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アル・ラーズィー: 知られざるデータサイエンスの巨人

"Portrait of Rhazes (al-Razi) (AD 865 - 925)" by Wellcome Collection gallery (2018-04-01) Under CC-BY-4.0.


 今回は、過去の偉人サイエンティストを紹介してみます。

 アル・ラーズィー(Abū Bakr Muhammad ibn Zakariya al-Razi)です。日本ではほとんど知られていない人ですが、とてつもない知の巨人、データサイエンスの巨人です。

 ラーズィーはペルシャの生物学者であり医学者であり、化学者です。西欧諸国では、ラテン語名のラージーズ (Rhazes) でも知られます。シルクロードの通るテヘラン近くの都市 Ray(レイ)で854年に生まれ(生年が865年という史料もあります)、925年に亡くなっています。医師の中の医師と呼ばれることもある人物で、ヒポクラテスやガレノス(Galen)の影響が色濃かった当時の医学の常識を批判的に検証し、実験と観察に基づく実証アプローチを提唱して近代的な医療への発展を築いた人です。データサイエンスの基礎に関わる人物でもあります。

 イスラム世界において9世紀から14世紀を、Islamic Golden Age と呼びます。当時、(今日のイラクである)バグダッドは世界の知の中心であり、科学の黄金時代が訪れてました。多くの科学者が数学から哲学までありとあらゆるテーマに挑み、様々な数学における発明を行い、農業を発展させ、偉大な芸術を創造しました。特にこの時代、医療分野における発展が目覚ましく、人体に関する知識、治療に関するアプローチが体系的に整理され、今日の医療の世界の土台となっています。

 ラーズィーはその発展の中心的人物です。例えば、彼は溶剤や消毒に用いられるエタノールを発見した人物であり、医薬に用いるためのエタノールの精製方法を確立した人でもあります。
 また臨床上重要な診断方法である瞳孔反射を発見しています。通常状態では、瞳孔は刺激された目だけでなく、刺激されていない目も同時に収縮することが確認されており、両目を比較することにより病気の診断に用いることが可能です 。例えば右目への刺激で両目に反応がなく、左目への刺激で正常応答をした場合は右目の視神経の問題が考えられます。このように、彼は、可能性を網羅し、それぞれの選択肢を比較することで検証していくような科学的アプローチを医療に導入した、初期の提唱者であります。

 彼は観察やデータに基づいて様々な領域の問題に取り掛かっていきました。問題を見つけたら、その問題を解くことにいきなり飛びつくのではなく、問題の答えをいかに導出していくか、導かれた結果がその問題の答えであることをいかに証明していくのか、答えとして妥当であることをいかに確認していくのかという検証方法をまず設計し、そしてそれを実行していくというアプローチを徹底しました。

 医者となり、外科医としての名声をはやくにも得た彼は、バグダッドで最初の病院を作った人物としても知られていますが、ここにも観察とデータに基づくエピソードがあります。彼はバグダットで病院を設立する際に、まず事前に生肉を色々な地域で干し、その生肉の腐敗するスピードを日々観察し克明に記録をとり、最も腐敗に時間がかかったエリアを、(今の知識でいうと二酸化窒素が少ない場所ということになりますが、)空気が清潔な地域として識別して病院を立てる場所として決めたと言われています。

 ラーズィーはその後、生まれ故郷のレイとバグダットの両方の病院で外科主任を務めます。そして彼は、厳格なアプローチを次々に適用していき、当時の医学の常識とされていたギリシャの外科医 Galen (ガレノス)によって示された様々な医学的知見が事実無根の間違いであることを発見していきました。当時の科学は、アリストテレスの四元素説のような哲学思想が受け継がれており、ガレノスによって示されていた医学の常識とされていた様々な支配的な知識もそのような世界観を単に反映したにすぎないものでした。これらを観察とデータにより個々それぞれに検証を行い、「Doubts about Galen」という本を著し、近代医療を一つ一つ確立していったわけです。

 そんなラーズィーですが、より直接的な現代のデータサインエンスへの貢献として、Control Experiment、いわゆる「対照実験」という手法を発明した人物としても知られています。
 対照実験とは、例えば、新しい薬の効果をテストし確認する際に、単純に、患者群に投薬をするのではなく、投薬する患者群とは別の、投薬をしない「コントロールされた」患者群を確保し、それぞれの結果を比較することで、投薬の効果が単なる偶然ではないことを確かめるという手法です。現在のデータサイエンスにおける基本中の基本であり、例えばWeb開発においては、A/Bテストとして広く知られている方法になります。また、教師あり学習を中心としたAIの開発において行われる、交差検証(Cross Validation) につながる話でもあります。

 一部では、Double Blind Control Experiment (あるいは、Double Blind Test。日本語では、二重盲検法)も彼が初めて提唱したと言われています。これは、Control Experiment をする際に、薬がそもそもどういう効果を持っているかということに関しては、患者にも、投与する側の医師にもその情報が伏せられた中で行う、つまり、誰もこの薬は何の薬か知らない中で対照実験を行う、という方法です。これにより、プラセボ効果や観察者バイアス(観察者がその結果に対する期待を意識的にも無意識的にも被験者に伝えてしまうことや、観察者が結果を自分の期待にあわせて解釈をしようとして正確な評価ができなくなること)の影響を防ぎます。これは科学的なアプローチとしてとても重要で、特に人間を対象とする分野、例えば心理学や社会学や法医学等においては広く応用されています。Web開発でもA/Bテストは前述のように行われますが、同じように人間を対象とする分野であるわけなので、Double Blind つまり、誰も何のためにそれをやるのか知らない、という状態で行われることには(A/Bテストを仕掛けている側の期待を排除するために)意義があると思われます。ですが、そこまでやられることはあまりありません。そういう意味ではWeb開発はまだまだデータサイエンス的に進歩していく余地があると言えるのかもしれません。

 さて、そんな、科学への貢献が巨大なラーズィーですが、医学と生物学の両方にまたがる領域において、彼の最大の発見はありました。それは、神経系(ニューロシステム)の発見です。ラーズィーは、脳とつながった神経が、各身体のパーツ、筋肉をコントロールしているということを発見し、観察からその体系を明らかにしました。生物や我々人間の知覚、触覚、視覚が、このシステムの中に存在し、シグナルを脳に送ることで成立しているという、現代医学の基礎となる知識体系を構築したのです。

 アル・ラーズィー、現代の知を支える巨人です。調べれば調べるほど、あまりにもその業績が巨大すぎてびっくりしますが、厳格に徹底された観察とデータによって、彼は現代のデータサイエンスの道を切り開きました。今日のデータ分析はその偉大な肩の上に乗ってこそ成立しています。我々も彼からデータを扱う際の日々の姿勢を学び、実践していきたいものです。

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