オアシス対ブラーの真実

オアシスのセカンドアルバムのライナーを当時のまま、掲載することにした。
理由は今日行った「侍タイムスリッパ―」が結構良くて、その時についでに見てしまった「オアシスネブワースギグ」の予告が30年前を思い起こさせて単に懐かしかったから。
次に先日、近所のカラオケ屋で「ドーントルックバックインアンガー」を歌っていたら、彼氏とおぼしき奴に「もう帰るよ」と言われたにもかかわらず、「この曲が世界で一番好きなんです!だからまだ帰りたくない」などと言って私に抱きついてきた美女がいたのだ。事程左様にニーズが高騰しているのであれば便乗しない手もなかろう。(何故かサムライ調)


 オアシスっていうのはどうしてこうも人を高揚させるんだろう。いや高揚なんて漢字より、はっきり言ってハシャがせてしまうのだ、このバンドは。
 1曲目、いきなり盛り上がる。事ある度にボロカス言われ、新宿ローリング・ストーン店においてビートルズをリクエストせず、「リヴ・フォーエヴァー」をリクエストしてしまったがただそれだけのために「音楽の美しさを知ろうとする心がみじんもない!」などとリアムに公然と批判され、おそらくはその前後にもドツキ回され、肉体心理両面における暴行の限りをつくされてきたドラマーのトニー。あのかわいそうなトニーに替わって加入した、御存知ポール・ウェラー・バンドのスティーヴ・ホワイトの実弟、アラン・ホワイトのドラムがいきなり「このバンドの唯一の弱点はドラムだ」と言い張っていた非道兄弟の認識を裏付けるかのように華々しく鳴り渡るのだ。これは確かに交替して正解だ。
 曲はノエル十八番中の十八番「俺は俺の道を行くべし+ビートルズ」。相変わらずアホウのようにわかりやすく歌いやすいナンバーだ。ノエルの書く曲がどうしてこうも歌いやすいのかというと、メロディーそのもののせいも無論あるけれども、詩の意味よりも音の整合性を重視しているせいだ。早く言えばボコボコ韻を踏んでいるのだ。
 しかし驚くべきはリアム。これはプロテイン剤を飲んだか秘孔をつくかしてウルトラ・ヘヴィ・ウェイトになったジョン・レノンみたいじゃないか。素晴らしい。「俺は威勢のいいにいちゃんとして生きるんだ」というニュー・ラッド主義に一点の曇りもない。いや、ファーストからわずか1年にして手がつけられないくらい増長してしまった。
 そして2曲目はシャッフルするアコギが心地良いノエル・ボーカルのバラッド・ナンバー。3曲目はスミスを想わせるメランコリックなイントロで始まる、これまたもったいないほどの名曲。これをアルバムに入れないでいいのか? さらにたたみかけるは、グラストンバリー・ライヴの「リヴ・フォーエヴァー」。現地に行っていた人間から地割れが起こったかのようだったときいてはいたが、凄まじい大合唱。2万人が味方している曲。
 いやはや恐れ入りました。というわけでアルバムのライナーなのにシングル「ロール・ウィズ・イット」のレヴューを書いちまった。それだけ素晴らしいシングルであり、『モーニング・グローリー/(What’s The Story) Morning Glory?』を語る上ではずせないし、何といっても今現在、イギリスではこのシングルをめぐってちょっとした、いやかなりセンセーショナルな事件が勃発しているのだ。実はシングル「ロール・ウィズ・イット」の発売日は8月14日。この日はブラーのニュー・シングル「カントリー・ハウス」の発売日と同じなのだ。そして今のイギリスの趨勢を考えれば、このうちのいずれか一方が必ず1位になるのは確実である。果たしてどちらが勝つのか? この際、チャート・ポジションで音楽の内実をはかるのはやめましょうなどとクサレ良識を振り回している場合ではない。私もロッキング・オンでボクシング対決めいた書き方をしたが、期せずしてイギリスのプレスもモロ、ゴングの鐘を大々的に打ち鳴らした。
 この1年、アルバム・ベスト20圏内に延々と居座り続けた2枚のアルバム、ブラーの『パーク・ライフ』とオアシスの『オアシス/Definitely Maybe』。この2つのバンドのそれぞれの作品によってイギリスの音楽シーンは新しい時代に入ったと言って過言ではない。何だかミもフタもあったもんじゃないブリット・ポップなどというネーミングの意味を探るより、要するにマンチェスターの大波の時のようにリスナーの新陳代謝が行なわれたのである。これは日本も全く同じことで、共に10万を突破したイギリス勢としては異例のセールスは若年層を大量にとり込んだものだ。
