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河川敷で草野球をしているおっちゃんたちに、声をかけ続けた大学時代

「河川敷で草野球をしているおっちゃんに声をかけ続ける」

これが、大学時代の僕のアルバイト(収入源)だった。

もう少し言うと、草野球リーグ(大会)に参加しているチームを増やすのが僕の使命で、1日20チームくらいに「こんにちは!」と声をかけ、話を聞き、草野球リーグの話をし、興味を持ってもらうのが僕のお仕事。

「最近草野球の監督をしていて、悩みってないですか?」
「人集めとかグラウンド確保ってどうやってますか?」
「僕らがやってる野球リーグは、打率や防御率を出したり、何百枚も写真を撮ってくれますよ!」

中学の同期で結成した芝中おーたずというチームでもこの草野球リーグに参加していて、右も左も分からないとこから草野球チームを運営しつつも、リーグに参加してから、たくさん試合もできるようになり、楽しめるようになった。そのリーグの良さを最大限に感じていた。

このリーグの良さを伝えること。話しかける草野球チームの活動の悩みを聞いて、その解決策を一緒に考えること。草野球チームの悩みや意見を、リーグの改善に反映させること。

楽しくて仕方なかった。

どこの河川敷にいる草野球チームに、どんな話をすれば、より多くの人に、リーグの良さが伝わるか。

草野球でマーケティングを学んでいた。

1チーム1チーム、トライアンドエラー。1日20チームを、シーズン中ほぼ毎土日。「グランド営業を、3年間くらいやってた。何百チーム?くらい声をかけただろうか。

自分と話す時間をいただいているからには、何かひとつでも草野球チームの方々に時間を割いた価値を感じてもらうように心がけた。

誰から言われるわけでもなく、自分でスクリプトも考えた。CRMを入力して、声をかけたチームへの次のアプローチを考えた。クロージング表も作った。チームで話し合って、野球特化メディアを運営したり、草野球運営動画を作ったりもした。

仕事という感覚はなかった。起きてる時間、全部そのことを考えていても、苦にならなかった。誇張抜きに。

一応、それの対価として、時給とチームの連絡先や加盟チームでのインセンティブをもらっていた。それが僕の大学時代のメインの収入源となっていた。

他のアルバイトはと言えば。神宮球場で野球の試合の警備。木下大サーカスのおっきなテント設置。Aikoや椎名林檎などのアーティストのライブ設営。ベネッセで絵本を作ったり、夏休みの学童保育の補助員をやったり。

どれも、働いている気がしなかった。というより、お金よりも当時から楽しい体験、自分が夢中になれる体験を求めていたんだと思う。

ちなみに、吉野家は2週間くらいで飽きて辞め、すき家は「朝だけやりたい」と言ったら面接で落ちた。

時間をお金に変える仕事は、この頃から無意識に避けていた。

父上は障害者就労支援施設の所長。だけど、そのイベントでギターを弾いている。母上のサポートを受けてパン屋の事業を作ってしまった。母親は気づけば隠れ家カフェのオーナーだ。

自分の環境と使命と、好きなことを結びつけて、活き活きと働いている両親を心から尊敬しているし、それを見て過ごした僕は、なんとなく企業に入って、一社員として働くともぞもぞする。もやもやかな?3人しかいなかった前職の会社でももぞもぞしていた。

道がないが故に、遠回りしたとしても、自分が思うように信じる道を突き進んでいきたい。

自分がこれだ!と思う生業に集中し、動く。それがその人が一番活躍するとき。スポットライトが当たるとき。

「あいつを見ていると、自分がやりたいことをやった方がいいな」

そう思われるように、ひたむきに動いて、考えて、動いて。周りの人の行動が、思考が少しだけ前よりも楽しく、面白くなっている。選択肢が広がっている。それが僕にとっての「働く」ということ。

書きながら再確認。



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