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吉本ばなな『TUGUMI』を久しぶりに読んだら、30年前とは違う風景と自分が見えた

「好きな小説家は?」と聞かれたら、
「吉本ばななさん」と答えてきた。

noteのアカウントを作ったきっかけが、「ばななさんのエッセイ読みたい」だったくらい、ばななさんが好きだ。

私がばななさんの言葉に初めて触れたのは、小説『キッチン』。調べてみたら、1988年1月30日刊行。当時私は大学生だった。読書好きの叔母が早速買って読み、母が借りて読んでいた。

「私はようわからん」と読み終えた母は言っていたが、母が叔母に返す前に、私も読んでみた。

不思議だった。今まで読んだどんな小説とも違った。異国のような、次元が違う世界に入り込んだような、感じたことない感覚があった。

3作目『哀しい予感』まで読むと、私はしばらくばななさんからも、本を読むことからも離れていった。

アルバイト、旅行、そしてお金を貯めて実現させたアメリカ短期語学研修。大学時代のほとんどは、やりたいことをやるのに忙しくて、家でゆっくり本を読む時間をとっていなかった。

そして大学4年生の夏。私はばななさんと再会した。

その年の夏休みは、夏らしい楽しい遊びの予定がなかった。就職活動のため、暑いなか毎日慣れないスーツを着て街中を歩く。慣れない大人たちを前に、いつもの自分とは違う自分でいる。

8月半ばにやっと内定をもらった私は疲れ切っていた。

「久しぶりに本でも読んで、頭と身体をゆるませよう」と思い、私は駅前の大きな本屋まで自転車で向かった。

本屋をゆっくり歩くのも久しぶりだ。雑誌コーナー、漫画コーナーを歩き、小説が並ぶ書架でばななさんの本を見つけた。

TUGUMIという小説。表紙の装丁が美しく、すっと手にとって表紙を開いた。

ページをめくると、海が広がっていた。行ったことのない、見たことのない西伊豆の海が広がっていた。

関西で生まれ育った私は、海水浴といえば父の実家の佐渡島の海か、京都北端の海だった。たまに神戸へも行ったが、海というより港や夜景を見るのが目的。

なので、水平線が広がる大きな太平洋の海は馴染みがなく、憧れがあった。

早く読みたい。本のなかに広がる海に、ばななさんが書くこの世界にどっぷり浸りたい。

手にとっていた1冊をそのままレジに持って行き、お会計を済ませて、かんかん照りのなか自転車をとばして家に帰った。

西伊豆でなく、鎌倉の海

家に帰ると茶の間にごろんと寝転がり、買ってきたTUGUMIを早速読み始めた。ページをめくるごとに、物語の語り手『まりあ』が私に話してくれるようだった。

私はまりあの話に引き込まれていった。読み進めると、自分が本の世界に入り込み、まりあになった気がした。

そして、つぐみに惹かれた。

まりあのいとこ、つぐみは生まれた時から体がむちゃくちゃ弱く、頭が良くて、性格が悪い。

身体は弱いが、ずっと寝たきりではなくて、学校へ通い、毎日海岸まで犬の散歩に出かけ、元気そうである。

つぐみの性格の悪さと頭の良さが掛け合わさって、それがまりあやつぐみの家族に向けられた時のえげつなさがすごかった。

「自分のそばにつぐみがいなくてよかった」と思った。そう思いながらも、私はどんどん彼女に惹かれていった。

ふと私は本から視線を外した。縁側に夕陽が差し込んでいる。思ったより長い時間、本の世界にいたようだ。

父が庭で夕方の水まきを始めた。再び本の世界に戻ろうとすると、「ごはんやで」と言う母の声が遠くに聞こえた。

このまま最後まで、きらきらした海が広がり、まりあ、つぐみ、陽子ちゃん(つぐみの姉)、つぐみと恋仲になる恭一と一緒にいたかった。ふたりの恋がどうなるのかもめっちゃ気になる。

「ごはんやで!」

母の声が険しくなってきて本を閉じた。

晩ごはんの片付けを終えて、再び本を開けた。四人のところへ戻った私は、再びTUGUMIの世界に戻っていった。

物語が大きく動いた。文字を追いかけるスピードが早くなる。私は読みながら本の中の世界を走って、つぐみを、まりあを追いかけた。

季節が秋に向かい始めた。未読のページが薄くなってきた。読み終えたくない。物語が終わるのがさみしい。

『TUGUMI』のなかの夏が終わる時、自分の夏、学生生活最後の夏、自由な夏が終わりそうな気がした。

夜中に最後まで読み切った。家族はみんな寝静まっていた。学生生活最後の夏休みがもう終わったような、さみしさがあった。

最後に、つぐみの新しい人生が始まったように、まりあの新しい生活が東京で始まったように、私もまた、『自由な子ども』的生活が終わり、半年後に『社会人』生活が始まった。