 そして、シーンをまたたく間に塗り変えてしまったこの2バンドは、片やロンドン、片やマンチェスター出身、一方は女の子受けするロマンチシズムを湛え、一方はフーリガン受けするチンピラ主義(?)を湛え、さらにお互いに憎悪し合っている関係(もっともリアムがデーモンとアレックスを一方的にボロカス言っているのがほとんどで、ノエルはむしろグレアムを認めているフシがあるのだが)とくれば否応もなく対決ムードが盛り上がってしまうではないか。
 と、ここまで書いたところで貴重な情報を入手。HMVの渋谷店ではオアシスが1位。しかもミスチルとドリカムを抑えての驚異の売れ行き。ブラーはCD1が4位、CD2が5位。おお、オアシスが勝っているう。
 で、また今、今度はイギリスの結果を入手。まるで選挙速報のような途中経過として「わずかながらブラーの方が勝ってるんだよ」と別の用件で電話したストーン・ローゼズのマネージャーが盛り上がっていたのが先週の金曜のことだったが、たった今、結果が出たようだ。1位はブラーで2位がオアシス。うーむ、そうなったか。でも考えてみると当ったり前のことでもあって、ブラー・サイドはCD1と2を出しているんだな。これはアルバム2枚同時リリースとは違って、1枚としてカウントされるから、そりゃブラーが勝つわな。巧妙なりブラー、単細胞なりオアシス。いやオアシスは潔いんだね。そういうことにしとこう。
 さて、というわけで現在のイギリスの状況を面白がってばかりいるとひっぱたかれるから『モーニング・グローリー/(What’s The Story) Morning Glory?』に移ろう。最初にお伝えしたいのは、オアシスのデビュー・アルバム『オアシス/Definitely Maybe』からは何と6枚ものシングルがカットされたわけだが、本作からは全部をシングルにするということ。全10曲中、
すでに「サム・マイト・セイ」と「ロール・ウィズ・イット」は発売されているわけだから、残り8曲がこれからシングルになるのだ。こんなことは前代未聞だ。昔、モビー・クレープというバンドが全部をAB面に収めて5枚同発というのをやってドヒンシュクを買ったそうだが、オアシスのこのアルバムは、驚くべきことに何の、なあんの問題もなくそれが成り立つ。サウンド・プロダクションは飛躍的に向上し、エンジニアリングもバッチリ、クソやかましいだけの曲は絶滅。ド・キャッチーなバカ受け曲のオンパレードである。あえてハイライト・トラックを挙げろと言われると頭を抱えてしまうほどの出来だが、無理に選べば、4曲目の「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」か? しかしこの一番おいしい曲をノエルはリアムに歌わせなかった。「ほんとは俺だって歌いたいのに兄貴が歌わせてくれやがらねんだ」とリアムは昨夜会ったら一人、いじけてワインをがぶ飲みしていた。ワハハ。
 そしてこのアルバムはもう一つ、とんでもなくすごいところがある。それはプリンスの『ラヴセクシー』と同じようになんと曲の頭出しができないことだ。発売段階では変更してあるかもしれないが、マスターの段階では間違いなくそういう作りになっていて、これは明らかにバンド側の意志である。それがろくでもないエゴを振り回しているだけならハタ迷惑な話だが、そうではない。この「ハロー」から始まって「シャンペン・スーパーノヴァ」で終わるアルバムの流れは、これだけ個々の楽曲が独立完結していながら、そして、かつてのプログレのようなコンセプト・アルバムでは全くないものであるにもかかわらず、全編通してこの順序で聴いた時にのみ、最高の感動がフーッというため息と共に出てくる並びになっているのである。
 プロデューサーのオウエン・モーリスは「これは『ネバー・マインド』と並ぶ10年に1枚のアルバムだ」と言っている。本当にそういう気がする。これはビートルズへの溺愛が生んだ弱々っちい思考放棄のレコードなどでは毛頭ない。何をやろうがすでに先達の二番煎じという90年代的シンシズムを彼方に葬り去るための知恵とバイタリティーが満載されている作品だ。この一見、古風に見える曲作りとパフォーマンスの背後には、何よりもそうした無鉄砲な自信が宿っているのである。いや、ホント、これ聴くと今を生きることの楽しさが無理矢理注入されてくるんだね。
増井修   
※’95年オリジナル発売当時のものを転載


インスパイラル・カーペッツのローディ時代からノエルとは親しい


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