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イパネマの浜辺

イパネマの浜辺と言うと、アントニオ・カルロス・ジョビンの有名な曲「イパネマの娘」を思い浮かべる方が多いであろう。

イパネマで見かけた綺麗な娘に恋してしまったジョビンが、その片思いを綴ったのが、この曲の始まり。

そこから感じられるのは、広い浜辺と穏やかな波、青い空とゴミゴミしていない空間であろう。

しかし、実際のイパネマビーチと言うと、広い浜辺とサーフィンができるほどの荒い波、人でごった返す真夏の湘南並の混雑である。浜辺も波で深く掘れていて、海に入るとすぐ足が届かなくなるほどの深さであった。透明度は綺麗な時は透き通って真っ青だが、汚い時は緑色でひどい濁り。水温は亜熱帯の海にもかかわらず、南極からの寒流が湧き上がってくる影響からか、真夏でも意外なほど冷たい。体感で22度前後といったところ。

道場が休みになる日曜日には、毎週のように練習仲間たちとお気に入りの場所、に繰り出していた。ミルトンのお気に入りはポスト9、みんなが集まるのは決まってその場所になった。

コパカバーナ、イパネマ、レブロンにかけては、ライフセーバーの監視台があり、コパカバーナからポスト1と言うふうに番号が振られていた。ポスト9はイパネマのど真ん中にあり、最も人気のある場所でもあった。

カリオカ(リオの住人)にとって、ビーチに行くと言うことは友達に会うと言うのと同義語である。ビーチはみんなが集まる社交場。そこへ行けば必ずパーティーが開かれているのと一緒で、必ず誰か知り合いと会うことになる。

ビーチにはTシャツと短パンその下に水着をつけ、小銭をポケットに忍ばせておけば、他に何も持っていく必要は無い。

通常、日本でもアメリカでも、ビーチに行くにはビーチチェア、タオル、着替え、レジャーシート、食事などたくさんの準備が必要である。しかしリオでは、ビーチチェアを貸し出す店がそれぞれのエリアごとにあり、安く借りることができる。確か2006年当時は、1日10レアル(当時日本円で350円ほど)であった。

食べ物はと言うと、ビーチの上を常に物売りが歩いており、サンドイッチやフルーツジュース、ココナッツジュース、ビール、アサイー、シュハスキーニョ(シュハスコの串焼き版で日本でいう焼き鳥ほどの量)、エビの串焼きなど何でも好きなものを買うことができた。

サングラスを忘れたら、それも物売りから買うことができるし、Tシャツや水着を売り歩く物売りもいる。リオのビーチは社交と買い物、食事を同時に満たすことのできる優れものであった。

物売りと言うと、貧しい人たちが生活の足しとして行なっている何かネガティブなイメージが思いおこされる。実際、路線バスに乗り込んでくる物売りは無理やりキャンディーやチョコレートなどを売りつけてくる感じで、そのイメージに近い。

しかし、ビーチで見かける彼らからはネガティブなイメージは全く感じられない。なぜなら、彼らはビーチで物売りをすることによってかなりの高収入を得ることができているからだ。

その当時、リオの工事現場で1日雑役として働くと35レアル。3食を買って食べようものならすぐにこのお金はなくなる。それ以外に住居費や交通費を合わせると、到底この金額ではやっっていけない。数年ほど前から、日本でもワーキングプアという言葉が聞かれるようになったが、ここリオでは、国民の90%を占める貧困層は、はるか昔からその状態であった。

そう考えると、ビーチで物売りをしている人たちは、貧困層からの成り上がりとも言えた。

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