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震災から10年、被災地にて考える⑥

3月12日(金)農家民泊いちばん星から

 今日は農家民泊いちばん星さんから一日がスタート、朝食もかなり豪華で野菜中心の食事ながらご飯が進むので、また太りそうだななんて想像する。朝からお腹いっぱいになってコーヒーをいただいていたところ、昨日仲良くなったNPO法人の皆さんから「今日これからペンキ塗りするけど、手伝わない?」なんてお声がけいただいた。昨日夜中にブログを書いて眠いので、今日はのんびり散策しようと思っていたけれど、楽しそうなんで参加させていただくことにした。何の話かよくわからないまま二つ返事で参加させていただいた。

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いちばん星さんの豪華な朝食

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NPO法人の皆さんが朝蒸した笹団子

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いちばん星さんの庭にはアルパカが、全然愛でる余裕がなかった。

心の駅の整備作業へ

 イマイチよくわからないまま、復興のためのボランティアや誰かに喜んでもらいたいという想いの元の取り組みというのを感じてついてきた。のんびりしようと思ったけれど結局9時には出発することになった。で現地に来てみたところ、震災の復興ボランティアの取り組みでベンチを設置しているそうで、このベンチを毎年メンテナンスに来ているそうだ。元々は仮設住宅でのロビーのようなところが集まりずらくで、外に集まれる憩いの場を作ろうという事で始まったそうだ。で仮設住宅撤去に伴って南相馬市の各所に移動したようで今もペンキの乗り換えて応援メッセージのペナントの付け替えをやっているとの事で一緒にペンキ塗りのお手伝いをさせてもらった。

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色が剥げてしまっているベンチと東屋にペンキを塗る

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ベンチの全面にペンキを塗っていく

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鹿島市役所近くの散歩道脇、第一号が完成大体1時間弱。何となくでついてきたらあとこれが4個あるらしい。

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2か所目、道の駅南相馬にて

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3か所目、河原沿いエリアにて

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3か所目、花が植えられてる空き地には昔は家が建っていたとか

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3か所目、堤防。河原沿いで海から津波が流れ込んできたらしい。

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4か所目 小高駅前。前に来たときは気づかなかったけどかなり目立つところにあった。

 4か所目のペンキを塗るころには13時30分を回っていたので、みんなでお昼を食べに行く事になりこの旅で2日目の双葉食堂へ、NPOの皆さんも昔からご縁があるそう。お昼を食べながら東日本大震災があった時に、どのタイミングで、何を想って、どうやって被災地に訪れたのかNPO法人の代表の方にお話しを伺いしてみた。NPO法人おぢや元気プロジェクトは中越地震をきっかけに立ち上がった団体で震災以降地域を元気にするための様々な取り組みを行ってきたそうだ。元々新潟の小千谷市と東京の杉並区と南相馬氏が都市交流を行っていて、NPO法人としても南相馬市の方とご縁があったことがまずは動機との事だった。代表の若林さんは震災のニュースを聞いてまずは南相馬市の知り合いに連絡を取りまくったけれど返事がなく、詰めるだけの物資を積んで南相馬市の方に向かったそうだ。現地に近くになって南相馬市の知り合いの方から連絡が入って、避難エリアに入って支援が始まったとの事。それからは新潟県の長岡市に支援センターが立ち上がり、何度も物資を届けに訪れたそうだ。災害への危機感や備え、対象地域とのご縁、その両方があったからこそ取り組みがつながったのだなと考えさせられた。

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この度二度目の双葉商店さんへ、今日はもやしラーメン。ラー油が効いてて結構辛い。

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最後の5か所目 小高商店にてNPOの皆さんと一緒に、小高商店では唐辛子の特産品を作ってるらしい。

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ペナントが足りなくなったそうで、私も書いてみた。

ペンキ塗りながらNPOのみなさんは朝手作りしていた草餅を地域の皆さんに配る、各所でボランティアを通じてできた繋がりを確認しつつも、お変わりないですかと色々な世間話をしていた。このベンチを通じて繋がりが確認出来る事が嬉しいんだなと取り組みを通じて実感。後はメンバーのみんなは基本的にしっかりと地元の人と交友関係を気づいていたのだけれど、ペンキの塗り方とか細かいとこでちょこちょこ身内で文句言い合ってたり、なんだかかわいかった。それで十数年やってるチームと考えるとなんだかんだでいいバランスのチームなんだろうな思った。ちょっとお節介なところもあるかもということを自覚しながら、それでも相手に配慮して勝手に愛を振り撒いていく。お金にもならないかも知れないし、目に見えて誰かを救うわけでも無いかも知れない。ただその繋がりは有事の際にきっと役に立つし、NPOの皆さんが何よりこの取り組みを通じて繋がり続けることをとても楽しんでいるのだなとそんな風に感じなところだった。子供や若者への愛について前に考えたが、自分らの愛が誰かを傷つける事もあると自覚があるか無いかで全然違うものに感じられると改めて考えさせられる。

