何かを始めるのに、遅すぎるということもない
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何かを始めるのに、遅すぎるということもない

はじめに

はじめまして。Twitterやブログでお世話になっている方はいつもありがとうございます。ましろです。

「noteで記事を書いてたら仕事のオファーが来た」というライターさんのツイートを見て、じゃあ自分も書いてみようと思ってnoteのアカウントを作成したのが今年の4月。結局、今まで何も書いていませんでした。書きます。

noteでは最初の記事になるので、あらためて自己紹介から。

大学を卒業してから7年半、とあるIT企業で働いていましたが、色々あって退職。去年の10月から、フリーライターとして活動しています。

主な執筆ジャンルはマンガ、特に4コマ。マンガ家さんへのインタビュー記事や、マンガのレビュー記事を書いています。執筆メディアは「コミスペ!」「ねとらぼ」「まんが王国ラボ」など。11月に開催された「まんがタイムきらら展」で販売された図録の中では、あfろ先生と得能正太郎先生にインタビューする機会をいただきました。

収入は会社員時代よりも減っているし、ライターを始めた時点で30歳というのもはっきりいって遅い。20代でバリバリ活躍されているライターさんを見ると、正直焦るし嫉妬もします。

だけどこの1年を振り返ってみると、そうした著名なライターさんでもなかなかできない経験をさせてもらったなあと感じます。きらら展図録の他のインタビュアー、前田久さん(蒼樹うめ先生担当)とCOMIC ZINの塚本浩司さん(ヒロユキ先生担当)ですからね。図録を読んだとき、この並びに自分の名前が入っていいのか……? とびびりました。

この記事では、未経験の状態からライターを始めた自分が、マンガ家さんのインタビュー記事を書けるようになるまでに実践してきたことを書いていきたいと思います。

※タイトルとアイキャッチ画像についての補足

最初に謝罪しておくと、この記事に「どうびじゅ」要素はほとんどありません。期待された方は申し訳ありません。

だったらどうしてアイキャッチ画像に『どうして私が美術科に!?』の表紙を使っているのかと、1本目の記事なのにタイトルが「遅すぎるということ"も"ない」なのかといえば、今年の3月ごろブログで書いた以下の記事の続きも兼ねているためです。

とはいえ関連性は特にないので、上の記事を読む必要はありません。時間のある方だけどうぞ。要約すると、以下のようなことを書いてます。

・芳文社の4コマ『どうして私が美術科に!?』の作者・相崎うたう先生は、連載開始当時まだ高校生だった
・つまり、初投稿作『つぼみアレンジメント』の時点では中学生だったことになる
・中学生の時点で「マンガ家になる」と将来の夢を決めて、出版社に持ち込みするという行動を起こして、夢を叶えた相崎先生には尊敬の念しかない

だから、「何かを始めるのに、早すぎるということはない」

これを踏まえて「遅すぎるということもない」というタイトルで、相崎先生もたしかにすごいけど、大人になってから新しいことを始めている人もいるという記事を続けて書く予定でした。

40代でマンガ家になった方であったり、50代でライターになった方であったり。ただ、途中まで書いたものの、「他人」が主語でいいのか? 「自分」はどうなんだ? というもやもやが晴れず、お蔵入りに。

そこから自分なりに考えて行動を起こしてきて。ようやく、「自分」を主語にしてこのタイトルで記事を書けるようになった気がします。

きっかけは『こみっくがーるず』だった

去年の10月にライターを始めてから、クラウドソーシングと「萌えまんがの部屋」での記事執筆、空いた時間でブログ更新、というサイクルを半年間ほど続けていました。

今年の4月ごろ、活動の幅を広げるために「コミスペ!」など他のメディアでも記事を書くように。それと並行して、マンガ家さんにインタビューがしたいと考えるようになる出来事があり、水面下で準備を始めます。

ライターになった当初、インタビュー記事を書くつもりはまったくありませんでした。人と話すこと自体あまり得意じゃないし、自分には向いていないと思っていた。

それでも挑戦しようと決めたのは、『こみっくがーるず』のアニメが放送される前にブログで書いた以下の記事が発端。

主人公のかおすのモデルは、作者のはんざわかおり先生なのでは? という冗談半分の考察記事ですが、絶版になっている作者のデビュー作『いちごオムレツ』を取り寄せて調べたりして、割と手間がかかっています。

