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英語と音楽と好奇心が、わたしの人生を変え始めている

わたしはずっと死んでしまいたかった。

今もそれは消えきっていないし、わたしの精神障害はややこしいし、もうお手上げになるときもある。

それでも少しずつ楽になってきた。それは、友達のある行動がきっかけだった。

10年くらい前、毎月会っていた2人の友達とのカラオケが、本当にバカみたいに楽しかった。誰かが歌ってる時に残りの2人と全力で合いの手を入れたり、踊ったり。

ハロプロの掛け声みたいに「L, O, V, E, LOVELYますこ!」みたいなことを言い合ったり、もうめちゃくちゃ楽しいからと友達の1人がカラオケの時にスマホで録音して送ってくれたのだ。

わたしは自分の声が低いことが本当につらくて、実家での固定電話はほぼ必ず弟に間違えられた。わたしを弟だと疑わず、楽しそうに話している弟の友達に、すみません姉なんですと伝えなければいけないのがつらかった。わたしの声が低いせいで相手に謝らせてしまうからだ。悪いのはわたしの声が低いからだと思っていた。声のせいで悲しい思いをしたことは数え切れない。

だけど、友達が録音してくれたカラオケを聴いたら、喋る声はやっぱり低かったけれど、歌っているときの声は好きだと思えた。そして笑いまくっているわたしたちの楽しそうな様子が、つらいときのわたしの薬みたいになっていき、たくさん聴くようになった。歌はある程度自信があったけれど、録音で聴いてみると良くも悪くも色々発見がある。わたしには可愛い歌は歌えないと思っていたけれど、友達の十八番だった、大塚愛の「さくらんぼ」をカバーバージョンみたいな感じで歌ってみてよ!って言われて歌ってみた。また録音を聴いてみたら、友達のようには歌えてなかったけど、楽しそうだった。そして、気づいたらカラオケ中に自分の喋る声を聴くことにも慣れていた。

その友達たちと遊ぶときにはまた、お互いの写真を撮りまくったり(1日で全員それぞれ100枚以上とか)インタビュー風に動画を撮ったりした。見ると、知らない自分がそこにはいた。「撮るよー」みたいな感じでの撮影では全くない、隙ばかりの自分の姿。外見にもたくさんあったコンプレックス。だけど、写真や動画から、改善できそうなことを発見できた。

録音や写真のように記録して振り返ることで、客観視しやすくなると気づいたのだ。

それからはまた長い時間がかかったけれど、自分の変えたい部分がわかればあとはなんとかする方法を考えようと思った。

記録と振り返り、できそうなことを考えて実行、記録して振り返り、また考えて…の繰り返し。歌は完全に独学だったけれど、低い声のせいで歌えなかったような曲もなんとか歌えるようになっていった。たくさん上達の方法も調べたら、高音はトレーニングで伸ばせるけれど、低音は伸ばしにくいと知る。マライア・キャリーも地声は低い。もちろんあの声域は無理かもしれないけれど、自分の低い声にも希望が湧いた。

歌の録音は、今となってはもうわたしの日常で、カラオケ⇨はい録音、くらいの感じだ。ずーーっと続けていって、レパートリーはめちゃくちゃ増えたし、楽しいし、で人に聴いてもらいたいな〜…と思っていたら、いきなりチャンスをもらった。

そのイベントはDJパーティーみたいなイベントで、主催の人と友達2人と飲んでいたときに主催者の人がボソッと呟いた。「なんか新しいことしたいなぁ」

「え!じゃあわたし歌いたいです!」と勢いで言ってみたら、DJをしていた友達も反射的に「じゃあ俺DJやりたい!」と言われて、自分の言葉にも、乗ってくれた友達の言葉にもびっくりした。

あのときのことは忘れられない。

イベントで歌うなんて初めてなのに、DJの友達はわたしのために作ったミックスのデータを、確か当日の2〜3日前に送ってきた。待ったなしである。やるしかないと仕事しているフリをしてデータを聴きながら書き起こした歌詞を聞こえない程度につぶやき、なんとか準備した。しかも、尺は40分。何曲あったかは覚えていないけど、1曲終わってMC、で歌う、とかでもなく歌い続けるので、かなり無茶な話だったと思う。

しかも主催者の人が面白がってくれて、わたしたちのパフォーマンスをトリにした。トリはイベントの印象を最も左右する。本当は自分たちの時間まで練習したかった。でもトリをやらせてもらうんだから、ちゃんと他の人のパフォーマンスも見よう、と最初からイベントに参加した。それでも不安で、DJの友達とお酒を片手にイベントの中で先に謝った。「頑張ったけど、できなかったらごめん」

友達はこう言った。

「それっぽく見せればいいから!」

結果、あっという間にパフォーマンスは終わって、もうめちゃくちゃ楽しくて、ああ生きてる、みたいな最高の体験をした。わたしの歌でたくさんの人が笑顔になっていた光景は今でも脳裏にこびりついている。

