エッセイのレッスン

 エッセイを書こうと思うのである。

 とつぜん思いついたのではない。文芸部のフジコさんに「あなたがエッセイ書いたらおもしろそう。書きなさいよ。」と言われたからである。三十四年前のことだ。フジコさん、覚えてますか。いやたぶん私のことも覚えてないだろう。

 どうして今まで書かなかったかというと、エッセイというのは限られた人の書くものだと思っていたからだ。たとえば芸能人などの有名人がエッセイを書いたら、読んでみたい人は多いだろう。不思議な体験をした人や変わった暮らしをしている人の書いたものも好奇心をそそられる。別にふつうの人でも、ちょう個性的な感性の持ち主ならおもしろいエッセイを書きそうだ。

 しかし、そのどれにも私は当てはまらない。書きなさいと言われても特に書く題材もないし……と思いながら、なぜかフジコさんの言葉を三十四年間ずっと忘れずにいた。

 あれから三十四年ぽけらーんと生きてきたけど、三十四年も経てばエッセイについてのイメージも変わる。私はエッセイというのは有名人や不思議な体験をした人や変わった暮らしをしている人やちょう個性的な感性の持ち主が書いてこそ読んでもらえると思っていたけど、それは違うのではないか。エッセイの名人というのは、たぶんごくふつうの人だ。ふつうの日常生活をふつうにエッセイに書く人なのである。ふつうとしか言いようのない日常生活が、エッセイの名人の手にかかると何とも言えない味を醸し出すのだ。

 たとえば朝起きて珈琲を入れる、ただそれだけのことが、エッセイの名人の手にかかると一幅の絵のように美しい世界として描かれるのである。すごいぞ名人。だいたい私は朝は紅茶だ。珈琲に比べて紅茶はエッセイに書くには何となくあざとい雰囲気がする。最近は豆乳を飲むことも多いけど、豆乳をレンジでチンするのを情趣溢れるエッセイにするのは難しそうだ。しかも「レンジでチン」と書いたが、うちのレンジはチンではなくルルルン、ルルルン、ルルルルルン! と高らかに鳴るのである。これはちょっとエッセイ初心者の手に余る。第一、ルルルン、ルルルン、ルルルルルン! というのは長すぎる。長すぎて五時台に起きる日や夜中にレンジを使いたくなったとき、近所迷惑になっていないか私は以前から非常に心配なのである。眠りが浅いご近所さんがうーんと寝返りを打ったときに最初のルルルンが鳴っていたとして、目が覚めてしまったとき、きっとまだルルルルルン! あたりが壁を隔てて聞こえているのだ。

 かといってまったく無音だと豆乳が温もったかどうか気付かないから困る。最後の部分のルルルルルン! だけでいいのに。でもこの音の変更できないんだよなあ、レンジを買うときに音を鳴らして確かめるなんてしなかったし、店員さんにどんな音ですかなんて聞かなかった。ふつうそうでしょ、だって“レンジでチンする”って言うではないですか。レンジはチンだと相場が決まってるのである。

 朝起きて、豆乳を飲む、ただそれだけのことなのに。エッセイは、難しい。

ありがとうございます。