アニメが始まったらどこかのサイトにはんざわ先生のインタビュー記事が載るだろうし、そこで答えが分かるかもしれないと期待していたところ、アマゾンの特設ページで以下の記事が公開されました。

(※当時は↓のリンク先から読めたのですが、今は削除されてます)

「かおすのモデルははんざわ先生ですか?」というズバリな質問に対しての回答があった他、はんざわ先生がマンガ家になったのは亡くなったお兄さんの夢を叶えるためでもあったことなど、貴重な話が載っている記事だった気がします。

昔なら、「知りたかったことを他の人が聞いてくれてラッキー」と無邪気に喜んだかもしれない。だけど、そのときの自分の気持ちは違いました。

はっきりいって、悔しかった。どうしてこのインタビューをしたのが自分じゃないんだろう? と思った。

聞きたいことがあるなら、聞きに行けばよかった。会社員時代ならともかく、ライターをやっている今ならインタビューするチャンスも時間もあった。なのに、実績がないから無理だろうと心のどこかで言い訳して行動すらせず、ブログで記事を書いて満足していた自分に腹が立った。

こうして振り返ると、今年の3~4月は色々あったなあ、と思います。インタビュー記事を書こうと決めた以外にも、相崎先生の件のツイートがあったり、コミスペ!でのお仕事を始めたり。人生の転機というのは、一気に訪れるものなのかもしれません。

ブログでインタビュー記事を書いた

とはいえ、他のメディアでインタビュー記事を書くためには、取材ができるという実績を作る必要がある。なので、まずはブログにインタビュー記事を載せることを目標にしました。

取材させてもらえるようにお願いしたのが、『ファーストクラスニートましろ』(竹書房)のえきあ先生。その節は大変お世話になりました。

なぜえきあ先生だったのか。ファンだからなのはもちろん、それなりの理由と打算もありました。直接の面識はないものの、Twitterで相互フォローしていただいていましたし、自分のPNが作中のヒロインの名前と同じ「ましろ」なので、何のつながりもない方に依頼するよりは取材を受けていただける可能性が高いだろうと。

今思うと、出版社を通して依頼するべきだったと反省していますが(えきあ先生に直接メールを送りました)、ご快諾いただき、都内某所のルノアールで取材を実施。記事の事前チェックにもご協力いただいて、5月にブログで初のインタビュー記事を公開することができました。

インタビュー記事の書き方は独学です。基本的には、ネット上の他の記事を真似したり。特に、かーずSPさんの記事をだいぶ参考にしています。「記事の書き方」に著作権はないし、そもそも取材している人が違うから問題ないと思っている。

ブログのインタビュー記事を材料に、他のメディアに営業をかけた

0だったものを1にするのが一番難しいというのは、あらゆることに当てはまりますが。ブログで1本目のインタビュー記事を書けたあとは、多少の紆余曲折はありつつも、比較的順調に実績を増やしていけたと思います。

えきあ先生の記事を営業材料にして、ライターとして参加していた「コミスペ!」に「自分、取材もできますよ」とアピールし、継続的にインタビュー記事を書かせてもらえるように。

その後も、ブログに載せるための個人的な取材を続けたり、「ねとらぼ」にも問い合わせをしたりして、月に1本のペースでインタビュー記事を公開していきました。

・えきあ先生(竹書房『ファーストクラスニートましろ』)
・描く調子先生(芳文社『広がる地図とホウキ星』)
・柴先生(竹書房『白衣さんとロボ』)
・Quro先生(芳文社『恋する小惑星』)
・ÖYSTER先生(双葉社『新婚のいろはさん』『超可動ガールズ』)
・あfろ先生(芳文社『mono』)
・ストロマ先生(一迅社『スターマイン』)
・鴻巣覚先生(芳文社『がんくつ荘の不夜城さん』)