後になって知ったのが、その友達はさすがに40分は歌えきれないだろうと休んでもいい曲を入れていたらしい。わたしは全く知らず、全部歌う!!と変な意地でなんとか歌いきったので、友達は本当にビックリしたと言っていた。

「それっぽくできるのって、すごい才能だと思うよ」

才能という言葉をこんなに素直に受け取れたことはない。

去年の年末に改めて英語を再び始めた。学生の時はテストで毎回ほぼ満点を取っていたけれど、英会話ができる環境がなくて、ずっとやりたいと思っていたのだ。

勧めてくれる人がいて自分のスピーキング動画を撮り始めた。学習法もあれこれ試して、少しずつ文章を組み立てて話す、ということはできてきた気がする。それでもどうしても自分の英語はなんか単調だなぁ、と見返して思った。

発音記号とか、フォニックスとかはざっくり知っていた。なんとなくフォニックスの方が好きそうだと思ったので調べていたら、偶然この動画を見つけた。(日本人の英語はどう聞こえる?というアクセントとイントネーションの話)

ああ、これだ!これからアプローチするのがわたしには合うかも!!と思い、前々からTwitterで仲良くさせてもらっているさくらこちゃんに思い切って相談してみた。

すると、「もう答えを導き出してますよ!」と言われたのでびっくりした。彼女の言っている「答え」とは、わたしがネイティブの英語を聴いてから改めて自分の英語を聴いたら「抑揚つけてたつもりなのにめっちゃ単調wwwwww」と気づいたことだった。

そして、アクセントとイントネーションからのアプローチも歌を歌うような感じでやってみるといいかも!と言ってくれた。歌ならイメージしやすい。そしてふと、昔に母から聞いた美空ひばりさんの話を思い出した。

美空ひばりさんはジャズも英語で流暢に歌えた。でも英語は読めないし、なんと自分の曲の楽譜も読めなかったらしい。ただ耳が抜群に良くて、聴いた音を正確に発音して歌えたのだそうだ。

元々わたしは歌いながら、間奏とかじゃなくてもキー変更してもすぐその音で対応できた。でも、夫は歌はうまいけれど転調したときに音がわからなくなることがあり、わたしがその音で歌ってアシストしたりしていた。これは、何が違うのだろうか?絶対音感と相対音感についてもそれなりに知っていたけれど調べてみてもわからない。耳の良さも定義が難しいらしい。

なのでカラオケに行き、検証をした。歌いながら夫にランダムにキー変更してもらい、タイミングも上下の値も自由、というルール。そしたら、最初から7割くらい即対応できたのだ。(「!!」のところがランダム転調)

でもこれは耳が良いことなのだろうか…?確かに転調したな(というか雰囲気が変わったなくらいな)ってことでバッと合わせて歌えるけれど、なんでこの音(音という感覚でもない…)だとわかるのかもわからない。長調やら単調やらは3〜4歳から習っていたピアノで教わったけど、そのときもわからなかったし未だにわからない。

これは耳がいいことなのか、誰か教えてー!!ってTwitterで投稿したら、友達が教えてくれた。

音感でいうと「転調→これはCのキー→じゃあ次の音はFになるからFの音を出す」ということだそうで(ちなみにわたしはこれだと全然わからないw)、さらに音感はその音を正確に声でだせる能力ではないらしい。「多分ますこさんの転調スキルと相対音感は、相対音感になるくらい耳が鍛えられてる→その耳でキャッチした音を声で再現するのが得意→転調にすぐ対応出来る、という感じだと思います」

耳を鍛えていた意識は全くなくてただ録音して聴いて歌って、を繰り返していたのだけど、ワンチャン美空ひばりさんばりのシンガー…そして英語も話せる…くらいまた夢を見れた。

英語を学んでいると、本当に素敵な感覚を知る。最近わたしがいいなあと思ったのは「It’s not my day」。要は、まー今日はダメだけど、そういう日だから!みたいな感じらしい。

つい先日本当にそんな日があって、その日に限って、ずっとやりとりしていたドイツの友達と初めて会う日だった。会いたいけど涙が止まらず、あなたを不快にさせたくないからこんな気分で会えない、と相談したら

We all have good and bad days!!

って名言とともに、泣きながら楽しくないこと話しても大丈夫ですか…と確認するわたしにOkay!と言ってくれて、会ったらもう初対面なのにNice to meet youとかのレベルじゃない!!と思い思いっきりハグしてThank you sooooooo much!!!!!という感じだった。かき氷を食べながら、彼女は日本語で頑張って話し、わたしは英語で頑張った。わからないところもお互い当然あるのだけど、できるだけこの人の言いたいことを理解したい、と初めてしつこくなれた。気づいたらかき氷はただのジュースになっていたし、涙が止まるどころか笑ってばっかりだった。「この黒蜜ってどんな味ですか?」って聞かれても日本語でも説明できなかったのでまた調べようと思う。

