見出し画像

「洗い方」と「削り方」を息子が学んだとき、私は握った手を開いた


「母親ひとりやと、この子に教えてあげられんこともあるんや」

という悔しさ。

「いや、それでも私が、男親の分も教えてやれる」

という意地。

離婚後5年。私は悔しさと意地の間を行ったり来たりしていた。片手で悔しさと意地をギュッと握りしめて、もう片方の手は息子の手をギュッと握っていた。握っていないと自分が倒れそうだった。だが、あることをきっかけに、悔しさも意地もなくなった。いや、固く握りしめていた手を緩めて、開いて、手放せた。手放しても大丈夫とわかった。息子に大切なことを教えてくれた、おっちゃんたちのおかげで。

息子に『プロの洗い方』を教えてくれたおっちゃん


「あーちゃん、来てー!」

朝の出勤、登校前。またお腹でもこわしたか。トイレから息子が叫ぶ。今日は遅れて出勤かなあと思いながら、トイレに行くと、涙を浮かべながら便器に座る息子がいた。

「おしっこしたら、おぴんこが痛いねん。」


画像1

すごくすごく痛いことはわかった。
でも。息子、すまん。
私にはおぴんこがないので、その痛みも対処法もわからん。

「大丈夫や!学校行ったら治る!」

いつもの決まり文句を言いかけたが、かなり痛いようだ。

息子を病院へ連れて行かねば。いつもの小児科? いや、これは専門外来の方がええかな。駅前に泌尿器科専門医院があったこと思い出して、電話した。

いつもの小児科とは違い、おもちゃも絵本も漫画もない泌尿器科専門医院。痛いのと緊張とで無口になる息子と、静かに待つ。息子の名前が呼ばれた。私と同世代と思われるおっちゃん先生に、今朝の出来事を説明した。

「ほな見せてもらおか」

先生に言われ、息子はベッドの上へ。看護師さんがさっとカーテンを閉めた。

「痛いのここか」
「はい」
「そうか。ここはどうや」
「痛くないです」

静かな問診の後、先生はカーテンの向こうから大きめの声で、診断結果を教えてくれた。

おかあさーん。これ、『ちんかす』ですわ!

ちんかす。

人生で初めて聞いた単語だった。

ちんかす
意味 恥垢の俗な表現(実用日本語表記辞典より)

ショックだった。


あぁ、私は同世代の男性から「ちんかす」という『俗な表現』を投げられる身なんやわ、、
あのオッチャン先生からみたら私は
『気を使って医療用語を使い、その後ちょっと遠慮しながら丁寧な説明をしてしまう、読者モデルみたいなママ』
ではやないんやわ、、

読者モデル。違うよね。当時も今も、外見も中身も絶対違うよね。息子の病名より、そっちにショックを感じた厚かましい私だった。

このおっちゃん、ではなく、泌尿器科医、さらに息子をビビらす説明をする。

「おぴんこに皮あるやろ。そこにどうしてもカスが溜まるんや。今から洗い方教えるから、毎日その通り洗いや。

ほんで3日後、見せに来てな。次は1週間後、最後はその次の週な。その時きれいになってなかったら、ピッと皮剥く手術するわ。

どうや。手術と毎日ちゃんと洗うん、どっちがええ?」

「毎日ちゃんと洗う!!」 

久しぶりに、はっきり答える息子の声を聞いた。

『洗い方指導』を受ける息子を待ちながら、思い返していた。数ヶ月前から「おぴんこに皮がある」って言い出してたなあ。お母さん仲間からも「息子の皮問題」について、時々聞いていた。お母さん達は「その件に関しては夫に任せている」と言い、詳細はわからなかった。「パパにきいてみ」と息子に言うたら、「パパは『ほっといたら自然にむける』言うてた」と、予想通り期待はずれな回答を持って帰ってきていた。

おっちゃん先生と看護師さん。二人がかりで、丁寧にわかりやすく、息子に洗い方を教えてくれた。

その夜から、息子はお風呂に入ると、教わった通り丁寧におぴんこを洗っていた。

プロの指導、すごい。
私より、元夫より、すごい。

私には、これは教えてあげられん。

その時の私は、悔しさも意地もなかった。負けたけど、清々しさと爽やかさがある、夏の甲子園に初出場したが、1回戦で強豪校に負けた高校球児のようだった。

そうか。『息子に必要なことは私が全部教えてやる!』なんて無理やわ。息子の周りにいるオッチャンたちから、教えてもろたらええんや。

「なーんや、、」と力が抜けた。悔しさと意地を握り締めていた手が、緩んで開いた。

手術は絶対イヤな息子のがんばりと、おっちゃん医師の指導のおかげで、手術することなく、無事息子の泌尿器科通いも終わった。

画像5


小学校で「削る」を学び、息子は思春期を乗り越えた


俺が小学校で学んだことは、「削れ!」やな

息子、高3の秋。何かの話の流れから、そんなことを言った。


小学校の6年間。運動会も、修学旅行もあったよね?
社会学習で300円持って市場行ったり、他にもいろいろ学んだことあるよね?


なんか他にないんかい。


と思いながら話を聴いていた。


小学1年の秋。学童仲間から誘われて、息子はサッカーチームに入った。放課後、小学校の校庭で週2回ほど練習し、コーチは近所のオッチャンたち、という自主サークル的なチームだった。

嘘ついて練習をさぼったり、辞めたいと言ったりしながら、なんとか小学校卒業まで続けた。

削る、というサッカー用語は、息子がサッカーを始めてから私が覚えたサッカー用語だ。改めて調べてみたら、こんな意味だった。

【削る】
相手の体力やパフォーマンスを削減するボディーコンタクト。

意図的に行った場合はファウルだが、方法や程度は厳密でなく、ファウルとならない程度の上半身や腰・脚による激しいボディコンタクトを含む。

公的・個人間で認識や見解が異なるので注意が必要。

特にスパイクの裏ですね辺りを蹴ったり、膝を入れたりする事を表現する場合がある。激しく足をはらいに行く行為などを含む場合がある。

息子の試合でよく見た行為だ。ボール持って走ってる子のユニフォーム引っ張る、当たる、酷い時はわざとぶつかる。さすがにこれは「注意」を受けていた。小学生だが、「削る」という点だけはW杯南米チーム並みだった。

削るってさ、サッカーチームで学んだん?