楢葉町へ向かう

 なんだかんだと最後まで一緒に行動していたらもう15時30分に、のんびり行こうかと思っていたけれど、なんだかんだと慌ただしく楢葉町へ向かう。元々この日は楢葉町のゲストハウスに宿泊する予定だったのだけれど。楢葉町には以前高畠へ遊びに来てくれた学生さんが今住んでいることを思い出し、久しぶりに会いたいなと思い連絡したところ夕方から時間が合いそうだったので地域の交流館で会う事にした。

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 楢葉町についてまずは「ここなら笑店街」へ、ここなら笑店街は震災後早くから屋台村のような取り組みをやっており、少しずつ発展してきて今はショッピングモールになっている。近くには復興住宅も立ち並びコンパクトシティとしての整備がされている。この辺はまた明日楢葉を散策して詳しく書いてみる。

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ここなら笑店街の近くにある交流施設CANvasへ

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CANvasには住民の色んな作品が展示されておりにぎやかだった。

木戸の交民家に到着

 学生さんとCANvasにて合流して、本日の宿「木戸の交民家」へ案内してもらった。木戸の交民家到着からの写真を取り忘れたので、明日以降アップしていこうと思う。木戸の交民家に到着してオーナーの緑川さんに出迎えてもらった。木戸の交民家は古民家再生を通じて顔の見える交流を作りたいと始めた取り組みだそうで玄関には地酒を売っていたり、特別栽培のお米を交民家の仲間たちと作っていたりと、色々とこだわりを持って活動されているのがとても感じられた。

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木戸の交民家の外観

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たぬきの下半身はつい最近の地震で壊れてしまったそうだ

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かなり大きな平屋の古民家

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本日のお部屋

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木戸の交民家の紹介

濃いメンバーと今回の旅の総括のようなお話

 自己紹介なんかをしているとにぎやかな4人組が到着して合流した。HafHという月額制多拠点居住サービスを手掛ける事業家の方と学生さん3人だった。みんなで3.11を機に福島を巡っているとの事だった。一緒に晩御飯どうしよねという話をしたところ大体同じようなルートだったので、同じ車で買い物とお風呂に行くことになった。で帰ってきたら交民家へよく集まるメンバーと宿泊のゲストで色んな話をした。一緒にお風呂に行った皆さんに、原発の除染関係の仕事をしている方、原発事故のドキュメンタリー映画を製作する方、東日本大震災や原発事故の教育事業を手掛ける方等を交えて、色んな立場から見えるものや感じる事を語り合った。
 特に昨日行った東日本大震災・原子力災害伝承館の展示についてどう思うかといった話が盛り上がった。入ってすぐ見る動画の西田敏行さんの開幕のナレーションからの違和感、やっぱり「原発事故は人災」の看板と文章はよく施設に行く方も初めて見たらしく最近追加されたものらしい。何かしら抗う意思を感じた。綺麗に埋め立てられた土地に綺麗にまとまった伝承施設、震災の傷跡のようなものや苦しみや痛みのようなものをなかったしていいものなのか、シンプルに考えたいと思っても中々どちらにも行けないままのもどかしさ、そのもどかしさが逆にいいのかもしれない、沖縄や長崎や広島にも似たようなもどかしさがある、被災者の代表として祭り上げられる事の辛さ、とそんな事を話した。あとは学生の皆さん各々のお悩み相談の話なんかが飛び交った。シェアハウス運営やバイトの話やコミュニティづくり、そもそもコミュニティとは何かというような話をする。東日本大震災から10年をきっかけにここに集まった各々が、今回の旅を総括をするようなとても濃い時間だった。

 呑んで語らう場も少しずつ落ち着いてきた会場でこれを書き始めたのだが、ようやく書き終わりそうだ。まもなく午前4時。一通りの出来事を書いたけれど、うまく考えがまとまらない今日はまとめきれそうにないので、明日帰ってからこの旅の全体を含めて総括していこうと思う。今日の日記もあとで校正したい。

※後で色々追記と校正しました。


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