「笑顔」の効能
「笑う角には福来たる」
笑顔でいると、幸せになる。
笑顔でいると免疫力があがる。
などという言葉を聞いたことがあると思います。実際、笑顔でいると免疫細胞や脳細胞が活性化したりするとの研究もあるようです。人間関係において、笑顔が潤滑剤として有効であることは言うまでもないかもしれません。
今日は私がうつ病になった後、一番泣いた時の話をしようと思います。
それは診断を受けて間もない頃の事です。私はまだ、日々のほとんどベッドの中で過ごしていました。
時間のほとんどを浅い睡眠に支配されている中、時々目覚めると、スマホをいじっていました。頭を使わなくてもいいパズルゲームなどをする合間に、「うつ病」についてもよく検索していました。
何となく自分の状態について知りたくて、検索をしていたのです。どんな病気なのか、どうやって回復したらいいのか、うつ病の方の体験談など、読むというよりは、何かをしていないと不安だから、検索して眺めていただけ、だったかもしれません。
あれは、うつ病になりやすり人や、考え方などをまとめたサイトだったと思います。あるサイトに書かれた一つの設問に目が止まりました。
「もし、あなたと似たような状況の人がいたら、あなたは何と声をかけてあげますか?」
「もう笑わなくていいよ」
私は、反射的に
「もう、無理に笑わなくていいよ」
という言葉が思いつきました。
そして、泣き出してしまいました。
正直、
引くくらい泣きました。
自分の嗚咽を聞いたのはいつ以来でしょうか?記憶にないくらい遠い彼方です。一人暮らしでよかったです。
その設問を見た直後から、しばらく泣いていたので、そのサイトの続きは読めていません。なので、微妙な文言の違いはあるかもしれませんが、その設問の意図は明らかでした。
私はその時、初めて
私は、笑うのが辛かったのだ。と気がついたのです。
私は、愛想笑いをする度に疲弊していたのだと。
うつ病になると、心が麻痺するという表現があります。苦しいもとも、辛いことも、楽しいことも感じられなくなってしまう状態、病状があるからです。
診断直前の私はそのような状態に近かったと思います。
何をやっても面白くなく、何もしないでいることが、最高の贅沢だと、休んでばかりいました。
今、思い返すと、仕事以外になにもできないほど疲弊していたのだと思います。
それでも、仕事になると「笑顔」を意識し、出来るだけオープンでいようと努めていました。
正直私は、人見知りだし、オタクだし、絹ごし豆腐メンタルなので、人間関係はたいへん苦手です。人付き合いは最小限にしたいタイプの人間です。
だけど、そういう自覚があるからこそ、頑張ってオープンマインド?フレンドリー?を仕事の時だけは頑張ろうとしていました。
自分が笑顔でいた方が、相手も笑顔になりやすく、仕事もスムーズに進む。最初は「笑顔」のそのようなポジティブな効果を感じていました。
ただ、根暗は根明になれないので、疲労してくると徐々に表面上だけを真似るようになってしまいました。
いつも笑っている。どんな時も。とにかく微笑みを絶やさない。それだけです。
相手の笑顔を引き出すため、その場の空気を壊さないために、自ら進んで笑顔を作る事もありました。
楽しいと、感じられなくなっていても。笑っていなければならない。と思い込んでいたのでしょう。
最終的には、いつも笑顔で。それだけは死守しなければいけないと思っていたような気がします。おかしいですね。
つらい時につらいと言えず、笑っていないといけないなんて、どう考えても不健康です。今考えれば明白です。それでも、本当に辛く、しんどい時にはそんなことさえ考えつきませんでした。
病気になって当然だったかもしれません。
だから、私は笑顔が辛くなってしまったのです。
そして、私にとって「本当の笑顔」でいられる事は、人生において重大な事なのかもしれないと考えるようになりました。
笑顔の効果を発信しているサイトを見ると、作り笑顔でも効果があるとの研究発表もあるようです。(何に効果があるのかまでは知りませんが)
ですが私は、今回の経験から、「愛想笑い」「作り笑顔」は、極力しない方がいいと考えます。
“大人の社交術”として必要な場面はあるでしょうが、そのような場面にも、極力参加しないようにする方がいい可能性すらあります。いえ、その可能性が高いです。
様々な笑顔推進サイトによると自分が笑顔でいると、周りの人も笑顔になり、素敵な人が集まってきて、素晴らしい人間関係を築けるらしいです。
ですがそれは、自分が本当に楽しいと感じている時にだけ笑っていないと、困難ではないでしょうか?
愛想笑いをしていると、本当は嫌なのに、その嫌な事柄を呼び寄せてしまうような気がします。
笑顔が人をポジティブな人を引き寄せるのは、事実だとおもいます。楽しそうにしている人の周りには、多くの人が集まります。自分には縁のなさそうな趣味でも、楽しそうに語られると、興味を持ってしまったりもします。なので笑顔の人の周りには、同じものを楽しむ、楽しもうとする人の輪ができてくると思います。素晴らしい事です。
さらに、笑顔には自分がこの状況をよしとしていると、相手に伝える効果があると思います。自分が話しかけられた時、笑顔での応対は「YES」。無愛想な応対は「NO」と暗に意思表示をしていませんか?私はします。すみません。
逆に例えれば、道を聞こうと声をかけた時、相手が笑顔で教えてくれると、「この人は道を聞いてもいい人だ」と感じます。ですが無愛想だと、たとえどんなに丁寧に道を教えてくれたとしても「話しかけてはいけなかったのかも?」と感じてしまいませんか?(私の考えすぎかもしれませんが)
笑顔=YESの法則は確実にあると私は実感しています。
ですがそうなると、愛想笑いをするということは、間違った「YES」というメッセージを相手に送っているようなものです。
上司の面白くないギャグを愛想笑いでかわそうとしたら、エスカレートして、更につまらない事をたくさん言うようになって困った事はないですか?私はあります。
他人の笑顔を、「愛想笑い」か「本当の笑い」が察する能力のある人はもしかしたら、私の想像以上に少ないのかもしれません。
愛想笑いをし続けると、本当は楽しくないその状況を「YES」「ok」と解釈した人が集まってきます。最悪、その状況を楽しいと感じる人の輪が形成されます。自分の周りに。楽しくない状況を楽しまなくてはならない惨状が生まれます。
この世の地獄な気がしてきました。
なので、結論として。
自分にとって幸せな人間関係を築くためには本当に楽しい時だけ、笑っていることが肝要だと私は考えます。
私は自ら背負い込み、負担に感じている「愛想笑い」を今、下ろす時が来たのかもしれません。
そして「笑顔」とは薬にもなるが、反面毒にもなるのだと。理解しましたので。今後は用法容量正しく守るよう努めてまいります。
いつかの自分にまた、「笑わなくてもいいよ」と言われないために。これからは「愛想笑い」で疲弊しないよう気をつけることとします。
(追記)
もしかしたら、周りの人たちは、私の作り笑顔に気がついていたのかもしれません。うまく笑えていないこともあったと思いますし。
だけど、「笑わなくてもいい」とは、言ってくれる人はいませんでした。
でももし、それを言える人間がいるとしたら、自分だけでしょう。楽しいかどうか、わかるのは自分だけです。
たとえ察してくれる人がいたとして、隣にいる人が愛想笑いをしているからと言って、「笑わなくてもいい」と言う人なんて、いません。
なので自分で「笑わない」選択ができるようになるしかないのです。
雨ニモマケズ、風ニモマケズ、〜〜いつも静かに笑っている〜そういうモノに私はなりたくは無い!!!と言う勇気が必要。と、思いましたので、追記しときます。
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