器を傷めてしまうのだそうだ。そのとおりにやってみたら、洗剤を三分の二、つかったところで水が流れるようになった。
 トリオ「詩人歌人と植田マコト」は今、ある人気テレビ番組のオーディションの最終選考に残っている。結果発表はあしたくらいだ。
 さようなら さようなら また会いましょう また別れたら また会いましょう
 そんな短歌の出てくるトリオ漫才を今夜、枡野書店で相談しながら仕上げるつもりだ。
 そういえばあの日、コインランドリーにいれた洗濯物をそのまま忘れて帰ってしまったから、明け方に詩人と二人で歩いて、高円寺エトアール通りに行った。人通りがとても少なくて、だけど、道でキスをしているカップルが一組いた。詩人と僕はどんな関係の二人に見えるんだろうと、ふと思った。僕は黒いコートの下に黒いカーディガン、その黒いカーディガンの下に「歌人」とプリントされた黒いTシャツを着ていて、全身真っ黒だった。詩人はコートの下にパジャマを着ていたが、下はジーンズだった。「この服がパジャマであるということは否定もしないけれど肯定もしない」と、詩人は意味不明なことを言った。
「ここに少し前まで、純喫茶エトアールって店があったんだよ」
 と、詩人はある空き物件を指差して言った。
「むかし西友のところに映画館があったらしくて、その映画館の再来みたいな感じで自主映画を上映したりする店だったんだけど。天狗映画を観たことがある」
「天狗が出てくる映画?」
 僕が聞き返したら、
「いや、カッパだったかもしれない」
 と詩人。
「というより、映画監督が天狗みたいな顔の人だったかもしれない。酔ってて覚えてない。酔っぱらいが出てきたかもしれない」
 いつまでも意味不明のことを言い続ける詩人だったけれど、夜ふかしのテンションだったせいか、いつもより優しい気持ちで聞いた。
 離婚してから十年以上会っていない息子が、こんな感じの男だったら、愛することができるだろうかと思った。もうちょっと顔が小さかったらいいのにな。顔が好きだと、かなりのことがゆるせるな。そんなことを考えながら歩いた。言葉には出さなかった。まだコンビとトリオのどちらか一方で行くと心に決めることができずにいて、けれども、どう転んでも退屈しない未来が待っているような予感がして、しらふなのに酔ってるみたいな詩人と二人で、早朝の空を見上げて歩いていた。




【取材させていただいたお店一覧】
「いろは寿司」
「みどり寿司」
「RAINBOW」
「光」
「MAD TEA PARTY」
「あまから亭」
「シェパーズパース(Shepherds purse)」
「お米の高南」




本作は当時の芸人活動の細部を利用して書いた小説であり、固有名詞はすべて実在しますが、フィクションです。これから書く芸人活動を振り返った本をどういうスタイルの文章にするかは、まだ迷っています。もし興味を持ってくださった方がいたら、以下のマガジンをどうぞよろしくお願いします。




▼文中に出てくる千川

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