見出し画像

露草とリンドウ

ようやく見ることができた、劇場版『夏目友人帳〜うつせみに結ぶ〜』。
ずっとみたかった作品だ。

ストーリーも、キャラクターも、音楽も
通常のアニメの時と変わらずに、癒しと温かさを与えてくれる。

個人的に、思い入れの深い主題歌との思い出と
心に残っていることを残しておこうと思う。


思い出す。覚えてる。


繰り返しみている馴染みのある作品なのに、
“いつもとちょっと違う音楽”と、“初めてみる物語”。

劇場版は、これが楽しい。
映画の「オリジナルサウンドトラック」にも、胸が高鳴った。


そして主題歌は
Uruさんの『remember』という曲だ。

エンディングで流れた時

「ああ!この曲か!」

と、口走っていた。


この曲は、私が前の職場で歌の講師をしていた時に
ずっと担当していた中学生の女の子が、長期間練習していた曲なのだ。

伸びのある声と、優しい裏声をより芯のあるものにするため
ビブラートと高音をメインに練習していた。


その子も『夏目友人帳』が大好きで
よく空き時間に話して盛り上がっていたっけ。

彼女が大人っぽいのか
私の精神年齢が幼いのか

とにかく話せば話すほど、共通点が多くて

小説だったら辻村深月さんが好きだとか
青山美智子さんの本を紹介しあったりとか

アニメのこと、映画のこと
好きなこと、苦手なこと
学校のこと、行事のこと、宿題のこと、人間関係のこと
…色々な話をした。おそらく一番雑談が盛り上がった生徒だと思う。

この曲を久しぶりに聴いて、たくさんの思い出が蘇った。


あの子は今、どうしているだろうか。
元気にやっているといいな。
やっと、映画みれたよ。
また語り合いたいね。

…なんて思いながら
映画とは別のところで、大きく心が動いて、泣きそうになってしまった。

しかも曲のタイトルは『remember』

思い出したよ。
ちゃんと、覚えているよ。
忘れないよ。

歌詞さえも感情と状況にフィットしてしまって
温かいような、寂しいような
じんわりと切ない気持ちになった。

さよならじゃない
名も知らない遠い場所へ離れたとしても
記憶の中で 息をし続ける

夜に埋もれて
誰も知らない遠い場所へ 迷ったとしても
記憶の中の温もりで ずっと今を照らせるよう

remember / Uru 歌詞抜粋

自分がいなくなった後の世界


私は、自分がいなくなった後の世界で
誰かに自分のことを覚えていてもらいたいだろうか。

…そんなことを考えた。


いいことじゃない。誰も自分のことを覚えていないなんて。
私は 誰かに覚えていてほしいなんて思わないわ。

劇場版『夏目友人帳〜うつせみに結ぶ〜』より

この言葉が今、心に残っている。

そして
“自分の命が尽きた時”か
“突然この地を去ることになった時”のことを想像してみる。


私は、思い出というものは
“生きている人間が大切にしているもの”のように思う時がある。


もちろん「自分がいなくなった後も、覚えてくれていたら嬉しい」という気持ちはある。

でもそれは、自分にとって“大切な人”に限ったことかもしれない。
あとは
生きていて、もう一度、再会した時や
微笑ましい共通の思い出がある人を相手に起こる感情のような気がする。


もしも
自分のことを覚えていることで、その人が、同時に悲しい気持ちも思い出してしまうのだとしたら。
自分のことを忘れてしまうことを、強く拒んでいて、今を生きられていないのだとしたら。

覚えてくれている嬉しさの反面
ちょっとだけ、胸が締め付けられたような気がした。

それが大切な人だとしたら、なおさら。


もちろん幸せな思い出もあって
その思い出は時として、今を生きている人の背中を押してくれるものになるのかもしれない。
現に、私もそうだ。
お別れしてしまった友人や、祖父母との思い出が、今の私を助けてくれることもある。生徒だった中学生の彼女がもたらしてくれた、この楽しい思い出もそうだ。

けれど

「忘れる」ということは
時に「前に進む」ということでもあるような気がしたのだ。


きっと辛いのは
自分が生きているにも関わらず
「忘れられた」もしくは「忘れられている」と知ってしまう状況なのかもしれない。

そして
自分のことを「覚えていてほしい」、「忘れないでほしい」と思える誰かがいることは、とても幸せなことなのかもしれない。



大切な人が、自分のことや思い出を忘れること。

それはきっと
とても悲しいことで、怖いことだと思う。



だから
できれば、生きているうちは覚えていてほしい。
この世界から、自分の身も心もなくなったら、忘れていいよ。
…なんていう身勝手なエゴが生まれてしまった。

でも一方で
自分のことは忘れていいから、1秒でも長く幸せな時間を生きてほしい、とも思うのだ。


露草とリンドウ


「忘れる」という力は、人間にとって必要だから備わっていることのように思えるし
「覚えている」ということもまた、必要だから備わっているのだと思う。

この対極的な力は、それぞれどんな役割を持つのだろう。


「出会い」があれば「別れ」がある。
「始まり」があれば「終わり」がある。


だからこそ
その期間を生き抜くために
生きているものにとって必要で、大切に抱きしめているもの。
それこそが
“思い出”なのかもしれないな、と思った。


考えは変わるかもしれないけれど
なんとなく、今は。


もしも私がいなくなったら
誰も覚えていなくてもいいかな。と思っている。


例えば思い出のある場所に行ったり
音楽を聴いたりして

今日、私が1人の生徒を思い出したように
私のことを思い出して、懐かしんでくれたとしたら

その時は、内容はどうあれ
笑っていてくれたら、嬉しい。

涙を流してくれていても、嬉しい。

…どちらにせよ
誰かに思い出してもらえることは、やはり嬉しいことなのかもしれない。


Uruさんの曲の歌詞にあるように
「記憶の中の温もりで ずっと今を照らせるよう」な思い出
大切な人たちと作れたら。

それは自分にとって、とても幸せなことだと思った。 


作品に登場した「露草(つゆくさ)」と「竜胆(りんどう)」の花。

それぞれ花言葉の意味も含めた登場だろう。
こういう奥ゆかしいメッセージ性があるのが、『夏目友人帳』の大好きなところだ。


“露草”の花言葉は
「尊敬」「変わらぬ愛」「懐かしい関係」

“竜胆”の花言葉は
「正義」「勝利」そして「あなたの悲しみに寄り添う」




2024.8.13

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?