認知理論でアフォーダンスというものがある。

アフォーダンスとは、環境にあるものが動物に提供する価値(情報)のことである。

アフォード(afford)とは、~ができる、~を与えるという意味を持つ動詞であるが、

その名詞的な用法としてアフォーダンスという言葉をギブソンというアメリカの知覚真理学者が作ったわけだ。

簡単に言うと、例えば1枚の紙があるとする。

普通に薄い新聞紙のような紙なら、あなたはそれを破れると知覚するはずだ。
それは、その紙が”破れる”という情報をあなたに与えているということだと説明するわけだ。

同様に椅子は”座れる”という情報を与えており、ステーキは”食べられる”という情報を与えている。

人間にとって、無理なくそのような人間が行動することや感じることを情報として与えてくれる”もの”や”環境”の存在は、人間にとってとても心地よく、有益なものであると思う。

今、都市づくりをこのアフォーダンス理論を中心に考えてはどうだろうか。

人間に、人間ができることや幸せだと感じることを情報として与えてくれる都市。

それはハードであったりソフトであったり、デザインであったり雰囲気であったり。

その与えてくれる情報が人間の持つ性質にぴったりの情報であればあるほど人間は心地よくなれそうな気がする。

もう少し言うなら、人間に幸福や善を与えて(アフォードして)くれる都市づくりこそ、あるべき大きな行政課題なのではないか。

人間にとって幸福とか善とは何か。
先人の書によると、それは本当にいろいろだ。

デカルトは健康こそまぎれもなくこの世で最上の善であり、ほかのあらゆる善の基礎であるとする。

ラッセルは、幸福に不可欠なものとして、食と住、健康、愛情、仕事上の成功、仲間から尊敬されることを上げる。

この他にも絵画や音楽などの芸術、様々な文化、宗教や娯楽、そして時には興奮することも必要だろう。

これらのような、人間を幸福にする様々な価値を情報として、都市の様々なアイテムが無理なく我々に与えてくれる。

それこそあるべき都市の姿ではあるまいか。

ある大学が提唱するスマート・ウエルネス・シティという町づくりの一つの方向性がある。

これは、人間の幸福に不可欠なものの内、健康のみを実現する目標として置き、都市のハードやソフトが、人間が思わず歩いてしまう状況(情報)を提供する・・・そして、歩く、歩き続けてしまう町づくりをするべきであると語るが、もちろんアフォードするのは歩くことや健康になることだけでは足りない。

人間は健康だけでは十分に幸福にはなれるものではないだろう。

もっと多様で豊かな情報を、都市が全体として、住まう人間に提供をしていかなければいけない。

それこそが人間中心都市設計なのかもしれない。

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