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期間限定の小学校の先生、という仕事 ~発達障害児から教わること~《前編》

縁あって、「学習支援」という形で、教員免許のない私が小学校で働いています。

コロナウイルスの流行により、学校での先生方の仕事量が飽和状態となり、それを少しでも解消するため、急遽今年度予算がつき、9月からハローワーク経由で募集が出ていた仕事です。

地方の教育庁本部で面接があり、介護員としての認知症の方のケアや、障害者施設でのボランティアの経験を大きく考慮されたようで、配属先の小学校では特別支援学級のサポートに入ることになりました。


今回は、私が学校というこれまで経験したことのない「職場」で感じたり考えたりしたことを《前編》として、また《後編》では、そこで出会った、発達障害という個性を持つ子どもたちと過ごす時間を通して感じたことをまとめてみたいと思います。

1   普通の学校の「特別な」クラス

現在私が配置されている学校の現状に近い、特別支援学級に関する説明がありましたので抜粋します。

学校の現状
 本校には知的障害児学級と情緒障害児学級の2つの特別支援学級が設置されています。どちらの学級に在籍する子どもも特別支援学級だけではなく、その子どもの学年の通常の学級に「交流学級」があり、朝の会と帰りの会はそこで過ごしています。机、椅子、ロッカー等も特別支援学級と交流学級の両方に用意されています。全校関係の便り等の配付物は交流学級で渡されることが原則となっています。通常の学級の集団にどうしても入れない子どもには、本人とかかわりやすい子どもが特別支援学級に届けるようにしていますが、それも難しい場合には、交流学級担任が特別支援学級まで届けています。
 どの子どもも交流学級では生活班に所属しています。多くの子どもは係を分担し、高学年になると児童会やクラブ活動の所属先を交流学級で決定します。                                     (文部科学省サイトより抜粋https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/002.htm)



私の今いる学校の特別支援学級は、1組は情緒障害児2名、2組は学習障害児3名、3組は低学年の知的障害児5名という3クラスの編成になっています。

前述の文章にもあった通り、生徒たちは各学年の通常学級との交流授業がありますが、障害の程度やその子の個性により、交流が多い児童と、ほとんどの授業を特別支援学級で受ける児童と様々です。

また、特別支援学級の3学級は頻繁に交流があり、体育や課外活動を一緒に行ったり、また給食は3学級が1つの教室に集まり、協力して準備をし、昼食をとるなどしています。

私の彼らと過ごす時間は間もなく丸4ヶ月を迎えるところです。

ベテランの先生はいざ知らず、ハンディキャップを抱えたお子さんを育てている保護者の方、専門分野にいらっしゃる方々の知見には遠く及ぶわけもなく…

しかし、「シロウト」の私だからこそ感じたり、気づいたり、謎に思うことがあるかも知れない…

何より彼らとの日々が「たくさんの試行錯誤や刺激、発見と感動に満ちている」ため、書き留めておきたいと思いました。

そして、私たちが当たり前だと、端から気にもかけないような前提や既成概念に気づくきっかけを与えてくれる、これまで経験し得なかったような日々が濃厚すぎて、シェアしないともったいないと思ったのです。


是非を判断したり、ましてや誰かを否定したり、誰かの正しさを主張する気は全くありません。

ただ、心身や個性にフォーカスするセンシティブな問題や、感情面が絡まって複雑化してしまう側面があることなど、当事者にとってはなかなかマスに向けて発信しにくい面がある内容であるということも事実かと。

なので、有資格者でも、権威でもない「一介のパートのオバサン」が、教育現場での発達障害っ子たちを見守る、または先生方の尽力を讃える、こんな文章があっても良いのではないかと考え、筆をとっています。


2   学校という「職場」

正直なところ、はじめの1ヶ月は「???」だらけ。彼らの個性についてゆくのでいっぱいいっぱいでした…

そもそも、「学校という職場」が初めての私。

「廊下は両足が地面に着いてなかった(=走った)所から巻き戻し」などというルールにまずびっくり。

人様に何かを教えるなんてことが「当たり前」でない私にとり、「先生!」と呼ばれることには未だにむず痒さと「そんなにデキた人間ではない…と」わずかに身のすくむ思いすらしております。

