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幼いわたしを知る人たちに会いに行く

振り返れば、わたしにとって「恩師」のような人たちは気づけばもうほとんどこの世に居なかった。しかもなぜか、わたしがその人たちの教えから手を離れたあとすぐに、訃報を聞くことが多かった。

「お墓参りをしてその中に眠る人に会えると思えない」と感じていたわたしも、さすがにその人たちにはお墓参りするしかないかなとも思った。

でも、思い返したら一人、すぐに会えそうな人がいた。幼いわたしを「ピアノ」で知る人。関連して繋がっている人に連絡するとすぐに会えると言ってもらえたようだ。早く行かないと。

ここのところアトピーが悪化して、今まで無事だったところにも症状が広がっていた。人にも会わないし放置していたのだけど、痒くて不便だし家族にも心配をかけるので、皮膚科に行って全身を見せた。「普段のところ以外は湿疹ですかね?」「いえ、汗が原因のアトピーですね」と言われ、細かく対処法を聞いてメモした。熱心な患者に見えただろうか?

アトピーを治したいのはもちろんだけど、内心は最近読み始めたHUNTER×HUNTERの続きが早く読みたくてメモを取っただけだったのだけど。

表現の方向に振り切ろうと決めてからどんどんアトピーの範囲が広がったので、自分ではこれは「膿」が出ているのだと思う。アトピー治療で言われる「好転反応」とも違う。医者には「これで3週間しても変わらなかったらまた来てください」と言われた。


そのタイミングでピアノを通してわたしを知ってくれていた人から連絡があり、今日これからでも!と言ってくれた。汗をかかないように外出を控えようと思っていたので、苦渋の思いで「3週間後以降にお願いします」と伝えてもらった。

幼い頃のわたしを知る人はたくさんいる。親含め、知人や友人含め。でも自分がピアノなりなんなりをしている姿を、客観的に見ていた人の話が聞いてみたいと思った。近しい人だとどうしても変なバイアスがかかる。わたしも家族にそうだったように。


そして冷房の効いた部屋の中で「HUNTER×HUNTER」の続きを読む。「わたしの前髪のクセがサトツさんに似てる」だとか「キルアの電気耐性」だとか、「ハンター試験」とか断片的なところしか知らなかったので、富樫先生がそれをどう漫画の中で表現しているのか気になった。今朝も朝方から起きて読んで、字が多くて疲れたら寝た。字が必要な部分を飛ばしても富樫先生の漫画なら伝わると思ったので、読みたい流れだったら文字を無視して読んだときもある。

「幽☆遊☆白書」は世代だから漫画もアニメも見たけど、「HUNTER×HUNTER」に関しては底の深さが尋常じゃないと感じた。富樫先生がたびたび連載を休んで、それでも編集部や読者に支持され、それでも休む理由がわたしには想像がつく。

富樫先生は、漫画のパッケージでバカ売れしてしまった「アーティスト」なのだと思う。

「バカ売れしてしまった」と書いたのは、富樫先生の表現力が強すぎて、編集部は原稿が上がるたび圧倒され、でも特に倫理的に表現を調整せざるを得なく、それでも魅力的だから読者も待ちわびる。

富樫先生はどれだけ休んでもいつも期待された以上のものをつくってしまう。世間に「すごい!面白い!」と思われることに彼は飽きと苛立ちみたいなものを感じて、何か別のところで発散しているんじゃないかと思う。ネトゲの話は良く聞かれるけど、匿名で、自分の素性(特に視覚表現)がバレにくい何かをやっている気もする。

商業的に売れたアーティストは生きづらいんだろう。自分の表現力を使いたい人たちが、他のクリエイターを押しのけてしまう。

「闇を持つ人」を俯瞰して想像し、そういう人が「どういうタイミングで自分の闇に気づくか」「どういった行動を起こすか」を表現するのを見ていると、本当に末恐ろしい人だと思う。底をまだ知らないほど病んでいて掘り下げているわたしには「なるほど、そうだろうな」と思った。

富樫先生自身にそういった体験があるのかは知らないし、わたしは調べる気もない。自分が体験したことのない世界を「想像して表現できる」ということが、どれだけ難しいか。体験したことでも表現できないことだって多いだろう。でも彼はできてしまう。

だから、わたしはこれ以上「HUNTER×HUNTER」を読むつもりはない。自分の好きなキャラクターがある程度繋がったので、そこで止めた。32巻。

長くピアノをやっていた頃、教室は一般家庭の1階になっていて、グランドピアノが2台あった。「先生がこれから押す音と同じ音を鳴らしてみてね」といわれてやってみたことがある。多分1個も当たらなかったと思う。基本的には毎週、レッスンの時に「練習」するだけ。だから10年くらいやってた割には全くわたしのピアノは成長しなかった。でも、発表会の前や、中学の合唱コンクールで伴奏したいと楽譜を持ち込んだ時は、家でも教室でも集中して弾き込んだ。

当時からエンタメが苦手だった気がする。ハマりすぎてしまうからだ。

ピアノではクラシックを習っていたけれど、特に好きだったのは、ベートーヴェンの「月光」。出だしから終わりまで本当に好き。トルコ行進曲もベートーヴェンの方が好きだ。モーツァルトはなんだか優しすぎてムズムズする。ワイマン(名前を調べた)の「銀波」はすっごくキラキラしていたし、当時のわたしのスキルでは無理だったけれど、もしまた弾けるならショパンの「別れの曲」と「幻想即興曲」が弾きたい。先生に教わったように暗譜して、発表会で。

幼いわたしの当時の様子はピアノの先生から見てどう映っただろう。アトピーがおさまるといわれた3週間より、なぜか早く治る気がする。

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