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職場研修「グリーフケア」と「車イス体験」について

私の仕事はデスクワークの事務仕事だが、職場には研修制度があって、時たまに色々な研修を受けることができる。

今回は個人の選択型の研修になっていて、各自が興味のある研修を選択するという形式だ。私は3つの研修を受講したが、その中でも特に印象に残った「グリーフケア」に関する研修と車イス体験の研修について書いてみたい。


①「グリーフケア」に関する研修


「グリーフ(Grief)」とは悲しみ、苦悩と訳される英単語で、グリーフケアという文脈では「大切な人を亡くした時の悲しみ、喪失」のことを指す。

研修では中でも周産期グリーフケアを行う団体の方を講師としてお招きし、お話を頂いた。「周産期グリーフケア」とは死産・新生児死亡で子を亡くした母親やその家族の悲観に寄り添うケアのことを指す。

死産や新生児死亡は一般的な死別と異なる点が多い。例えば、その子との時間を過ごしていない、または極端に少ないため、その子の存在が周囲の中で無かったことになるなど、確かにあった命の存在が希薄になってしまうという現実がある。また、母親が「自分のせいだ」と自分を責めてしまうことや、その苦しみや悲しみを抱え込んでしまうことも少なくないようだ。先述したように、その子の存在が認知されていない場合も多く、周囲の理解が得られにくいという現実もある。

他にも手続きの都合で「出生届」「死亡届」を同時に出さなければいけない場合や、記録上では出産を経験したことになっているため、それ以降に子を授かった場合に「もう育児のご経験があるからわかるとは思いますが」などという、配慮の無い対応をされてしまうこともあるという。

そういった周りに理解されにくい悲しみや、共有できない苦しみに寄り添うのがこのグリーフケアであり、周産期グリーフケアの団体の活動であるという。活動ではグリーフを経験した人の話を団体のスタッフが傾聴したり、当事者同士のワークショップを行ったり、亡くなった子の誕生日を祝い、その子の存在を皆で認めるなどのイベントを行うそうだ。

研修の中で団体の方が当事者の手紙を読む場面があったが、団体の方はそれらの手紙を泣きながら読んだ。それらのメッセージには誰にも言えない悲しみ・苦しみや配慮の無い医療や行政に対する不満などが記されていた。このような声は現実世界ではなかなか知られることの少ない声だ。

周産期グリーフケアのように、なかなか目には見えない悲しみや苦しみがそこにはある。団体の方がおっしゃっていたのは「涙を流していなければ悲しみを感じていないと言えるか」ということだ。見た目で大丈夫そうだからと決めつけるのは早計である。世の中には表面的にはわからない悲しみや苦しみがあり、それらにも寄り添うことが大切である。

②車イス体験

車イス体験ということで関西の車イスソフトボールのチームの方々にお話と講義をいただいた。

研修の前半では実際に車イスに乗り、公園を移動したり、ソフトボール体験を行った。車いすを押したことはあるが、実際に乗って移動するのは初めてだ。受講生は皆競技用の車イスに乗って、広大な公園を移動した。車イスは特別難しいということは無く、進んだり曲がったりは思っている以上に簡単にできる、ただし、腕を使って車輪を回すので腕が結構疲れる。上り坂ならなおさらだ。車イスに慣れている方は手首の返しや肩甲骨の勢いで楽に回せるそうだが、それを習得するには時間がかかりそうだ。

その後は車イスソフトボールの体験ということでキャッチボールやバッティングを体験した。車イスソフトボールはグローブをはめずにゴムの付いた手袋でキャッチをするそうだ。キャッチボールはボールが硬くてけっこう手が痛くなる。相手が投げたボールがそれた場合は、車イスを速やかに動かして取りに行くそうだがそれがすぐにはできない。バッティングは普通にスイングすると、その勢いで車イスが回転してしまうので、それを防ぐために車イスを固定する器具で車イスを固定してから、スイングを行う。立位のように足腰が使えないので、スイングがけっこう難しい。

研修の後半では車イス生活での不便についてのお話をいただいた。例えば外食をしようとすれば、テーブルなのかカウンターなのか、何階にあってエレベーターはあるのか、段差はあるのかなどということを確認してからでないと行けない。そういった入念な下調べが毎度必要になるとのことだ。

街中では雨を逃がすために道路が斜めになっている場合が多く、車イス流されてしまい操るのが大変だそう。また、足で踏むタイプのアルコール消毒や立った状態で行う検温器は、車イスの高さでは届かないというこだ。他にも多機能トイレの有無や車イスでの乗り降りができるスペースのある駐車場があるかなどに気を遣わねばならないそう。

このように多くの場所では健常者を前提とした設計がなされている。そこに少しでも車イスでも使いやすい設計や視点を少し変えた設備があれば助かるということをお話されていた。特に印象に残ったのはソフトボールチームの代表がおっしゃっていた「皆さんは目が悪いから眼鏡を掛ける。我々は脚が悪いから車イスを使う。それだけのことです、皆さんと何も違いはありません」ということだ。

さらに、「根掘り葉掘り聞いてきて欲しい。それにしっかり答えるし、色んなことを知ってもらえる方がいい」ということをおっしゃっていた。多くの人はどこかで車イスを使う人を特別視して、そもそも距離をとってしまっているという現実がある。だが実際はそうではなくて、色々なことを聞いたり、知ったりすることの方が大切だということだ。


今回は2つの研修を受けたが、百聞は一見にしかずということで、当事者の声を聞くことや実際に体験をすることが大切だと思った。

グリーフケアも車イスを使う人も、意識の中では、確かにこの世に存在する現実であり事実であることは理解できる。だが、では実際にどんな現場があって、どんな想いがあって、どんな苦悩があるかを知っている人は私と同じくほとんどいないと思う。

今回は「研修」という形でこれらの現実に触れることができたが、何かを知るチャンスはこれからも逃さないようにしたい。何かを知ってすぐにどうにかなるということは少ないが、何も知らないよりはずっといい。自分の目線に映らないセカイがあるということを、常に意識しておきたいと感じた。

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