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バイト遍歴~マクドナルド編~

フライドポテト不足など、何かと話題になる大人気のマクドナルドである。わたしはこのマクドナルドで高校生の間アルバイトをしていたので、その時を振り返ろうと思う。ちなみに、マクドナルドはわたしの人生初のアルバイトである。


まず、わたしは高校生になると中学生の時まで3000円あった小遣いが全額カットされた。これは母の方針によるもので「働ける年齢になったら、学校で必要な物以外はお金を出さない」という方針であった。高校生では特にお金を使うことはないが、一定のお金は必要なのでアルバイトをすることにした。

だが、わたしは高校の授業に加えて、野球部(とは言っても弱小)に所属していたので、そんなに多くシフトには入れそうになかった。野球は好きであったが、甲子園などは程遠い弱小だったので、運動程度にやっていた。(チームメイトや顧問には申し訳ないが)それでも部活はやるものだと思っていたので辞めるつもりはなかった。1番の関心事は時給や制服よりも、少ないシフトで入れるかどうかということだった。

タウンワークを色々と見ていると家から近い中華料理の王将がよいのではないかと思った。だが、家から近いということはそれだけ知り合いに働いている姿を見られてしまう可能性があるということだ。それはなんとなくイヤだった。また、校則ではアルバイト禁止であったため、高校にバレたくないという気持ちもあった。

それで総合的に考えると、自転車で15分くらい離れたマクドナルドがよいのではないかという結論になった。すぐにネットから応募した。するとすぐ面接の日になった。いつもならレジの人に「チーズバーガーと・・・」と気軽に言えるが、その日は「面接に来ました・・・」という言いなれないセリフを言わねばならなかった。マクドナルドで緊張したのはこの日が初めてだ。

面接に行くと奥の楽屋に通された。女性社員のHさんが対応してくれた。妊婦さんだった。どんな質問をされたか忘れたが、「積極的に行動する方ですか?」などという高1のわたしにも答えやすい質問だった。一緒に同じく高1の女の子も面接を受けた。その子はフラフープが得意だと言っていたことだけは覚えている。


数日後スマホに採用通知が来た。わたしは死ぬほど嬉しかった。それは受験に合格するという嬉しさとはまた別で、お金をいただく「労働」という関係を通じて、社会に自分が認められたような感覚がしたからだ。

わたしは基本的に土日の18時~21時で毎週シフトに入った。土日も17時くらいまでは部活があるため、どうしても18時になってしまう。そしてマクドナルドでは(店舗によるかもしれない)高校生は21時(法律上では22時)までしか勤務ができないルールだった。そういったこともあって18時~21時というシフトに行きついた。土日は主に「部活が終わればマクドナルドで行く」「試合が終わればマクドナルドへ行く」「部活OFFで友達と遊んだ後にマクドナルド」の3パターンのどれかだった。

アルバイト先では若い先輩たち(主に大学生)が仕事を優しく教えてくれた。マクドナルドは基本的に日中は主婦さん、夕方以降は大学生アルバイタ―によって構成されている。わたしはほぼ夕方から夜にかけての勤務であったので、主に大学生の先輩と働いた。大抵の場合、男性は調理、女性は接客で始まるので、わたしももれなくキッチンの担当になった。

初めてのアルバイトはワクワクしたが、慣れるまではかなり緊張した。最初の内は先輩が付きっきりで見てくれるが、1ヶ月もすると独り立ちのようになって、ほとんど1人でこなさねばならくなった。「ミスをしたらどうしよう」「オーダーが溢れてしまったら、どうしよう」と常に不安だった。特に不安だった時はアルバイトの日にマクドナルドへ着くまでにチャンバワンバの「Tubthumping」を聴いて自分を鼓舞した。この曲を聴くと頑張れる気持ちになるし、マクドナルドまでの道のりの記憶がよみがえる。

だが、バイトを始めて2か月もすると、すっかり仕事を覚えてしまった。マクドナルドは全国チェーンであるので、見た目や味の均質性を保つために完璧なマニュアルが用意されている。我々クルーはそのマニュアルに合わせて機械的に作業するだけでよい。火加減や味付けに気を遣う必要はない。

最初は覚えるのが大変だが、そのマニュアルを体で覚えてしまうと仕事が驚くほどラクで楽しくなる。何か別のことを考えながらでも動けてしまうようになった。作業マニュアルを体で覚えこんだ後は、どれだけ早く作ることができるかというゲームを一人でしていた。完璧なマニュアルであっても、自分の動きやストックの準備などで、削減できる時間はいくらでもある。そういつも思っていた。正しい調理方法や調理時間は厳守しながらも、常にテキパキ動くことを心掛けた。

なによりそうすること自体が楽しかったのだ。学校や部活では味わえない「社会に貢献している」ような感覚が味わえた。テストで高得点をとることや、試合でヒットを打つのとはまた違った悦びがあった。時給は800円にも満たなかったが、マクドナルドでの仕事それ自体が快感であり、いい意味で仕事だと思っていなかった。時給などもはやどうでも良かった。これは単に時給が低いことによる認知的不協和なのかもしれないが、当時は本当にそう思っていた。

また、先輩が大学生だったことも良かった。私自身も漠然とでは大学進学を考えていたので、大学生の生の話ができる環境はありがたかった。当時の高1や高2のわたしから見る「大学生」はずっと大人に見えた。良い服を着て、良い靴を履いていた。デートも大人っぽいデートをしていた。そんな大学生の生活に当時はとても憧れた。優秀な先輩からは大学受験に関するアドバイスをもらったり、参考書を実際にもらったこともある。わたしが浪人時代に通っていた予備校も、マクドナルドの先輩の紹介によるものだ。

アルバイトと言えば「時給が高かれば高いほどいい」というカーストのような雰囲気が存在する。確かにお金のために働く以上、時給は大切だ。確かに、わたしの時給はさびれた商店街にある店舗ということもありけっこう低かった。多くの友人が時給800円以上をもらい、USJでアルバイトをしている友人は1000円以上もらっていることもあった。それに比べるとわたしの780円代という時給はかなり低かった。時給のことしか考えていない高校生の友人たちはわたしの低い時給をよく笑ったものだ。

だが、あの商店街のマクドナルドは780円代という時給でも良いと思える環境だった。それくらい楽しかったし、良い人に恵まれた。むしろ雇われているこちらがお金を払ってもいいと思えるくらい、面白い毎日だった。

部活をしながらアルバイトをして、月にだいたい2万円くらい稼いだ。高校生にとっての2万円はかなりの大金だ。バイトのおかげでわたしは裕福な高校生活を送ることができた。部活終わりにファミチキを食べたり、ラーメン屋へ行ったり、ブックオフで本を買うなどに主にお金を使った。

何本のフライドポテトを揚げたのかわからない。何個のハンバーガーを作ったかもわからない。そんなあのマクドナルドは確実に高校生のときのわたしの居場所であったし、青春であったのだ。


初バイト

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