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コロナ禍における学力格差の広がりの本当の話/休校や授業数より大事なこと

休校などの影響で、授業(数)が減少して、我が子の勉学が心配、という方も、このコロナ禍では多いのではないかと思う。

ところがどっこい、現状の授業と子どもたちの特性を知っていれば、問題はそこじゃない、ということが見えてくる。


そもそも、授業がきちんと行われていたとしても、僕ら大人世代が思うようには、“子どもたちは授業を「きちんと」受け取れていない”。


特にこれは、旧来の方式の授業、一斉、集団、講義型であるとした場合に顕著なのだ。

かねてより指摘してきた通り、
現代の子どもたちは、“一斉に向けて放たれる言葉を受け取る力が弱い”。
一方通行のメッセージが受け取れないと言えばわかりやすいだろうか。

いわゆる、旧来型の知識の伝達、に特化した授業は、この点で子どもには不向きなのだ。

かつ、昨今さらに目の前で起こることを深く洞察していくと、これはたとえ家庭教師のような個別指導や映像授業であっても同じであることもみえてきた。


詳しい要因は別の機会に改めるが、
対人が苦手になったこと、(従来から想像しうる)コミュニケーションの力が落ちていること、がそれらの一つだと言える。


また、対人ですらない映像授業であっても、子どもたちの学習が難しいと感じるのは、読解度、理解度の低下によるものだ。
(これについてはすでに共に同じ場で指導にあたってくれている山口・坪郷両博士とも共有している点で、小中高と一貫して同じ傾向が明らかである)


危険なのは、内申点を握っていることを利用する形で、管理統制が強まり、発言すらせず大人しく黙って授業を聞いていることで、「授業が理解できている」「話が聞けている」と勘違いしてしまうこと。


親御さんにとっては、子がとりあえず学校に行き、授業を受けているのだから、多少、集中力にかけていても、「(授業を)聞いているのだから、勉強ができているはず」と思うのが、フツーの感覚なはず。
が、残念ながら、残念な状況であることはもはやいうまでもない。現実は大人が想定するよりも、かなり、まさか、の事態を迎えているのだ。
(詳細は随時発信の記事、動画を参考に)


コロナ禍での学習の格差の広がりは、すでに、調査等で明らかになっている。

しかし、現実はもう少し厄介だ。
それは先述したとおり、実は、現世代の子どもたちは、授業があっても、よりその内容を受け取れなくなってきているからだ。

ゆえに、最近のコロナ禍における(学力)格差の広がりは、コロナ禍での授業数の減少や学習のやりづらさ(たとえば感染対策でマスクの着用によるコミュニケーションの量や質の低下、授業や課題の進め方の変化など)に本当に起因したものなのかは、実は、怪しいということも見えてくる。
なにせ、コロナ禍下の調査では、どうしても相関関係に持ち込みたくなるからだ。

しかし、実のところはどうであろうか。

実は、こうも考えうるはずである。

どんどん下の世代に移っていく世代変化とそこにある学ぶ力全般の低下(ここでは先に述べた授業を受ける力や理解読解力などを指す)だと見るなら、コロナの影響よりも、この点にこそ相関ある可能性が出てくるのである。


この手の見立てが不十分(すぐにコロナと休校などの影響と結びつけしまう)であるのは、
現場での子どもたちの特性の変化を見抜いていないことに起因する。


どんな研究者も、実際には現場で教鞭をとっておらず、子どもたちと付き合ってはいない。
前提とする子どもたちが、世代移行とともに、大きな変化をしていることが、未だ見過ごされているのが、今の所の現状であろう。残念ながら。


ということで、ここまでをとりいそぎ、お伝えをしておきたい。


なお、僕はすでに子どもたちの特性を洞察し、長くこれに取り組んできていている。

新たな世代の子どもたちが何をどう学び、成長や自立に向かう必要があるのか。現代の子の新たな特性をしっかり見つめながら。


(普段から記事、動画をご覧の皆様には理解していただきやすい話かと思います)

ご興味のある方は、まずは記事や動画の気になるタイトルのものを読まれてくださいね。その上で、ぜひ、ご興味のある皆さん、お話ししていきましょう。

動画でもお伝えしていますが、より詳しく深い内容は、メンバーシップ的な閉じたところで深めていきたいと考えています。何か、いいツールがないものか。



-おわり-


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