「そうや。小学校サッカーで、コーチのおっちゃんらに教わったんや」

そういえば、小学校に入って、息子はどんどん変わった。

保育所年長の1年、息子はひとりの男の子に執拗にいじめられて、よく泣いていた。それが小学校でサッカーを始めてから、どんどん気が強くなっていった。周りの子が息子を見る目も変わり、息子も「オレ、ケンカ強いんちゃう?」と思うようになっていった。

画像7


『削る』から、吉田麻也選手のこんな「名言」を見つけた。


削られたら、削りかえす。怒鳴られたら、怒鳴り返す。
そうやって、こいつにはかなわないと思わせる。
ナメたヤツには一発かまして体で分からせる。
これが実力社会のルールなのかもしれない。

    

すごいな。吉田麻也も、こんなん言うてるで。

息子にスマホの画面を見せた。 

「それはなぁ、中学校んときも、高校生なってからも、大事や思ったで。
今も思うけどな。」

ナメたヤツには一発かまして体でわからせる。

確かに。おっちゃんコーチたちは、試合でよくこうアドバイスしていた。

削ってこんかい!
ナメられてるぞ!
試合中泣くな! やり返せ!

これは息子チームのコーチだけでなく、相手チームコーチも同じアドバイスをしていた。

この声が聞こえるのは、
大阪市中央体育館でのボクシングの試合ではない。
甲子園球場で行われる巨人戦の一塁側外野席でもない。

大阪府北部にある小学校の校庭で、週末に行われた小学生サッカーの試合である。おっちゃん達のアドバイスは、阪神ファンの声援のように、静かな住宅街に響き渡っていたことだろう。

小学校卒業前の試合では

お前ら、最後や!
ガリガリに削ってこい!

と熱く息子達6年生を送り出すおっちゃん、ではなく、コーチ達の声があった。

お母さん達一同、
「コーチのアドバイス、ずっと変わらんかったねえ」
と大爆笑した思い出がある。

こうして、「削れ!」という6年間言われ続けたコーチの言葉は
息子の細胞ひとつひとつに浸透した。

そのおかげだろうか。
生まれ育った大阪から横浜へ移り住み、知らん人だらけの中学校で。
横浜だけでなく、小田原から川崎まで、県内から集まった同級生のいる高校で。

息子は「どうやらこいつは、ケンカしたら強そうだ」という空気感を身につけ、「ナメた奴には最初に一発かました」おかげで、楽しい思春期を送れたようだった(この頃には、手を出さなくても怒鳴らなくても『かませる』技術を身につけていた)。

余談であるが。

小学校サッカーで教わった通り、転校先の中学校サッカー部発練習試合でガリガリに削っていたら

「ファールはやめような」

と顧問の先生に言われたそうだ。

「あれは削っただけでファールではない」

息子はかなり不満そうだったが、大阪と横浜のサッカー指導には、若干違いがあるのだろうと話しておいた。

悔しさと意地と息子を握り締めた手を緩めたとき


おっちゃん泌尿器科医とおっちゃんサッカーコーチ達。
彼らに出会ったおかげで、息子だけでなく、私も気づき、変われた。

「母親ひとりやと、この子に教えてあげられんこともあるんや」という悔しさ。「いや、それでも私が、男親の分も教えてやれる」という意地。

悔しさと意地を握りしめていた手を、いつの間にか緩めることができた。
「なんや。必要なことは、ちゃんとおっちゃんらから教わってたやん」とわかったら、ギュッと握っていた息子の手も緩めることができた。

固く固く、手を握っていたあの頃の私に教えてあげたい。

今まで頑張ってきたよね。
でも、その子が10歳になったらね、そのあとはもう、その手を緩めても大丈夫やで。

男親から息子が教えてもらわなあかんことは、
必要な時に、彼の、私の近くにいる「おっちゃん達」が教えてくれるで。

その時、息子はもう、自分の手に大事なものを握れているから。


●○●○

あとがき

このnoteは2019年11月22日に投稿したnoteをもとに、改めて書き下ろしたものです。当時、何かのコンテストに応募しようとして書いたnote。ネタ提供元の息子に下書きを見せたところ、「えーー、、これ書くん?」と難色を示されましたが、「賞金もらえたら、半額あんたにあげる」というと「ええで」と快諾してくれました。

コンテストには全く何も引っかかりませんでしたが、今回この記事を不完全燃焼で書いたことを思い出し、新たに書き直してみました。

あとがきその2 

こちらのnoteを読んでくださったみ・カミーノさんから、

前の記事のリライト版やったら、#書き手のための変奏曲 っていうハッシュタグ付けたらどうかな?

と言うていただきました。教えてもらったこちら。

大丈夫か。この『大阪のおっちゃん万歳』noteに、#書き手のための変奏曲 つけて大丈夫か? ちょっと洋風な生活をしていた近所のカズくんちで、お母さま手作りの『バターとシナモンスティックが乗っている焼きリンゴ』を食べた時のようにドキドキしているぞ。でも、つけてみようハッシュタグ。

ということで、ハッシュタグ付けました。

美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。