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真冬のサッカー観戦服で青山へ行ったら、向田邦子さんからのことばが降りてきた

向田邦子さんの展覧会、青山でやってるやて?

土曜日の朝。フォローしているnoterさんのnoteを読んで知った。
「行きたい!」とスマホの画面に叫んだ。

え? 明日まで? 行くんやったら、今から用意して行くか、明日やなあ。

明日に心が傾いたとき、脳内にこんな声が溢れ出した。

明日雪やん。最高気温7度らしいで。
不要不急の外出控えましょう言われてるやん。
めんどくさいなあ。
やめとこかなあ。
家でゆっくりしようかなあ。

でも、こういう時は「行ってよかった」と必ず思うのだ、私の場合。

明日最終日って『要で急』や。


脳内の声を黙らせて、夫にも「明日これ行ってくる!」と宣言した。宣言しないと「やっぱり寒いし家でゆっくりしたいなあ」と脳内の声に負けそうだったから。


日曜日の朝。真冬の週末、息子のサッカー試合を観に行った時とほぼ同じ服装

≒ベンチコート、ネックウォーマー、ニット帽、暖パン。ベンチコートの中はウルトラライトダウンにフリースとユニクロ多め

で、青山に行った。大阪の小学校のグランド行くのと、ほぼ同じ格好で青山に行く。私が東京の街に慣れたのか、それともメンタルがどんどん大阪のおばちゃん化してきたのか。表参道駅の改札で、高尾山登りに行くような服装のおばちゃんを見つけて、なぜかホッとした。

駅の出口階段を上がり地上に出ると、目の前が会場の青山スパイラルだった。傘をささずとも、ほとんど濡れず。ベンチコートとニット帽に感謝。

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雪らしいし、寒いし、空いてるやろ。いや、意外と空いてる思うて来る人で混んでるかもな。

朝ごはんを食べながら夫に言われていたが、夫の予言、後半が当たっていた。「入場制限していますので」と入り口で言われ、数分待つ。会場に入ると意外にも、20代、30代と見られる若い人も多い。おかんに連れてこられた風な10代の子もちらほら。俳優 石田ゆり子さんに憧れてはりそうな40代女性、40年前の向田さんを知るうちら50代から上の世代がいちばん多かった。

会場入ってすぐのとこに、向田さんの年表と旅先で撮られたスナップ写真が展示されていた。モニターには『徹子の部屋』に出られた時の映像が流れている。人が固まり、団子になっていたので、向田さんの声だけ聞きながら、原稿や台本、ドラマのスナップ写真の展示に進んだ。『阿修羅のごとく』と原稿に書かれた向田さんの字。それを見た瞬間、令和の青山から昭和50年代の実家の茶の間へ移動した。


あの頃、土曜日の夜。私と兄はこたつに入って、寝っ転がって本を読んでいた。母がテレビをじっと観ている。トルコの行進曲だというあの特徴ある音楽が流れる。他にも家族の思い出なんてたくさんありそうやのに、私はこの場面をものすごく覚えている。大人になって『阿修羅のごとく』のあらすじを知った。小学生の私や高校生の兄ちゃんがおる茶の間で、母は、女たちの『修羅』を描いたドラマを観てたんか。ちゃんと見ていたわけではないのに、不倫していた次女の家に相手の奥さんが乗り込んできた場面は、今でもすぐ頭の中で再生できる。昭和の子どもたちは、大人の世界を覗き見しながら育っていったのだ。その時は意味がわからなくても、大人になってから「そういうことかー」と答え合わせする時が来るのだ。

手書き原稿見てたら、こんな瞬間移動してしもた。

次の向田さんの原稿、短編小説『隣の女』を見た。

ミシンは正直だ。

は? なんなん? 
このめっちゃインパクト強い最初の一文。
書けんで、こんな出だし文。
でも、めっちゃ好きやわ。

10代後半から、母が持っている向田邦子さんのエッセイや小説を読んできた。それから40年近く経っても、時々読みたくなる。向田さんは短い文が多い。そこが好きだ。潔さを感じる。潔いだけではない。向田さんが描く文章には、ふつうの人たちの暮らしと、その暮らしのなかでひとりひとりが内側に抱く優しさや悲しさ、時折ひょいと顔を出す狡さが描かれている。人にはいろんな顔があるんや。大人もいろいろあるんや。私はそんなことをまわりの大人だけでなく、向田邦子さんからも教わったんやなぁ。

そんなことを思いながら、会場の真ん中にある白い塔を見上げた。

風の塔。たくさんの向田さんの言葉から、厳選された33個が、ひらひらと風に舞い降りてくる。

からからから。

ひらり。

ぱさり。

数名で床に広がった何枚もの紙を、じっと見つめていた。

おひとりさま1枚、お持ち帰りいただいて構いません。
ただし、一度手に取った紙は元に戻さず、そのままお持ちください。

係員さんがそんな私たちに声をかけてくれた。

ひとり、ふたり。紙を手に取る。

豊かな生活

という言葉が透けて見える紙と目があった。
誰も取らない。そっか、私のだ。
手に取り、広げて読んだ。
涙が出てきた。

この言葉をもらうために、今日ここに来たんやな。

初めにその言葉と目があった時、私はこんなことを思った。

青山のマンションに住んで、仕事で成功して、華やかな交友関係があって、海外旅行もできて。そんな向田さんが言う『豊かな生活』ってなんなんやろ?

そう思った私に、向田さんはこう言った。

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自分らしい言葉を豊かに使えるというのが、一番豊かな生活をおくったということ。

誰かの真似でなく、自分らしい言葉。それを豊かに使えるということ。向田さんはそんな『自分らしい言葉』をたくさん生み出していたんだろう。それを惜しむことなく使ってはったんやろなぁ。あの大皿に、山盛り美味しい料理を盛りつけて、お客さんに出すみたいに。

自分らしい言葉。言葉だけでなく、自分の手が、からだが生み出す、自分らしいもの。それを豊かに使うということ。はっきりと意味がわかったわけではない。けれど、「あー。そうやったんか」とお腹にすとんと落ちる時まで、付箋に書いて頭の中に貼っておこう。

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誰も手に取らず、ずっと床に残っていた言葉。

家庭も同じなのだ。事が起きた時、静かにしていれば平和だが、誰かが感情に走って大きな声を出すと、傷口はパックリと口をあける。(ドラマ「家族熱」)

どきりとする。長く生きていると、思い当たることがある。手に取り持ち帰ると、なんやこんなことがうちの家にも起こりそうな気がするなあ。そう思った人が私の他にもいてはったようで、ずっと床に残っていた。この生々しい言葉のすぐそばに、黄色い薔薇の花束があった。

スロープを登り、会場の反対側へ行き、残りの展示をゆっくりと観て、会場を出た。

真冬のサッカー観戦ウェアで青山まで来てしもたけど、来てよかった。「やめといたら」という脳内の声を振り切り、来てよかった。向田さんの残した言葉、声、食器や服、書籍などに触れることができた。向田さんにちょっと触れることができた気がした。

帰り道、もう一度、向田さんの本を読みたくなった。

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次に読む時、私の脳内で、今はない実家、もういない家族との時間が再生されるかもしれない。開いてかさぶたになって、薄く跡が残る傷口を見るかもしれない。また、それもいい。どこかのページから、ひらひら、ぽとりと、向田さんの言葉が降りてくるかもしれない。

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美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。