あなたと会うまでは今日はサイアク(not my day)だったけど、あなたのおかげでサイコーになったって、英語で伝えた。

英語を通じて本当に優しい人ばかりに出会う。わたしからしたらもう神みたいにペラペラだったりする人も「一緒に頑張りましょうね!」とか言ってくれたりするのがシンプルにすごいと思う。

とても気が合う友達は、バイリンガルで普段英語しか使っていないので日本語で話せる相手になってほしい、代わりに英語教えます!って言われて知り合った。その日偶然お互い暇だったのでSkypeで話してみたら、初日から4時間くらい語っていて、未だに真面目なこともバカみたいなこともたくさん話す。しばらくして今までの経歴や仕事を聞いたら別次元みたいな人で、アメリカの大学を首席で卒業したとか、もう想像できない世界だった。

でも、それってどれくらいすごいのかとか、自分の知ってることで例えるならこういうこと?って質問したりとかすると、自分なりの解釈なりには知ることができる。ただ「天才だね」みたいに言うのはリスペクトしているようでしていないとわたしは思う。「おおー!もうスゲェ!しか分かんないけどわたしは専門学校の単位ギリギリで教師のお情けで卒業したよwww」って言ったら「それはそれですごいwww」とか、逆に友達が苦手なことがわたしが得意だったりしたから自慢して仕返して笑ったりした。「会話」の詳しい定義を調べたことはないけれど、ただ話すことだけじゃなく、お互いを知り合うことも会話の大事な部分だと思う。

そして改めて、英語の性質が、わたしを生きやすくしてくれたような気がする。英語は具体的に表現する言語だから、例えば「こうこうこう、because〜」みたいに理由を言う。日本語だけの世界で生きていたわたしは、「なんかわかんないけどこんな感じ」とか「なんとなく〜」みたいに思ったり言ったりしていた。自信がなかったから人の評価や意見に過剰に敏感だったし依存していた。曖昧な表現を持つ日本語をわたしは美しいと思う。でも、「具体的にする」という意味では、今思えば録音や写真で自分自身をなるべく客観的に捉えて工夫を繰り返してきたことが、少しずつ自分を嫌いじゃなくなったキッカケだったし、それは英語の性質と近いんじゃないかと思う。

今日は、さくらこちゃんとのレッスンの日だった。気軽に話そうというコンセプトのレッスンだし、わたしのスキルだと身の回りのことや最近あったことを言えてから…みたいに思ってたのに、「全然わからないような世界に生きている人とも会話していくと共通点があったり、わたしなりに解釈できるのが好き」とか、他にもたくさん話したのだけど、完全に自分のスキルに見合わないレベルの話がしたくて、めちゃくちゃ脳みそフル回転だった。彼女はなんとかわたしの支離滅裂な英語を理解しようとしてくれたし、頑張って話したから疲れたでしょう、と労ってくれたので日本語で話したらそれもまた語り尽くせないみたいな感じだった。そして今この長文を書いている…。

小さな頃から、わたしにとっては絵や歌などで表現するのは、現実逃避の手段だった。日常を生きるのがものすごくつらかったから。でも今は、自分の考えや思いを表現したい。生きづらさは変わらないけど、悲しい気分も表現していいのだと知った。

ちなみに、イントネーションとアクセントを強調するとか、演技するような感じで話す、っていうことを考えた時、プレゼンっぽく話せばいいのでは?と思い、「わたしはスティーブ・ジョブズである」と自己暗示をかけて話してみた。(今までも人前で話したりするときはなりきってやっていた)

スピーキング自体はまだまだだけど、わたしは何かに挑戦する時、具体的に誰かのマネをしてその人のように振る舞うことで、人見知りも克服した。ただ、振舞っているので本当は緊張しているのも忘れないでいる。

自分の世界を広げてみたい、って思っていたし、同調圧力が本当につらかったから、もう海外に行きたいって思いはじめたところだったけど、海外にも、日本にも素敵な友達ができてしまったので今とても困っている。

とりあえず「あのー、もっと色々話したいんだけど時差がアレなので、そのあたりなんとかしてくれませんかね?」と博識(なのにわたしと気が合う)友達に言ってみたら、「wwww大陸移動だと数万年は待たないといけないねぇ」「そこをなんとか科学の力でお願いします」「難しいなあw」「難しいってことは不可能ではないの?」…エンドレス、エンドレス。

困った。今までずっと、(本人に悪気はなくとも)悲しいことを言ってくる人ばかりの環境で過ごしていた。英語を学んだら世界は広かって、優しい人に出会う。もちろん海外に行って話しかけたら冷たくされたりすることもあるかもしれない。それも含めて体験していないので、治療も続けてまずは旅行したいな。

仲良くなれる人はみんな、国籍や言語、仕事や趣味もバラバラだ。不思議だなあと思うけれど、そんなものなのかもしれない。本当に「人と同じことをする」というのが苦手なわたしを笑ってくれる人たちに囲まれて、人生が変わってきたかもしれない。英語は世界共通語だから使えた方がいいとかでは、もはやなくなった。

会いたい人がどこにいても会える、瞬間移動の修行ができる場所があれば、教えてください。


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