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日本人の英語学習について。表現系とインナーゲーム

日本人の英語学習についての記事です。普段の記事より柔らか目です。

最近、海外の大学の関係者の方と今後のコラボレーションの可能性等をお話しました。その際に日本人の英語力の向上に関する話題になりまして、色々議論させていただき、非常に有意義な意見交換ができました。

その国(英語がネイティブではない)の学生が英語が喋れるようになるスピードが、日本人留学生の学生に比べると極めてはやい。ただ、対照的に、難しい英単語やイディオムは日本人の学生の方が圧倒的に知っているのもまた事実。授業をやると日本人の学生の方が点が高い。でも、現地の学生の方が英語を喋れるようになる。という現実についてどう捉えるかと。

中高生や大人になってから英語を学ぶ場合における、日本人の英語力の向上の困難さについて、昔から感じ、考えていたことがあったのですが、(思春期を迎えてしまった)中高生から英語を学ぶと、幼少期の子供と比べて、「その言語で意味もなく喋り続ける経験というのが圧倒的に少ない」んですよね。

例えば、自分の息子は三歳なんですが、息子が一人遊びをしていたりとか、同じ年齢の子どもたちが遊んでいるのを見ていると、日本語でもときにひたすら意味のないことを延々と喋っているんですよね。ときに延々と創作の歌を歌ったりする。

インターのプレスクールにいくと、一人でいるときや、友達とおままごとをしているときに、延々と意味のない英語で一人芝居をしたり、キャッチボールにならない一方的な言葉の発射をやっていたりしています。

意味もなくひたすらひたすら喋り続けるという表現がまずあって、その後に、その意味を、大人から修正されたり、大人から質問されたりして自己修正したりして、あとから考えて言葉にロジックがついてくる。表現の豊かさの奔流がどっとあって、その後の思考の幅を決めているのではないかという感じ。

でも、この意味もなく喋り続ける、って大人がトライしてみると相当つらいんですよね。

例えば、人形でもおもちゃでも5つぐらい並べて、その5つとおままごとを英語で始めてみたりすると、マシンガンのように喋り続けることができるかというとやはりそうでなくて、どうしても、何を喋ろうか、どういう挨拶をしようか、どういう質問をしようかという、意味とか思考とか筋書きとかを先立ててしまい、喋る内容を考えてから喋り始めてしまうので、言葉を矢継ぎ早に続けることができない。

意味や思考から入ってしまおうとする思考偏重な自分に待ったをかけて、まず、いかに何も考えずに表現を豊かにさせるかという観点で、英語学習をとらえ直すと、もうちょっとやりようがあるんじゃないかと思ったりします。思考から入って組み立てようとするのでなく、まずはアートのように、歌のように、一人芝居のように、制約をおかず、ジャッジメントもせず、躊躇もせずに、根拠のない自信を持って、とにかく喋る、言葉を連射してみる、小さい子どもたちがやっているように、ということがどれぐらいできるかというその幅を作っていくことが大事なのじゃないかなと。仮に「表現系」と「思考系」という言葉を作るとすると、「表現系」の自分を「思考系」の自分より先立たせる、と。

以下のTEDのビデオでは、ややちかしいことを述べています。躊躇したり、恥ずかしがったりするために英語が伸びなくて、ビデオゲームのように、自分が下手でも集中して楽しんで英語をしゃべることが大事だと。

こちらは、いわゆる Polyglot (何ヶ国語も流暢に喋れる人)の方のアドバイスです。

とにかくいっぱいミスをしよう、と述べてます。共通しているのは、「思考系」ではなく、「表現系」の自分を解放しようということです。

ここから踏まえて考えると、逆に、子どもたちに対しても、先生が言ったことを繰り返させるような、従来の語学学習はあまり意味がないんじゃないかなと思えます。表現の量も幅も鍛えられず、必然的に思考の枠が狭くなってしまうので。そうでなくて、例えば、「I am hungry.」を自分の言葉で言ってみようみたいなことをしてそれぞれの表現系の発露を促したら、ある子供は、「I have a flat tummy. 」、別の子供は「My mouth is sad. 」って言うかもしれないですよね、とか。

他の分野における、この表現系に近い話を考えてみます。以下は、黄金比の解説を行っている数学のビデオなのですが、はじめに黄金比を色々な数式の形を示して説明し、その後は色々な図形を書いて説明しています。

数学のできる人って、誰かに言われるまでもなく普通に、自ら、式を色々な形でいじったり、色々な図であらわしてみたりして、つまり、表現系を解放していってどんな形がありうるか解釈がありうるかの世界観を広げていって、その数式や概念が意味しているものを獲得していったりしています。このように表現系を先にというのは語学だけでなく、他でも適用しうるかなとも思います。


昔、ティモシー・ガルウェイというプロフェッショナルコーチ、ビジネスコーチの源流を作った方(本人は元々テニスのコーチ)が、セルフ1(批判的自己)・セルフ2(パフォーマンスを司る自己)という用語で、いかにセルフ1を静かにさせて、セルフ2をのびのびとさせるかがパフォーマンス向上の鍵だと説きました。以下のビデオは、そのティモシー・ガルウェイが、パフォーマンスを向上させるアプローチであるインナーゲームの歴史について述べたものですが、途中で、技術的なインストラクションをなるべく減らし、いかに赤ちゃんが歩き方を習得したときのように、大人になった自分たちもトライ&エラーをするかという解説がでてきます。これに通じるところがある感じかなと思います。


ひとまず自分は、三歳の子供とお風呂で浮くおもちゃを使いながら、英語のおままごとをしてます。いざ、その気になって演じようとすると難しくて脳トレにもなっている気もします。やはり子供のマシンガンなスピードにはかなわないですが。 


おまけ

以下は、語学学習の11の鉄則についてまとめた記事です。こちらも御覧ください。


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