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算用数字の表記が変     文=枡野浩一(「#短歌研究」2020年6月号)#永井祐 特集寄稿     #枡野と短歌の話


 永井祐歌集『日本の中でたのしく暮らす』(ブックパーク版)は枡野書店で一番売れた本だ。枡野書店は東京・南阿佐ヶ谷にある書店とは名ばかりの私の仕事場で、オープンして八年になる。たまにしか営業しない店であり、拙著以外の本はほとんど扱っていないため「一番売れた」といってもたかが知れているが、拙著以上に売れたという実感すらある。店の中で手にとってパラパラめくったあと、買わなかった人はいないくらいの印象である。


 私は短歌があまり好きではない。短歌を読む機会はまあまあ多いほうだと思うけれども、書店で売っていない短歌同人誌や結社誌を読むことのできる環境にいない。最近は絵本や童話を書いて食っているので、そういう本を読んでいることのほうが多いかもしれない。


 ほんの少しの好きな歌人がいて、ほんの少しの好きな短歌がある。短歌はこの世に多すぎると思っている。そんなに読みたくない。


 十代の終わりに俵万智ブームで短歌を知り、さかのぼって口語短歌を読むようになり、自分のところに投稿されてきた口語短歌をずっと見つめてきたとはいえ、随分と偏った短歌観から抜け出すことができずにいる。そんな私に言えるのは『日本の中でたのしく暮らす』が自分の店でとても売れたということ、永井祐が好きな歌人の一人だということくらいだ。


 私からは以上。以下は蛇足です。


 永井祐の第一印象は「いやな感じ」だったと記憶している。そもそも最初に名前を認識したのは、短歌総合誌の座談会で私の批判を話していたからだったんじゃないかな。別人だったらごめんなさい。おぼろげな記憶で再現するので、ちがっていたらご指摘ください。たしか《野茂がもし世界のNOMOになろうとも君や私の手柄ではない》という枡野浩一の短歌は、そこらへんの高校生が言いそうな意見である、この人の言葉の選び方は面白い、みたいな発言だったはず。批判というほどでもないし後半ほめてるのか。でも当時、枡野浩一の名前が短歌総合誌で出るときは必ずネガティブな文脈だったので、私はいつも通り悪口と受けとめた。ある大手企業のテレビコマーシャルに出たとき、社長さんは私の短歌のほとんど全部を「わからない」と言ったが、唯一この短歌だけには反応してくれた。そのような世間の無理解と闘っていたつもりだった私は、若い世代の歌人に対して「若造に何がわかる」みたいな気持ちになったのだった。


 そしてネットで永井祐の短歌を探して読んだ。その頃に着目したのは、こんな一首だ。
 一本のコードを買っておたがいの首にプラグをさし合う日 雨 (永井祐)
 マーク・コスタビの絵に短歌を添えてください、という原稿依頼が来たら詠みそうな一首だと思った。わりと既視感のあるSFワールド。そんなに凄いとも思わなかったけれど、自分のところに投稿されてきたら採っていたとも思う。だがこの初期作品は歌集『日本の中でたのしく暮らす』には収録されていない。


 次に永井祐を意識したときも「いやな感じ」寄りの「ナンダコレ」という感想を持った。
 1千万円あったらみんな友達にくばるその僕のぼろぼろのカーディガン (永井祐)
 まず「1千万円」という表記が変じゃないのか。商業雑誌の現場では「一千万円」と校正されるはずだ。だいたい永井祐の短歌における算用数字の表記はみんな変だ。「30分」ではなく「30分」。市販されてない同人誌の、DTPがうまくいってない状態レベル。
 1千万円あったらみんな友達にくばると思ってるような人は1千万円稼げないよ! それより先にカーディガンくらい買えよ! というツッコミをしたらもうこっちの負けだと思わせるものがこの短歌にはある。黙殺が正解だった。なのに長く立ちどまってしまった。


 大みそかの渋谷のデニーズの席でずっとさわっている1万円 (永井祐)
 これも歌人としてネットで暮らしていたら、うっかり目にしてしまった歌。早く財布に仕舞ったら? え、まさか財布、持ってないの?


 ほかにも永井祐の有名になった短歌はいくつもあり、それらはおしなべてツッコミをしたらもうこっちの負けなのに到底あらがうことのできない魔力を持ったものたちだった。


 わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる (永井祐)

 私だって別におしゃれではなくiPhoneカメラで草を撮ったりして暮らしている。今となっては「写メール」にも注が必要かもしれないが、前置きしないことには「おしゃれ」と誤解されてしまう世界に生きていることの息苦しい空気が一首に凝縮されているとか分析したら負けだと思う。思う私は負けてる私だ。


 久々に『日本の中でたのしく暮らす』を読み返した。記憶に残る大ヒット短歌以上に、「どうしてここを短歌にしようと思ったんだろう」と心が躓くような歌にばかり付箋が付いた。どれかは教えない。気が向いたらYouTubeで話そうと思う。別におしゃれではなく。





※以下は蛇足のさらに蛇足です。

この独特な表紙を再販にあたってがらりと変えて新しい読者を獲得しよう、もう持ってる人にも改めて買ってもらうため何かをプラスしよう、などと考えない「性格」こそが永井祐短歌をこのようにしている、と私は思っています。このあいだ #仁尾智 さんとの #枡野と短歌の話 でも話しましたが。仁尾さんの言葉で言うと「人柄」。








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