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エッセイ『人生どう転ぶかわからない #4』

「おまえにも責任がある…」
私は心の中で担任の言葉を反芻しました。

あまりにもあからさまな責任回避を決め込むその姿勢には
清々しさすら覚えたくらいです。

私の親始め、親類知己は教員が多く、彼らの資質、マインドセットがある程度わかっていましたので、職員室の内側に期待することはもうやめることにしました。

「公的義務教育機関」は私は「収容所」だと昔も今も思っていますが、
彼らは教育者ではなく、収容所の管理者だと考えれば、すっと腑に落ちます。
特定の収監者に肩入れするわけにはいきませんからね。
(全員がそうだとは言いませんが)

仮に、いじめられている側の生徒を守って、
いじめ側の生徒の親が怒鳴り込んできたりして、
揉めに揉めて責任問題に発展すれば、
定年まで勤めあげて、多額の退職金を受け取り、
公的年金と互助会の年金で悠々自適に暮らす人生設計に
狂いが生じるかも知れません。

だから彼らに「弱者の立場に立つ」などという価値観は
有り得ず、いじめがあっても「ない」と事実を糊塗しようとするのは、彼らの当然の脊髄反応なのです。
(全員がそうだとは言いませんが#2)

学校からの帰り道、子供ながらにあれこれ思案し、
私は自分の生存本能に従い、学校と決別する意思を固めました。

そしてその日、液体ヘリウムのように教会に逃げ込んだわけです。

ー続くー







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