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毒になる大人。

橘 誠司(せいじ)

オトナ顔負けの子供を見かけるようになった。

プレゼン能力やゲーム開発などで、大人の世界で高いパフォーマンスを発揮する子供たちがいる。

多くの称賛をオトナ達から浴びているが、私は不気味さを感じる。

「まるでオトナみたいだ」

心の中のモヤモヤを書いてみることにした。


1、褒めているのは大人だけ。

実際はどうかわからないが、私が知る限り、彼ら彼女らを褒めているのはオトナだけだ。

彼ら彼女らはオトナに代わって大人の問題解決しているように思えるのだが、、、

いったい誰が問題提起をしているのか?

なぜ小学生がオトナと同じ問題と向き合っているのか。

きっとネット上で、大人達が抱える問題を浴びてきたのだろう。自分が何としかしなくては!といった使命感を感じるのは子供によくある動きである。

それは毒親育ちのように、親の親代わりをする子供と同じで、オトナの代わりに大人をしているように思えてならない。


2、世界が固定される。

大人の問題を解決するということは、まずは大人の世界に適応することが必要になる。

世界はこういうものだと枠組みを決めてしまうのだ。

弊害として、自分の大事なものや重要なものは、大人にとっても大事なもので重要なものでなければならないといった思い込みに陥る可能性もある。

つまり大人の価値観を持っているから、オトナたちが彼らを称賛するのではないだろうか。


3、いい子供=都合のいい子供

大人から子供といったように、上の立場から下の立場を褒める行為は、たいてい上の人にとって都合のいいことを、下の人が行ったときだ。

つまり、オトナに褒められるということは、オトナにとって都合がいいものだ。

オトナ顔負け、なんて称賛は喜べない。

もうオトナの皮を着てしまったのかといった早熟ささえ感じてしまう。

4、毒になる大人。

親のために生きるようになってしまう子供のように大人のために生きるようになってしまう子供が出てきてもおかしくないだろう。

大人たちの問題提起を目聞きするたびに、困っている人を助けたいという思いがでてくるようになる。

かつて、子供は家系の資源である。といった考え方が当たり前だったが、いずれそれは毒と呼ばれるようになった。

ただその先に待っていたのは、子供は国の資源である。といった考え方だった。そしてそれは当然という大人が大多数だろう。

国の危機だから仕方ない。と。

5、資本戦争の少年兵。

教育より、お金を稼げればいいじゃないかって考えは徐々に広まってきている。

これは資本主義社会での少年兵を育成せよということに近い。

つまり重要なのは、知性や人間性より即戦力なのだ。

極端に言えば、文字の読み書きや、四則演算よりも、銃の使い方を教えるべきだという考える。

例えば魚を捌く人が足りないから、代わりに子供に魚の捌き方を教える。彼は魚の捌くスキルを得て、仕事に就けることになるかもしれない。

だけど刃物を何に使うかを分かっていても、何をしてはいけないかはまったく別の知識が必要になる。

魚を捌くために持たされた刃物で、人に危害を与えることも可能だからである。それは小さな子供に刃物を持たせる危険さと同じ感覚である。

もちろん私も日本の教育に疑問はある。お金の勉強の必要性をいろんなところで聞くが、中身は稼ぎ方や市場といった損得勘定を磨く知識を指すことが多い。

それよりも命の原理原則や哲学などの考え方から教えるのはやはり効率が悪いのだろうか。

6、換算される命。

資源を抑えられて、戦争へと歩みを進めた日本軍。その先は若い人たちの命を物資へと変換させる策へとうつる。

完成された大人みたいな子供は、まさにオトナが喜びそうな子供で、私にはあの頃の日本と重なってみえてしまった。

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