なので、同じ支援員の立場である、私よりひと回り以上若い20代の女性職員が、昼休みに生徒が迎えに来て一緒に体育館まで遊びに行く様子を横目でながめつつ、《人気があって羨ましい》<《休憩出来て良かった》と思うのが正直なところなのです…(苦笑)


生徒が学校にいる間は、先生方は実質休憩時間がほとんどなく、ひとりでゆっくり座ってコーヒーを一杯…なんて儚い夢のような話。

発達障害を持つ子たちは、それぞれに超個性的で、クラスの人数は少なくとも、担任の先生はいつも何かの対応(大抵、生徒間のもめ事の仲介)におわれ、隙間時間に家庭との連絡ノートを書いたり、何かしらの業務をこなしていて、授業や生活に必要かな?と思って質問したくても、私の質問などに時間をとらせては申し訳ない…と思うような現状です。


余談ですが、職員室での休憩に慣れるまでは、ロッカールームの脱衣場で靴を脱ぎ足を伸ばしておりました(苦笑)

特別支援学級の先生だけでなく、担任(低学年になればなるほど)を持つ先生方は特に、「見守り」という観点からも、なかなか児童のそばを離れられず、学習サポートの他の先生がいない限り、職員室に戻る時間すらほとんどありません。

たまに職員室戻られて、私がゆっくりお茶でも飲んでいようものなら、すごく居たたまれなかったんです。

休んでる私の方が、ですよ、もちろん(笑)


8月末まで、民間の企業に5年間勤めていた私。

タイムレコーダーがあり、時間外残業なんかは1分単位で記録される厳格なシステムのある会社にいた私は、「今日はいつ休憩があり、何分取れるんだろう?」という疑問を持ちながら出勤するのは、プチストレスでした。

都度、休憩に入って良いかどうか確認したり、ましてや空気を読んでしまえば、「あー、今回は休憩無理か短くなるなー」なんてことも。

福利厚生や待遇に関して言えば、給与の振込みがあってから、給与明細が渡されるのと同時に、集金袋も渡されたのにまた驚愕!!

「給食費」の徴収があるのはまだしも、職員室で自由に飲めるようになっているお茶やコーヒーの費用、さらには会食費用の積み立て(?)に至るまで、まさか月額で給与外からさらに引かれるなんて…!!

時給身分の主婦職員には、かなり痛手でモヤモヤポイントだったので、後日面談の際に校長に直談判しましたよ…

「給与外から差し引かれるものがあるなら、勤務前の面接で一言欲しかった。時給で働く私のような者にはかなり大きい出費です。休憩もはっきりしないのは、民間から入ってくる私のような人には納得の行かないと部分が多いと思います…」

というようなことを申し上げました。

何かがすぐに変わることを望んでいたわけではなく(多分何も変わらないと思ってましたし…)、ただ、言わずにはいられなかったというか…モヤモヤ不満をうちに秘めておけなかったというか(苦笑)

校長先生も民間から来た方らしく、理解は示してくれたものの、やはり、現状何も変わってません。

会食的なものは、コロナの影響もあり、年末年始休業中の先生方の出勤日に合わせて仕出しで…という形に変更され、私は参加しなかったので、その分は返金されたのでホッとしておりました…


何だか、学校という職場の常識が、私にとっては全くアウェー過ぎて、まずはそこに関しての一般人の私の驚きをシェアするようや内容になりました。

ある職種の人たちにとっての常識が、私のような別の業種から来た人にとっては、全くの異文化に感じられるという…

他の学習支援の先生方も、かつて現役の教員だった方々ばかりで、そんな中ではむしろ、私が「奇人」に見えるんだろうなぁ、などとうっすら感じてはいます。

校長先生にたてつくパートなんていないんだろうなぁ、と(苦笑)


しかし、そんな「普通じゃない先生」だからこそ、もしかしたら生徒と目線が合うこともあるのかなぁ?と感じる瞬間があるんです。

私、全然偉くもなんともないし、学校でも人生でも、分からないことだらけだしなぁ、と。

次回、《後編》では、いよいよ発達障害っ子たちとのスクールライフを書いてみたいと思います。

では、また。


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