いずれの方々も、4コマが好きな人なら一度は名前を聞いたことがあるんじゃないかと。

もちろん、これだけの人たちにインタビューした自分すごいでしょ? と自慢したいわけではなく。忙しい時間を割いて取材に応じていただいた先生方、そのスケジュールを調整してくださった編集者の方々、出版社側とのやりとりをしていただいたメディア関係者の方々のおかげです。自分ひとりでは何もできませんでした。

(特に、ÖYSTER先生へのインタビューでは、先方にもコミスペ!さんにもかなりご迷惑を……。すみませんでした&ありがとうございました)

「まんがタイムきらら展」図録インタビューを担当させてもらえることになった

そして、「まんがタイムきらら展」の図録インタビューのお仕事をさせていただくことになります。

芳文社さんから電話がかかってきたのが8月末。数日後に芳文社に出向いて顔合わせをして、得能先生には対面インタビュー、あfろ先生は山梨在住なのでメールインタビューの段取りをして。9月末までに2本の記事を納品しました。

他メディア向けの記事も書きながらなのでスケジュールが厳しかったのはもちろん、精神的にも結構大変だったのを覚えています。

イベント限定での販売とはいえ、紙の本――しかもまんがタイムきららグループの歴史の集大成である本に自分の名前が載るわけですから。「きらら」って何だ……? 「萌え4コマ」とは……むしろ「4コマ」とは……? ということを、人生の中で一番真剣に考え続けた1ヶ月でした。

おそらく、今までに書いてきた記事のどれかひとつでも欠けていたら、このお仕事をすることはなかった気がします。

ブログで『こみっくがーるず』の記事を書いていなければ、はんざわ先生のインタビュー記事を見たときに発奮して自分でインタビュー記事を書こうとは思わなかったかもしれない。だけど自分のPNが「ましろ」じゃなければ、えきあ先生にインタビューを申し込めず、最初の実績を作る段階でつまづいていたかもしれない。そうなればコミスペ!で描く調子先生にインタビューしていなかっただろうし、あfろ先生の編集さんとのつながりができず、図録インタビューのオファーは来なかった可能性が高い。

もちろん、図録のインタビューを書いたのがゴールではありませんし、今回は運が良かったくらいの気持ちでいます。これからもライターは続けていくつもりです。

何かを始めるのに、早すぎるということはないし、遅すぎるということもない

初心者のうちは、選り好みせずに色々なジャンルの記事を書くべき。細かい文法などを気にする前に、たくさんの記事を書くべき。ベテランのライターさんに「未経験の人間がライターになるためには何をすればいいか?」と聞くと、だいたいこのような答えが返ってくると思います。

けれど、自分は未経験でライターを始めてから、それらのアドバイスとは真逆の道を進んできました。記事のジャンルは「マンガ」――特に「4コマ」という、ニッチもいいところ。インタビュー記事はとても量産できるようなものではないし、記事の文章がマンガ家さんの発言だと読者に思われてしまう以上、編集の都合で語尾を少し変えるだけでもすごく気を使う。

たしかに、自分は「稼げるライター」ではないかもしれない。それでも1年間、4コマが好きだと発信し続けて、その気持ちを取材相手のマンガ家さんにも読者にも伝えられるようにひとつひとつの記事に熱量を込めてきました。

だからこそ、きらら展のお仕事をする機会にも恵まれたのだと信じています。未経験だから、話すのが苦手だからとインタビューに挑戦していなかったら、絶対に声はかからなかったでしょう。

相崎先生は中学生でマンガ家になったし、自分は30歳でライターになった。相崎先生が早いわけでも、自分が遅いわけでもない。どちらも、「今」しかないタイミングだったんだと思います。

自分にできたのだからあなたにもできる、なんて無責任なことは言いません。だけど、新しいことを始めたいと思っているものの、もう少し経験を積んでからとか、今から始めても手遅れだからとかいう理由で尻込みしている方には、勝手ながらこの言葉を送らせてください。

何かを始めるのに、早すぎるということはないし、遅すぎるということもない。

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4コマ好きのライター■執筆メディア:「コミスペ!」「ねとらぼ」他■お仕事履歴:http://goo.gl/iNA5jV■アイコン提供:鴻巣覚先生(@test_to_ )■「まんがタイムきらら展」図録で作者インタビューを担当