大人の私の人生、それから先長く長く続く人生が始まった。

2018年に行った下田の海。

この夏、久しぶりにTUGUMIを読んだ。初めて読んだ時から30年以上経った。

きっかけは、夫と旅行の行き先を相談していた時。

近場で1泊、温泉があるところ。「箱根は正月行ったから、夏は伊豆がいいなあ」と言った頭のなかで、TUGUMIの世界に広がる西伊豆の海が浮かんだのだ。

「久しぶりに読んでみようか」

初めて買った単行本はもう手元になく、数年前に買った文庫本が本棚にあった。

何度も繰り返し読んできたが、これも何かのタイミングかもと思い、私はページを開いた。

大学4年の夏とは違い、本を読むだけに半日を使い、一気読みなどできない。夕方になると、ベランダに干した洗濯物が気になり、本を閉じる。夕食をつくるため台所で米を研ぐ。

夜寝る前に少し読もうかとベッドに持っていくが、3行読んだだけで寝てしまう。

毎日読むことはできなかったが、それでも少しずつ、夕食を作る前の30分、風呂に入る前の1時間と、読み進めた。

そうして半分ほど読み終えた、土曜日の午後。夫は自室にこもっていて、息子はバイトへ行く。リビングでひとり静かに過ごせそうだ。

「よし、今日残り半分読むぞ!」と決めて、『TUGUMI』を手に取りリビングにヨガマットを敷いて、ごろんと寝転がり、読み始めた。

つぐみと恭一。二人の恋で一気に加速するようなこともなく、ゆっくりゆっくり、歩くように読み進めた。

「曇ってきたなあ。洗濯もの入れた方がええかな」と思いながらも読み進めたが、いつの間にか途中うたた寝をしていた。

半分目が覚めた時、実家にいるような感覚があった。窓の外を見たら青空が広がっている。あぁ、そうだ、今はここで暮らしているんだと、自分の意識が戻ってきた。

そうしてまた、私は本の世界に戻っていった。

「あれ?こんな章あったかな?」何度も読んでいるはずなのに、初めて読む気がする。

『父と泳ぐ』という章。

この章では、まりあと父、母についてゆっくり語られている。

まりあと母はつぐみと姉の陽子、その両親が営む旅館の離れで暮らし母は旅館の厨房を手伝っていた。父は別居中の妻がいて、離婚が成立するまでまりあ親子のもとへせっせと通っていた。

離婚が成立して、父と母とまりあは東京で暮らし始めた。その年の夏、閉業が決まった旅館でひと夏過ごすまりあのもとに、父がやってきた。

西伊豆の広い大きな海と夏空を頭に浮かべながらと読み進めたら、まりあの父が語り始めた。

恋っていうのは、気がついた時にはしちゃっているものなんだよ、いくつになってもね。しかし、終わりが見えるものと、見えないものにきっぱりと分かれている。それは自分がいちばんよくわかっているはずのことだ。見えない場合は、大がかりになるしるしだね。うちの今の妻と知り合ったとき、突如未来が無限に感じられるようになった。だから別にいっしょにならなくてもよかったのかもしれないね」

TUGUMI吉本ばなな著『父と泳ぐ』p131中公文庫

初めて読んだ時、これまで何度か読み返してきた時には、見えなかった風景が見えた気がした。

私自身、恋も結婚もして、『終わり』を何度も見てきた。まりあの父が『未来が無限に感じられるようになった』出会いを母としたように、私も今の夫と出会った。

『父と泳ぐ』。私はこの章を「ああ、素敵だなあ」と思える年齢になったのだ。そう思える体験を重ねてきたのだ。

同時に、歳とったんやなぁと小さな寂しさもあった。2度ほど読み返し、ページの角を折り、また先へ進んだ。

この日、私は最後まで読み切って、洗濯物を取り入れにいった。

夏を終えたTUGUMIの世界のひとたちが、新しい生活を、人生を、これから始めるんだと思った。終わる寂しさ、ではなく、始まる明るさを感じた。何度も読んだのに、そう感じたのは初めてだった。

つぐみは、まりあは、どんな大人になったのだろう? まりあの両親は、どんな風に歳を重ねたのだろう?

登場人物たちの『その後』を想像し始めたが、窓の外を見て慌てて洗濯物を取り込んだ。

数年後、またツグミを読んだ時、私はどんな風景を見るのだろうか。また新たなページの角を折るのだろうか。

その前に。遅めの夏季休暇をとる夫と、西伊豆へ行ってみよう。つぐみやまりあが歩いたかもしれない海岸を、静かにゆっくり歩いてみたい。


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美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。